大阪の味園ビル(1956年完成)……様々のスナック、飲み屋などなどが営業している。TikTokで観たからというインバウンドのドイツ人達。カフェというよりレトロな喫茶店の風情がまったりと漂っている。
ミュージシャン(くずれ?)達が集うスナック。
その客の一人、中学の時に学校へ行けなくなった。結果音楽にのめり込み四十才の今も毎日飲む。自分に残っているのは音楽だけと静かに笑う。今日はなけなしの六千円を下ろして飲んでいるという。
明日のライブでCDが売れなきゃアウト!と笑って話す。
八十歳のスナックのママの店。沖縄から集団就職で大阪に。何時もよく虐められたという。
結局、味園のキャバレーのホステスから苦難を超えてスナックを開業。二人の子供を育て上げ一軒家も手に入れた。それが自慢なのだと。このビルがあったから何とかなった……他じゃ絶対に行き詰まってたと明るく笑う。
スナックで飲んだくれる32歳のアイドル。 この人も酷いイジメの末に女の子の夢、アイドルになった。この店は彼女の束の間のサンクチュアリ?そんな意味合いがあるのかな?と感じた。
この店?そうねぇ『どうにもならないモノを集めて入れてくれる器よ』……そう言って彼女は高笑い一つ……。
様々の人達がインタビューに答えていた。
その中に『無傷で今日を迎えている人』なんて一人もいなかった。殆ど人生の致命傷?レベルの『折れた経験』を持っていた。
不思議だった……この人達には何故か?少しも『悲惨さが無いこと』が。
大袈裟に言えば『個々一人ひとりが自分を表現していた』のである。致命傷と言える傷を得ても尚、自分を諦めてはいない無為自然?の強さがあった。
無茶な生き方だなぁ?なぁ~んて最初は観ていたけれど……。若い内に『人生の安心ルート』から迷い落ちた人達。または強制的に外された人達。今もきっと苦しいことも多々あるんだろう?
しかし『自分が見付け決めた生きる方法論』を『自分の名において一人で請け負っている潔さ』が彼等を瑞々しくさせているんだと気付かされたのである。
当たり前の話だけど……人は一回生まれ、一回生きて、そして一回死んでその人生を終える。
知らず知らずの内に……僕は僕じゃないモノ、権威とか?ガッコや親や世間の刷り込みとか?周囲の視線によって『人や世間を見る視界』が病的に損なわれてしまっていたんじゃね?と思った。
どんな状態であれ?条件であれ?そんなのどうでも良い。
大切なのは……自分の思いで自分を背負ってるかい?ってことなのだと強く感じた。
彼等は日和る事さえ出来ない。日和る先がないから。既に周囲の視線などとっくに彼らから遠く離れ気にする必要さえない。
その条件の潔さが彼等の住む世界から不快な湿度を取り払っているのである。
彼等は他者に何一つ譲歩など要求しない。
人の意欲を吸い取ることもない。
彼等は安い酒に酔い、笑い、時折自分を自虐的に扱ってはいるけれど……決して自分を諦めてはいないのである。
♫〜♫甲本ヒロトの『リンダ・リンダ』の一節
♫……ドブネズミ見たいに 美しくなりたい
写真には映らない 美しさがあるから……♫