八坂神社のあと上賀茂神社へ向かった。下鴨神社お詣りした事があったのに上賀茂神社はお詣りしてなかったので是非行ってみたい神社の一つで主人にお願いしてお詣りさせて頂いた。またはじまったと最初はブツブツ言っていた主人も、神社詣りは根本的に好きなようで私が言うと素通りはしない。笑
駐車場に車を停め朱塗の鳥居に歩いて行った。鳥居をくぐると広がる美しい神社に二人で感動して、「お詣りに来てよかったね!」という私に「うんうん。」という感じで主人も目を輝かせていた。
ご祭神は、神武天皇の御代に賀茂山のふもとに降臨したといわれている賀茂別雷大神様。水源となる山の神の大山咋神と、流れ下る川の水の神を祀る巫女 玉依媛命との間に生まれた雷神であると云われている。
『山城国風土記』逸文には、賀茂別雷命について次のような記述がある。
太古の昔山城国(現在の京都)に移り住んだ賀茂一族の姫・賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)が石川の瀬見の小川(鴨川)で身を清めていると、上流より天降りし丹塗矢(にぬりのや)が流れて来た。その矢を持ち帰った賀茂玉依比売命が床に祀り休まれたところ、御神霊の力を享け御子を授かった。
御子が元服したとき、祖父である一族の長・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が多くの神々を招き祝宴を催し、その席で「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と申され、盃を渡したところ、御子は「我が父は天津神なり」と答えられ、雷鳴と共に、そのまま天に昇られたと記されており、再び会いたいと乞い願っていた賀茂玉依比売命の夢枕にある夜、御子が顕われ「吾れに逢はんとには、馬に鈴を掛けて走らせ、葵楓の蘰(かずら)を造り、厳しく飾りて吾れを待たば来む」との神託があり、その言葉に従い神迎の祭をしたところ天より神として御降臨されたと伝わる。
賀茂神社で有名なのは葵祭。約8キロの道のりを平安朝の装束を纏った人々が練り歩くという。何と雅なことだろうとみてみたいなぁと思う。葵祭の名の由来は、祭りの当日に御所内裏の御簾をはじめ、牛車、勅使、行列の人々の冠や装束、牛馬など全てを葵の葉で飾ったことによっていて、上賀茂別雷命が生まれた御形山に、双葉の葵が生じた話からきているといわれている。
上賀茂神社の美しさは異次元に迷い込んだかのようであり、都会の喧騒が苦手な私にとっては癒される空間だった。元々賀茂神社は一つだったようだけれど奈良時代、新たに下鴨神社が分立され8世紀後半に賀茂神社が上下二つにわかれたようだ。
神社に惹かれる理由は、そこで神様をお祀りをするようになった由来が、今の常識ではどこかはっきりせず、色々な説があるけれど、間違いなく大いなる神々がその地に鎮座しており、多くの人が長い年月その地を守り崇敬しているところかもしれない。
京都でもっとも古い神社の一つであり、隠された何かがあるようで、そこが何ともいえない魅力であり、お祀りできて本当に良かったと思った。