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お山にお宮がたちました

四国別格二十霊場 ⑥龍光院

お山に行ったり、東京に行ったりと、お詣りの予定が色々入っていて、前回の別格詣りより日が開きましたが、別格6番札所にお詣りしました。
一応、年内で別格20霊場回る事を今年の目標にしてます。

道中、秋桜と遅咲きの向日葵が隣り合わせに咲いていて、車を停めて皆んな写真を撮ってました。
綺麗ですよね。海や山、川、花を眺めながらのドライブも楽しいです。

皆んなに喜んで貰いたいと植えた方の心が美しいですよね。。


秋桜と向日葵、堪能させて頂きました。
ありがとうございます。

愛媛県鬼北町にある道の駅に大きな鬼が座ってました。


鬼さんの座り方が笑えますね😂
お腹のお肉もポニョポニョ🤣
威嚇してるけどなんか可愛い。


そして、別格6番札所に到着です。
朝の8時過ぎに高知を出たのですが、到着はお昼前でした。
高知からは遠いです。



こちらの龍光院ですが、伊達政宗の息子の伊達秀宗と縁があるようです。





以下Wikipediaより

江戸時代初期の元和元年(1615年)伊達秀宗が宇和島藩主として入部した。この際、宇和島城の鬼門にあたるこの地に、宇和島藩の安寧と領民の安泰を祈願して栄瑜上人を開山和尚に迎え寺院が建立された。以後、宇和島藩伊達家の祈願所となり、10万石を藩より賜った。

ただ、秀宗は宇和島藩祖であるが、宇和島では余り崇敬を集めておらず、宇和島市内には顕彰碑も銅像も無く、「秀宗公」と尊称する人もいない。


 
鬼門に当たるのですね。
こちらから宇和島城を眺める事が出来ます。



本堂です。

御本尊 
十一面観世音菩薩
 
縁起
大同元年(806)大師が宇和島の九島に「鯨大師」を建立されたのが始まりです。
その後元和元年(1615)に今の場所に移されました。



大師堂です。


伊達秀宗は、伊達政宗の側室の子であり、正室に男の子がいなかったので、家督相続者と目されていたのですが、のちに正室の愛姫に男の子が産まれ、その立場が微妙になったようです。

豊臣秀吉に人質に差し出された秀宗。
弟の忠宗は徳川家の人質となり、時代の流れから家督は弟に。

仙台藩主ではなく宇和島藩主となった秀宗。時代の波に翻弄されます。



都から一番離れた四国のこの地で、秀宗は何を思ったのでしょうか。

時代は移り変わり、富や名誉といったものの価値は変わっていきます。
人はいつの時代にも、形のない名誉や物質的な富を得ようとします。
そして、永遠に待ち続けることは出来ないものに心を掻き乱されます。
正室や側室の子供であるという、親の都合により翻弄される子供の人生。

もう一つの伊達家はこの四国宇和島にあります。
秀宗は何を思って、この地で過ごしたのかなと思いました。

想像を
はるかに超える
虚しさは
城を眺めし
神のみぞ知る









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