ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(72) 大切に生きよう

2014年07月10日 | 随筆
 今年の正月は辛くて長い時間を過ごした。昨暮れのクリスマスの日に胃カメラ検査をした。12月初めの人間ドックの胃透視で、入り口の天井の粘膜に異状があるから胃カメラで精査するよう勧められたからだ。胃カメラの医師は、カメラを押し込みながら入り口の天井の粘膜異状などないよと言って、さらに押し込んで行くと「うっ」と声を発した。胃の出口近くに、見た目に癌と分かる病変があったらしいのだ。丁度正月休みにかかるため、生検の結果は1月6日になると言う。結果がはっきりする前に妻や家族に言ってしまうのは、みんなの休みを台無しにしてしまうと思って、一人で苦しむことにした。夜はまあまあ眠ったが、孫たちが遊んでいるのを見るにつけ切なくなって、間違いであってくれと願いながら過ごした。その時間はとても長かった。
1月6日になった。覚悟をして医者の前に腰掛けた。「やっぱり癌でした。胃の中ほどにポリープがあり、それも癌でしたので、おそらく胃切除手術となるでしょう。」と告知された。「それからもう一つ、12指腸の壁にリンパ腫のような病変が認められたので、病院へ移って精密な検査を受けてください。」と言われた。私は何を言われたのか質問することもしないで、ボーっとして聞いていた。
 早速、胃カメラの動画記録カードを預かって病院へ行った。2日かけて手術前の全身検査がなされ、1月13日、Dr.Hの前に腰掛けた。そして告げられた。「胃癌と十二指腸悪性リンパ腫です。」と。今まで入院や手術をしたことないので、一気に二つの重大な病名を告知されたことは、大変なショックだった。家に帰って、全く無知であったリンパ腫について調べてみると、大変な病気で、いわゆる血液の癌だった。調べ疲れて眠ってしまうが2時間くらいで目覚め、それから朝まで色々な思い巡らしが始まる。そんな夜が三日続き、病人になったように疲れた。疲れたらもう病気について詳しく知る意欲が薄れ、だんだんと、もう少し生きるためにはどうしたらよいかを知りたくなって行った。
 告知から一週間経ち、医者と治療計画について決める時が来た。たちまち予定が確定し、私はまな板の上のひとになった。福岡に暮らしている子どもたちも、次第にことの重大さが分かってきたのか、いろいろ気遣ってくれ始め、水彩画教室やカルチャー教室も、長期休講を配慮してくれたり、何よりも復帰を待つと言ってくれたことは励みになる言葉だった。美術協会の仕事も事務局や役員がすべてカバーしてくれた。
 2月3日の胃の切除手術、4月1日から三ヶ月の予定でリンパ腫の化学療法がなされた。そして、計画通りの治療が終了し、もう癌は消えたかどうかの判定日、6月18日が来た。何度か座ったDr.の傍の丸椅子にまた座った。検査医の検査中のコメントで良い結果だろうとは予測されたが、Dr.の口から聞くまでは・・・。「寛解が得られましたよ」と笑顔で告げてくれた。これからの人生、大切に生きようと痛切に思った。
 

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2 コメント

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待っていました\(^o^)/ (大西)
2014-07-25 09:07:01
寛解、おめでとうございますm(_ _)m
本当によかったと思います。
(71)を読んでから、ずっとこの報告を待っていました。
先生の再生を心から祝福いたします。
僭越ですが、これからの先生が…作品ももちろんです…一人のファンとして、とっても楽しみですo(^-^)o
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Unknown (NON)
2014-07-25 21:47:12
大西さん、コメントありがとうございます。ようやく人並みの経験をしたようです。
 1月の検査で二つの病を告げられての帰り道、道路工事のため、赤い電飾ライトで私の車を止めた、かなり年配の男性がありました。しばしの間、ショベルカーとヘルメットのうごめく中、私は、彼らの健康と労働がとても眩しく見え、生涯忘れることが出来ません。
 これからを大切に生きたいと思います。
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