東京大学のセルカン氏所属の研究室ホームページや、セルカン氏blogのprofileに掲載されている、学歴・職歴・研究歴についての検証
トルコのブルサにあるÖZEL İNAL ERTEKİN İLKÖĞRETİM OKULU(私立イナル・エルテキン初等教育学校を卒業。
1983-84年度の卒業生名簿にSERKAN ANILIRとして名前が載っている。
セルカン氏は1973年生まれなので、11歳の頃卒業したことになる。
BORNOVA ANADOLU LİSESİ(ボルノヴァ・アナドル高校) を経て(高校2年生15歳の時に寮でボヤを起こして退学?)、
BURSA ANADOLU LİSESİ(ブルサ・アナドル高校) を卒業?
(ブルサ・アナドル高校2007年5月31日付け告知欄で、学校側が同氏を「本校卒業生」と告知している)
(第113回J.I.フォーラム議事録と、トルコ語の記事などを参考)
独立行政法人科学技術振興機構(JST)運営の「かがくナビ」の記事によると、
{スイスの寄宿学校へ入学後、7年間スイスで生活。15歳のときにドイツに戻り、高校へ入学するも、2年生のときに学校の方針との相違により停学。「途方にくれていたとき、僕が友達と行っていたのが、タイムマシンの研究。この研究計画によって、アメリカのイリノイ工科大学から入学許可と奨学金 がもらえることになりました」 セルカンさんはまるで昨日のことのようにホッとした表情を浮かべます。 そこで、大学へ入学するために渡米。}
と記載されている。同様の経歴は、著書「ポケットの中の宇宙」にも記載されている。
しかし、上述のように、同氏はトルコで小学校や高校時代を過ごした可能性が高い。
ちなみに、
http://blog.anilir.net/?eid=528076によると、
>僕が、(スイスの学校を退学になり)家族の家に戻った15歳の時、その弟は4歳でした。
とある。
下記のイリノイ工科大学公式WEBの卒業生online communityで、卒業生をLast Nameで検索できる。大学側のデータベースをもとに作成しているだ。
http://alumni.iit.edu/
(左メニュー下、First Time Loginで検索可能)
Last Name: anilir でも、 : serkan でも、ヒットが0
一方、YILDIZ工科大学は一応1996年に卒業してるようだ。
↓ Diploma No. 28442
http://www.mmr.yildiz.edu.tr/Yeni4/PAGE/MEZUN/mezun_92_05.html
よって、セルカン氏の卒業した大学はイリノイ工科大学ではなく、
Yildiz工科大学(イスタンブール、トルコ)の可能性が高い。
現時点での研究室HPでの記載は、「1996年9月 イスタンブールYildiz工科大建築学専攻卒業」に書き換えられている。
⇒ プリンストン大学数学科の1996年11月からのサイトアーカイブ
には、1997年にセルカン氏が講師を勤めたとの記述は無い。
⇒ 一方、http://www.spacearchitect.org/members/member.htm
では、1997年時点ではセルカン氏はEuropean Space Agency(欧州宇宙機関:ESA)にインターンとして勤務していたとされており、米国のプリンストン大学講師と兼務であったとは考え難い。
またセルカン氏は数学分野の研究業績が皆無なので、数学部講師に就任するということはまずあり得ない。
また、現時点での研究室HPでは、「1997年9月 プリンストン大学講師(レオナルドプログラム)
」と記載が変更されている。
さらに、科学研究費の研究計画調書の経歴欄には、
「・1997年 プリンストン大学客員教授 数学部教授
(EUにおけるレオナルド交換プログラムにおいてバウハウス大学より派遣。科学・数学分野と建築分野の交流を目的とした八ヶ月の就任。)」
と記入しており、上述の講師という経歴と矛盾していることから、これも詐称である可能性が高い。
セルカン氏のブログの記事によると、「レオナルド」とはトルコの交換留学生プログラムのことであり、セルカン氏も「レオナルド」の経験者である。
バウハウス大学ヴァイマル(Weimar)校舎(ドイツ)の、おそらく「生徒の課題」 のページにS.Anilirの名前がある。
本来これはフレームの中に入っているべきページ。元ページは以下URL。
「light tech-admirals cup warf ss 1997」 のとこ。
http://www.uni-weimar.de/architektur/industriebau/
http://www.uni-weimar.de/architektur/industriebau/dokumentation/
また、別のページでは、2005/2006の冬学期でディプロマは廃止したと書いてあるように読める。
ATA宇宙エレベーターはNASAで研究されてることになっているが、博士論文における盗用疑惑を参照されたし。
この博士論文で使用されている多くの画像や文章について、盗用が疑われている。
http://www.isas.jaxa.jp/publications/annalreport/2003/2-2-i.pdf
⇒JAXAの2003年の人員編成に関する外部公開資料によると、
『宇宙航空プロジェクト研究員アニリール・セルカン』と記されており、少なくとも常勤の講師ではない。
また、2005年4月にトルコのイスタンブールで開かれた 「A Gateway to Heaven’ASANSOR’2005 Conference」では、Head of Space Physics Department, JAXAと名乗っており、
一方、韓国出張講演での自己紹介スライド (セルカン氏のブログの該当記事)では、Team Leader, Japanese Aerospace Exploration Agencyと名乗っており、これも間違いである。
2006年12月にトルコのイスタンブールで開かれた
「第1回 国際インフラフリーシンポジウム」(会長:セルカン氏、スポンサー:トルコのKALE GROUP) や、
(→ セルカン氏のブログでの該当記事1, 該当記事2 )
2005年4月にトルコのイスタンブールで開かれた 「A Gateway to Heaven’ASANSOR’2005 Conference」や、
トルコ企業のElginkanグループの出版物においてや、
Youtube上での自己紹介動画「Anilir Interview」 などにおいて、
「東京大学の准教授(Associate Professor)である」。と誤った経歴を公表している。
セルカン氏は准教授ではなく助教/助手(Assistant professor)である。
科学研究費補助金(若手B)採択課題「宇宙技術を活用した住宅建設におけるインフラフリー施設の構築に関する研究」
セルカン氏のブログ記事によると、2008年1月10日に、最後の授業を行ったとある。
紀伊民報の記事「大使第1号にアニリールさん 串本町が委嘱」
http://blog.anilir.net/?month=200806
http://blog.anilir.net/?eid=704898
Università degli Studi di Napoli Federico II か
Seconda Università degli studi di Napoli
のどちらかわからないが、
イタリアで講義していたのは確からしい?
筑波大学公開講義「アニリール・セルカン氏:21世紀の三種の神器-インフラフリーに基づく未来のライフスタイル」(UT-Top Academist‘s Lecture 第2回講演)(2008.10.14) (別の出典)
http://www.arc.umontreal.ca/international/index.htmlを見ると、「Professeurs invites a l'atelier triptyqu」と記載されており、セルカン氏が学生の実習のために招待された教授だとすれば、セルカン氏の「客員教授」と言う記載は正当である可能性が非常に高い。
当時のセルカン氏のブログ記事
モントリオール大学での講演についてや、学生実習(課題:インフラフリー建築のコンセプトに基づいて、過疎化の進む串本町を無人島「通夜島」を利用し、どのように新しいライフスタイルや町作り、産業を作り出せるか)についての、知ることができる。
問題点は、むしろ、"visiting professor of international renown" というポジションにセルカン氏が何故就くことができたかということだろう。これはあくまで推論だが、2007年度に同じポジションにセルカン氏の研究室の上司が就いていることから、この上司が推薦した可能性も考えられる。
以下、アニリール・セルカン氏著『ポケットの中の宇宙』中興新書ラクレ の内容から編集
・1982年(8歳) : ドイツ国内科学コンテストで「1.FCケルン」のホームスタジアムの照明を太陽エネルギー、風力、水力でまかなうというアイディアで2位に(p14,p15)。授賞式に訪れてきた寄宿学校の経営者に見込まれ、スイスのミッションスクールへ (p15,p16)。寄宿学校近くのスキー場で独学でスキーを始める(p23)
・年不明 (「トルコに帰国後」) : スキーのトルコナショナルチームの選抜テストに飛び入りで参加、ダントツの成績でその場でナショナルチームに選出。
・1987年: イタリア、セストリエルで開催されたU20ヨーロッパジュニア大会の大回転で金メダル(同じ大会にアルベルト・トンバが参加)。 トルコ人として冬季競技の世界大会で初の金メダル。トルコでスキーをやっている若者は全員セルカン氏の名前を知っている。 (p25,p26)。
・1988年(15歳): スキーの回転競技でカルガリーオリンピックに出場、14位の成績(p27)。学校でボヤ騒ぎを起こし退学、ドイツへ帰国。(p19-p22)。ドイツでタイムマシンを製作し地元のサッカースタジアムで実験。観衆が詰めかけ、新聞社やテレビ局などが取材。(p29-p35)
・年不明(「高校卒業後」): アメリカのイリノイ工科大学建築学科に進学 (p41)
・1990年(17歳):アメリカでPPL(プライベート・パイロット・ライセンス)を取得(p56)
・1991年(18歳):シカゴで運転免許を取得(p201)
・1993年(20歳):トルコ国籍を選択 (p27)
・1994年: 練習中の事故で足に大怪我し、スキー選手を引退(p27)。ロータスエリーゼを購入(p201)
・1995年: イリノイ工科大学卒業。ドイツのバウハウス大学建築学科修士課程に進学(p41)
・1998年: 長野オリンピックにナショナルチームのコーチとして参加(p27,p28)
・1999年: バウハウス大学修士課程終了。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻に進学(p42)
・年不明(「東京大学の博士課程にいたとき」) : 鹿島で研修生に。高層建築の仕事に携わるうちに宇宙エレベーターに興味を持つ(p43,p44)
・年不明(「(鹿島で研修生になった)ちょうどその頃」): アメリカのヒューストンで宇宙エレベーターに関するワークショップに参加。「ATAエレベーター」を
発表。NASA関係者の目に止まり、共同研究を持ちかけられる(p45-p49)
・2001年4月: 宇宙エレベータープロジェクトの一員としてNASAに採用される。アドバンスプロジェクトのリーダーに。しばらく東大を離れてNASAで研究(p49)。
年不明(「期限が来て」): NASAのチームを離れ、東京大学に戻る。その後もしばらくはNASAのプロジェクトに関わる(p50)
・2003年 東京大学博士課程終了。JAXAに講師として就職(p52,p53)。
年不明(「(JAXAに入った)ちょうどその頃」)。トルコ人初の宇宙飛行士のオファーを受け、選抜テスト開始(p54,p55)。
・2004年 民間人初のトルコ人宇宙飛行士に選出(p61)。
以上。
カッコ内に年齢が入っているものは、本文中には年齢が表記されていた部分。
誕生日によっては年が前後する可能性があるので注意。
・ 1973年 ドイツのケルン生まれ(国籍:トルコ共和国) |
トルコのブルサにあるÖZEL İNAL ERTEKİN İLKÖĞRETİM OKULU(私立イナル・エルテキン初等教育学校を卒業。
1983-84年度の卒業生名簿にSERKAN ANILIRとして名前が載っている。
セルカン氏は1973年生まれなので、11歳の頃卒業したことになる。
BORNOVA ANADOLU LİSESİ(ボルノヴァ・アナドル高校) を経て(高校2年生15歳の時に寮でボヤを起こして退学?)、
BURSA ANADOLU LİSESİ(ブルサ・アナドル高校) を卒業?
(ブルサ・アナドル高校2007年5月31日付け告知欄で、学校側が同氏を「本校卒業生」と告知している)
(第113回J.I.フォーラム議事録と、トルコ語の記事などを参考)
独立行政法人科学技術振興機構(JST)運営の「かがくナビ」の記事によると、
{スイスの寄宿学校へ入学後、7年間スイスで生活。15歳のときにドイツに戻り、高校へ入学するも、2年生のときに学校の方針との相違により停学。「途方にくれていたとき、僕が友達と行っていたのが、タイムマシンの研究。この研究計画によって、アメリカのイリノイ工科大学から入学許可と奨学金 がもらえることになりました」 セルカンさんはまるで昨日のことのようにホッとした表情を浮かべます。 そこで、大学へ入学するために渡米。}
と記載されている。同様の経歴は、著書「ポケットの中の宇宙」にも記載されている。
しかし、上述のように、同氏はトルコで小学校や高校時代を過ごした可能性が高い。
ちなみに、
http://blog.anilir.net/?eid=528076によると、
>僕が、(スイスの学校を退学になり)家族の家に戻った15歳の時、その弟は4歳でした。
とある。
・ 1995年9月 イリノイ工科大建築学専攻卒業 |
下記のイリノイ工科大学公式WEBの卒業生online communityで、卒業生をLast Nameで検索できる。大学側のデータベースをもとに作成しているだ。
http://alumni.iit.edu/
(左メニュー下、First Time Loginで検索可能)
Last Name: anilir でも、 : serkan でも、ヒットが0
一方、YILDIZ工科大学は一応1996年に卒業してるようだ。
↓ Diploma No. 28442
http://www.mmr.yildiz.edu.tr/Yeni4/PAGE/MEZUN/mezun_92_05.html
よって、セルカン氏の卒業した大学はイリノイ工科大学ではなく、
Yildiz工科大学(イスタンブール、トルコ)の可能性が高い。
・ 1996年9月 イスタンブール工科大建築学専攻卒業 |
現時点での研究室HPでの記載は、「1996年9月 イスタンブールYildiz工科大建築学専攻卒業」に書き換えられている。
・ 1997年9月 プリンストン大学講師(セルカン氏blogには数学部講師と記載されている) |
⇒ プリンストン大学数学科の1996年11月からのサイトアーカイブ
には、1997年にセルカン氏が講師を勤めたとの記述は無い。
⇒ 一方、http://www.spacearchitect.org/members/member.htm
では、1997年時点ではセルカン氏はEuropean Space Agency(欧州宇宙機関:ESA)にインターンとして勤務していたとされており、米国のプリンストン大学講師と兼務であったとは考え難い。
またセルカン氏は数学分野の研究業績が皆無なので、数学部講師に就任するということはまずあり得ない。
また、現時点での研究室HPでは、「1997年9月 プリンストン大学講師(レオナルドプログラム)
」と記載が変更されている。
さらに、科学研究費の研究計画調書の経歴欄には、
「・1997年 プリンストン大学客員教授 数学部教授
(EUにおけるレオナルド交換プログラムにおいてバウハウス大学より派遣。科学・数学分野と建築分野の交流を目的とした八ヶ月の就任。)」
と記入しており、上述の講師という経歴と矛盾していることから、これも詐称である可能性が高い。
セルカン氏のブログの記事によると、「レオナルド」とはトルコの交換留学生プログラムのことであり、セルカン氏も「レオナルド」の経験者である。
・ 1999年2月 バウハウス大学建築学修士課程修了 |
バウハウス大学ヴァイマル(Weimar)校舎(ドイツ)の、おそらく「生徒の課題」 のページにS.Anilirの名前がある。
本来これはフレームの中に入っているべきページ。元ページは以下URL。
「light tech-admirals cup warf ss 1997」 のとこ。
http://www.uni-weimar.de/architektur/industriebau/
http://www.uni-weimar.de/architektur/industriebau/dokumentation/
また、別のページでは、2005/2006の冬学期でディプロマは廃止したと書いてあるように読める。
・ 2001年4月 NASAアドバンスプロジェクトチームリーダー |
ATA宇宙エレベーターはNASAで研究されてることになっているが、博士論文における盗用疑惑を参照されたし。
この博士論文で使用されている多くの画像や文章について、盗用が疑われている。
・ 2003年4月 日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)講師 |
http://www.isas.jaxa.jp/publications/annalreport/2003/2-2-i.pdf
⇒JAXAの2003年の人員編成に関する外部公開資料によると、
『宇宙航空プロジェクト研究員アニリール・セルカン』と記されており、少なくとも常勤の講師ではない。
また、2005年4月にトルコのイスタンブールで開かれた 「A Gateway to Heaven’ASANSOR’2005 Conference」では、Head of Space Physics Department, JAXAと名乗っており、
一方、韓国出張講演での自己紹介スライド (セルカン氏のブログの該当記事)では、Team Leader, Japanese Aerospace Exploration Agencyと名乗っており、これも間違いである。
・ 2005年5月 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻 助手 |
2006年12月にトルコのイスタンブールで開かれた
「第1回 国際インフラフリーシンポジウム」(会長:セルカン氏、スポンサー:トルコのKALE GROUP) や、
(→ セルカン氏のブログでの該当記事1, 該当記事2 )
2005年4月にトルコのイスタンブールで開かれた 「A Gateway to Heaven’ASANSOR’2005 Conference」や、
トルコ企業のElginkanグループの出版物においてや、
Youtube上での自己紹介動画「Anilir Interview」 などにおいて、
「東京大学の准教授(Associate Professor)である」。と誤った経歴を公表している。
セルカン氏は准教授ではなく助教/助手(Assistant professor)である。
科学研究費補助金(若手B)採択課題「宇宙技術を活用した住宅建設におけるインフラフリー施設の構築に関する研究」
・ 2006年4月 東京理科大学 非常勤講師 |
セルカン氏のブログ記事によると、2008年1月10日に、最後の授業を行ったとある。
・ 2007年4月 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻 助教 |
・ 2007年4月 和歌山県串本町 大使 |
紀伊民報の記事「大使第1号にアニリールさん 串本町が委嘱」
・ 2008年5月 ナポリ大学 客員教授 |
http://blog.anilir.net/?month=200806
http://blog.anilir.net/?eid=704898
Università degli Studi di Napoli Federico II か
Seconda Università degli studi di Napoli
のどちらかわからないが、
イタリアで講義していたのは確からしい?
・ 2008年10月 つくば大学 非常勤講師 |
筑波大学公開講義「アニリール・セルカン氏:21世紀の三種の神器-インフラフリーに基づく未来のライフスタイル」(UT-Top Academist‘s Lecture 第2回講演)(2008.10.14) (別の出典)
・ 2009年3月 モントリオール大学 客員教授 |
http://www.arc.umontreal.ca/international/index.htmlを見ると、「Professeurs invites a l'atelier triptyqu」と記載されており、セルカン氏が学生の実習のために招待された教授だとすれば、セルカン氏の「客員教授」と言う記載は正当である可能性が非常に高い。
当時のセルカン氏のブログ記事
モントリオール大学での講演についてや、学生実習(課題:インフラフリー建築のコンセプトに基づいて、過疎化の進む串本町を無人島「通夜島」を利用し、どのように新しいライフスタイルや町作り、産業を作り出せるか)についての、知ることができる。
問題点は、むしろ、"visiting professor of international renown" というポジションにセルカン氏が何故就くことができたかということだろう。これはあくまで推論だが、2007年度に同じポジションにセルカン氏の研究室の上司が就いていることから、この上司が推薦した可能性も考えられる。
以下、アニリール・セルカン氏著『ポケットの中の宇宙』中興新書ラクレ の内容から編集
・1982年(8歳) : ドイツ国内科学コンテストで「1.FCケルン」のホームスタジアムの照明を太陽エネルギー、風力、水力でまかなうというアイディアで2位に(p14,p15)。授賞式に訪れてきた寄宿学校の経営者に見込まれ、スイスのミッションスクールへ (p15,p16)。寄宿学校近くのスキー場で独学でスキーを始める(p23)
・年不明 (「トルコに帰国後」) : スキーのトルコナショナルチームの選抜テストに飛び入りで参加、ダントツの成績でその場でナショナルチームに選出。
・1987年: イタリア、セストリエルで開催されたU20ヨーロッパジュニア大会の大回転で金メダル(同じ大会にアルベルト・トンバが参加)。 トルコ人として冬季競技の世界大会で初の金メダル。トルコでスキーをやっている若者は全員セルカン氏の名前を知っている。 (p25,p26)。
・1988年(15歳): スキーの回転競技でカルガリーオリンピックに出場、14位の成績(p27)。学校でボヤ騒ぎを起こし退学、ドイツへ帰国。(p19-p22)。ドイツでタイムマシンを製作し地元のサッカースタジアムで実験。観衆が詰めかけ、新聞社やテレビ局などが取材。(p29-p35)
・年不明(「高校卒業後」): アメリカのイリノイ工科大学建築学科に進学 (p41)
・1990年(17歳):アメリカでPPL(プライベート・パイロット・ライセンス)を取得(p56)
・1991年(18歳):シカゴで運転免許を取得(p201)
・1993年(20歳):トルコ国籍を選択 (p27)
・1994年: 練習中の事故で足に大怪我し、スキー選手を引退(p27)。ロータスエリーゼを購入(p201)
・1995年: イリノイ工科大学卒業。ドイツのバウハウス大学建築学科修士課程に進学(p41)
・1998年: 長野オリンピックにナショナルチームのコーチとして参加(p27,p28)
・1999年: バウハウス大学修士課程終了。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻に進学(p42)
・年不明(「東京大学の博士課程にいたとき」) : 鹿島で研修生に。高層建築の仕事に携わるうちに宇宙エレベーターに興味を持つ(p43,p44)
・年不明(「(鹿島で研修生になった)ちょうどその頃」): アメリカのヒューストンで宇宙エレベーターに関するワークショップに参加。「ATAエレベーター」を
発表。NASA関係者の目に止まり、共同研究を持ちかけられる(p45-p49)
・2001年4月: 宇宙エレベータープロジェクトの一員としてNASAに採用される。アドバンスプロジェクトのリーダーに。しばらく東大を離れてNASAで研究(p49)。
年不明(「期限が来て」): NASAのチームを離れ、東京大学に戻る。その後もしばらくはNASAのプロジェクトに関わる(p50)
・2003年 東京大学博士課程終了。JAXAに講師として就職(p52,p53)。
年不明(「(JAXAに入った)ちょうどその頃」)。トルコ人初の宇宙飛行士のオファーを受け、選抜テスト開始(p54,p55)。
・2004年 民間人初のトルコ人宇宙飛行士に選出(p61)。
以上。
カッコ内に年齢が入っているものは、本文中には年齢が表記されていた部分。
誕生日によっては年が前後する可能性があるので注意。