東京毎日サービスが「天本英世と行くスペインの旅」を企画しました。これに若松から9人も参加しました。
旅はマドリードから始まる19日間のバスツアーです。いわゆる名所旧跡の旅だけではなく、天本さんの言う「人生を楽しく生きるスペイン人気質」に触れる旅です。何度もスペインを訪れる天本さんは、レシタドール(詩の朗読者)として知られており、背が高く痩身でその存在だけでも絵になる人です。行く先々の酒場やフラメンコ劇場で請われて飛び入りしてロルカの詩を朗誦します。
バスの中では、旅の疲れで眼ってばかりいる日本人ツアー客を「大事なところは眠っている」と怒るようにして起しながら自分の思いを伝えます。
松屋さんや光安にとっては、スペインの美術作品は何よりも心を揺さぶられるものでした。スペイン在住の日本人女性のガイドで巡ったプラド美術館、作品を通して巨匠達の素顔を髣髴としたことでした。また、別館では、タイミングよくアメリカから里帰りしてきたばかりの「ゲルニカ」を観ることができました。習作から大作にいたるまでのピカソの苦汁と格闘、そして叫びを聴いたのでした
松屋和代 「ロンダ」1984年頃
旅から帰ってのち、松屋さんの作品はしばらく「DANCING」の作品が続きます。自身、踊ることが好きで、魂の踊りとも言えるフラメンコには大いに刺激されたことでしょう。「DANCING」の作品が続くと”踊り子を描く松屋”と言われるようになりました。しかし、こう言われることを大いに嫌いました。踊り子を描いたのではなく、踊りを描いてのでもありません。踊ることを描いたのでした。実際に踊りながら描くこともあったと聞いています。
松屋和代 「DANCING]
次の作品は踊っている人物が画面から排除され、「AND ONE・・・・」と題した作品が登場します。和紙の材料で油絵具を受け止める基材をつくり、それにオイルペインティングした作品を生み出します。ロンダの崖の肌と色を思わせるような画面が眼に飛び込んできます。壁に掛けられている平面造形ですが、額縁はなく自由さがあります。湧き出てくる気のようなものが画面に乗り移っています。
松屋和代 「AND ONE・・・・」
松屋さんは、あの若さで二束の草鞋を履かない決断をしたこともありますが、早くから九州女流美術や、尊敬する恩師の所属していた行動美術などへの出品を止め、個展による作品発表という姿勢をとり続けています。キュートな中に芯の強さがあることを証しています。それゆえ、これからまだまだ画家として進化するに違いありません。
(この文章の一部は西日本新聞連載「ふり返れば四半世紀・マルミツ画廊よもやま話」を引用しています。)
旅はマドリードから始まる19日間のバスツアーです。いわゆる名所旧跡の旅だけではなく、天本さんの言う「人生を楽しく生きるスペイン人気質」に触れる旅です。何度もスペインを訪れる天本さんは、レシタドール(詩の朗読者)として知られており、背が高く痩身でその存在だけでも絵になる人です。行く先々の酒場やフラメンコ劇場で請われて飛び入りしてロルカの詩を朗誦します。
バスの中では、旅の疲れで眼ってばかりいる日本人ツアー客を「大事なところは眠っている」と怒るようにして起しながら自分の思いを伝えます。
松屋さんや光安にとっては、スペインの美術作品は何よりも心を揺さぶられるものでした。スペイン在住の日本人女性のガイドで巡ったプラド美術館、作品を通して巨匠達の素顔を髣髴としたことでした。また、別館では、タイミングよくアメリカから里帰りしてきたばかりの「ゲルニカ」を観ることができました。習作から大作にいたるまでのピカソの苦汁と格闘、そして叫びを聴いたのでした
松屋和代 「ロンダ」1984年頃
旅から帰ってのち、松屋さんの作品はしばらく「DANCING」の作品が続きます。自身、踊ることが好きで、魂の踊りとも言えるフラメンコには大いに刺激されたことでしょう。「DANCING」の作品が続くと”踊り子を描く松屋”と言われるようになりました。しかし、こう言われることを大いに嫌いました。踊り子を描いたのではなく、踊りを描いてのでもありません。踊ることを描いたのでした。実際に踊りながら描くこともあったと聞いています。
松屋和代 「DANCING]
次の作品は踊っている人物が画面から排除され、「AND ONE・・・・」と題した作品が登場します。和紙の材料で油絵具を受け止める基材をつくり、それにオイルペインティングした作品を生み出します。ロンダの崖の肌と色を思わせるような画面が眼に飛び込んできます。壁に掛けられている平面造形ですが、額縁はなく自由さがあります。湧き出てくる気のようなものが画面に乗り移っています。
松屋和代 「AND ONE・・・・」
松屋さんは、あの若さで二束の草鞋を履かない決断をしたこともありますが、早くから九州女流美術や、尊敬する恩師の所属していた行動美術などへの出品を止め、個展による作品発表という姿勢をとり続けています。キュートな中に芯の強さがあることを証しています。それゆえ、これからまだまだ画家として進化するに違いありません。
(この文章の一部は西日本新聞連載「ふり返れば四半世紀・マルミツ画廊よもやま話」を引用しています。)