しかし、昨今の余りに幼稚で子供じみてる下らない騒ぎに……今一度!と思った次第。
松本人志に至るまで……幼稚な破廉恥騒動に辟易となったのである。誰々と此れ此が不倫した?Hした?
昔なら中高生でも興味を動員することもなかったスキャンダル話。
昔の中高生の男達は人のことより自分が『セックスの扉を開けること』に夢中だった様な気がする。
他人ニュースより何をおいても自分ニュースに夢中になってたのです。
まるで戦時中の隣組?と思わせる『相互監視社会』……便利になった?と皆が飛び付いたSNSによって『下世話な連絡網』がその幼稚社会に拍車をかけてる。
名古屋では教育の元締め、教育委員会の人事権を握る部署に校長会を初めとする教員組織がせっせと『上納金』を収めてたとか?毎年二百万円超のおカネである。 何に使ったのか?その素性の悪いカネ……。
コト、ここに迄至ったか?の状態……。
教員の多くが、イジメ事件一つ無かったことにするのに夢中?なのはそういう教育会の文化?風潮が支配的なんだね?と今更ながら…納得である。
『なぜ?駄目なのか?』より『どうすれば?良くなるか?』を考えるのが大人の態度だと思ってたけれど……。
こりゃもう行くとこまで行って自ら瓦解して頂く以外に手は無いのかも……?
フランスが次々とやって来る難題に対処出来るのは一重に『大人の国』だからなのか?
ミッテラン元仏大統領がクリントンの『葉巻事件』をどう思うか?と聞かれ……アメリカじゃ『そんなこと』が問題になるのかい?
フランスで『そんなこと』問題にしたら閣僚は一人も居なくなっちゃうけどねぇ?……と応えた話。
大人ってのはどこやらの国の教育関係者の様な安っぽいスーツ・ネクタイして人間なら出来もしないキレイ事をくっ喋る事じゃないのである。大人ならすぐ見破れる『幼稚な程度の悪さ』である。
今や教員が巻き起こす性的事件も不祥事というより日常茶飯事となってしまったのは子供が大人を演ってるからなんだと思う。
大人の第一条件は自らの不徳、至らなさを深く知っていることである。
ソレ(不徳・悪徳)をお互い認め合うからこそ『良くする為に何が必要か?』を洗い出せるのである。
綺麗事は人を息苦しくさせ、諦観・絶望を導くだけである。 僕の住んでる地方都市では毎年夏に平和の鐘が鳴らされる。
誰も反対出来ない『反戦・反核』がお題目として唱えられる。
今回、遂にこの都市は人口流出のニッポン一を勝ち得てしまったのは……知事も市長も、そんな綺麗事さえ演っとけばOKとしてエイエイと過ごして来たからである。後は寄らば大樹の陰とばかりにそこに群がる利権派の方々。
河合某がおカネ配りまくって、貰いまくった地方政界の図。何やら綺麗事ばかり喋り過ごして来た名古屋の教育会とシンクロしちゃうのである。
自分の汚れを知らぬ者は人を息苦しくさせ、遂には自らも腐敗するしか無い。
『自らの汚れを知る者』のみが人の汚れ・社会の汚れに有効な『対策』を策定実行出来るのだという当たり前……。
そんな当たり前すら知らない人間は身体のみの『大人の様な者』に過ぎないって事である。
知名度とかカネを権威と勘違いする様なお笑い芸人を天才と持ち上げ持て囃し……乱痴気騒ぎ一つ知れたら……『なんて奴だ!』とばかりに叩きに入る?……正に餓鬼の振る舞いそのものなんじゃね?
ガーシーって綺麗事持ち出して『アイツは許せん!』なぁ~んて演ってたよね?
『嘘臭くて醜悪そのもの』だったよね?
今の教育関係者の振りかざす正義なんて、ソレと大同小異でしょ?
今更ながらだけど……ねぇ?みんな大人になりましょうよ。
大人になったら随分と楽になるよぉ〜。
出来もしない綺麗事を出来る振りなんかしなくても良いし。
振りや演技じゃなく、自分が過ごす一日が『何かしらの意味』を実現して行くってね……ホントに楽しいんですよ……。