♫……僕は壁を作った 何者も通さない
険しく強固な要塞を。
友情など要らない 友情なんて苦しいだけ
それは僕が軽蔑する類の、笑いや愛さ……♫
♫……僕には自分を護るための本や詩があるんだ。
僕は鎧で守られている。自分の部屋に身を隠し
安全に包まれている
誰とも関わらなければ、誰も関わってこない……♫
僕には本や詩があるんだ!の一節。コレをゲームとかSNSに置き換えたらまんま今の時代の若い男達そのもの……。
この曲と同時収録されてた『サウンド・オブ・サイレンス』が日本で実際にヒットしたのはそれから二年後の1968年だった。まだまだ高度経済成長の只中にあり『夢はあった時代』だった。
主題歌に使われた映画『卒業』……。そのラストシーンのダスティン・ホフマンの強張っていく表情を思い出す。恋人を結婚式場から奪い返しバスに飛び乗ったあと……。
ハッピーエンドから始まる筈の彼の未来。しかし、このラストシーンは未来の彼の苦悩を想像させて終わる。彼は一体何から『卒業』し、何処へ向おうとしていたのか……?
♫……愛なんか語らないで 過去にも聞かされた言葉さそれは記憶の底で眠っている。 死んでしまったその気持ちを蘇らせるつもりはない。……♫
♫……愛さなければ、泣くこともないんだ……。僕は岩 僕は島 岩は痛みを感じない 島は泣いたりしない……♫
既にその時代……男女は性のタブーを取っ払って『愉しんでいた』……。性の享楽は何時も側にあり手を伸ばせば直ぐに楽しむことは可能となった。だからこそ『真剣に愛すること』を殊更に美化しなきゃならなかったのかもね?そして……皮肉なことに人を愛することを怖がるようになった。
セックスなんて挨拶の延長?という風潮の下で……人々の現実の心は『自分が傷付くことを極端に恐怖する』のである。昔から人間は傷付き挫折する中で学び成長してきた。劇中、ダスティンホフマンは中年女性とセックスを謳歌しているけれど、酷く甘やかされた環境に育ち『心は未熟で幼稚』である。
『避恋』、『避婚』、『避交流』……こんな風潮って今日明日の命の心配をしなきゃならない状況では発生しない。物質が行き渡り文字通り『食べることは出来る』と保証される環境で出てくる。
映画のダスティン・ホフマン君は甘やかされた青年である。その癖一流大学という肩書きが彼の自負心を支えている。コレは?今の時代の日本の若者と酷似している。
『自分を賭して行う経験』が不足しちゃっている。不足させてしまう位には親の経済に余裕がある。昔、そんな若者をサファリパークのライオン君だと書いた事を思い出す。
『苦学生は強い?』というのは当たり前かもね?彼は『自分の意志で高い学びを取りに行っている』からである。『与えられるモノ』って身に付かないのである。
人間が人間の真価を問われている?そんな気がするのである。『意志までを含めた人間の能力』を全開にしないと長い人生を走り切れない時代……。それこそが『人間の生命力』って奴なのだと思い至った。
カネ・コネなんてのを持ち出しての小賢しい立ち回り上手だけでは圧倒的に過不足を来すのである。先ず『自分を頼ること』が出来なきゃ『話にならない時代』……それは既に50年も前から始まっていたのである。
何を以て先進国と呼ぶか?……形而下の物質的評価だけでは計れない時代。それは遥か昔から始まっていた?ITとかを犯人に仕立て上げても、的を大きく外していたんだと苦笑いしきりの顛末でした……。