サンチョパンサの憂鬱

夕刻のサンチョパンサ……期待値は悪魔を連れて来る……(2)

ヒトに、コトに、モノに無意識に人は期待値を抱いている……と昨日書いたけれど。

今日……久し振りに連絡を貰った人と暫し話した。
何やら不如意なる不祥事を抱えたのだと。
ま、それはその人に直接降りかかる火の粉とはならないだろう……客観的に観ればそう思えることだった。

理想通り(自分の思いのまま)には行かないよ……俯瞰できる立場から僕はそう言った。

あなたはソロソロ『自分を赦すこと』を覚えなきゃならない所に来ているのだと……少々シッタカしてそういい加えた。
大分、自分を許せる様になれたんです。……
彼女はそう応えた。

でもね?その言葉、ソックリあなたにお返ししますよ……なぁ~んて言われもした。

何事においても『勝ちか?負けか?』の二者択一的な自分への要求。
自分に対するそのキツイ義務感をかつて彼女に何時も色濃く感じていた。
『難儀』な……生き方である。

確かに僕も……かつての窮地においては『負けるもんか!』がよく口をついて出たものだった。
何時もボロボロに負けたけれど……。

それは『自分に対する無理な期待値』のせいである。
有り体に生い立ちを振り返ると貧しくはあったが、朽ち果てそうな図体だけ大きな家の中に『権威主義だけ』が立派に君臨していたと思う。

自分の体験的、実感的な時間から醸成された理想ではなく空気による『思い込み・刷り込み』によって僕は僕に『あらぬ期待値』を設定していたのだと今なら分かる……。

『そういう教条主義的』な空気の中での育ちは彼女にも感じていた……。

理想(思い)通りに行かない自分を赦してやって労ってやって……そして褒めなければね?
そうしていると……自分って『健気だな?』なぁ~んて感じる様になるのだ……と僕は先輩風吹かせて言った。

時には……自分を完全に赦して『自分の本意のみ』を優先して上げる事を『実践する』こと。

自分に対する『あらぬ期待の呪縛』は殊の外執拗に心にへばり付いている。
『大人のイイコ症候群?』そう言っても良い。

人に対しても、自分に対しても『あらぬ期待』を捨て去るのには『勇気を必要とする』のである。

『それじゃ駄目だ!』と自分を、他人を決め付けたい今までの慣れ親しんだ方法との訣別……それは取りも直さず条件反射的に死んでも避けたい!と『忌み嫌ってた惨めとする状態』と友達になることなのである。

貴女は心を酷使に晒しあらぬ要求を繰り返して生きてきた。
身を以て体験したのだからきっと大丈夫だと思う……と僕は言った。

そういう自分への要求の仕方を『諦めなきゃならない頃合い』が彼女にも訪れたんだろう。
その『力み』は無駄じゃなかったと思う。だからこそ疲れる事が出来た。

彼女はここまで中々素敵な人生をあるいているな?……と本当に感じた。
人生はそうやって『諦めて(明らかに極めて)いく旅』なんだと改めて思った。

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