動き回り挙げ句の果てにパニックというのが定番の遭難事故だ……。
本能的なものかも知れないけれど、どうして良いか分からなくなった時、僕はピクリとも動けなくなる。
大変な時なのに……である。
窮地に陥り、事態が絶望的となった時に、酒をしこたま呑んで酩酊してウサを晴らすって人を良く見かける。
羨ましいと思う。
自分にもそういう大まかな適当さがあれば良いのに……と思うけれど絶対に無理なのである。
これだ!という道筋が見えたら途端に活動的となり一気呵成に攻め込んでいくんだけど……。
どうしても誤魔化し様がなく、じぃーっとしたまま何日間過ごす時もある。
最近になって、そりゃ正解だったんじゃないの?と思う様になった。
すぐ走り回れば気は楽になるだろう。
『何かやっている』という安心感もある。
しかし、その方法論はジリ貧となる。
誤魔化しは誤魔化しだから一時痛みを消す為に麻酔を打ったような効果しかないのである。
差し迫った状況で動かない!というのはホントにジリジリするような辛さがある。
これだ!というアイデアはそんな時にしか出てこないのも不思議な事だけど……。
後になって画期的な方法として残るのは必ずそんな時に始めたものなのである。それだけシリアスに考えたものだからなのかも知れないけれど。
シリアスだからこそ、本能的に慎重になれ!動くな!と命じて来るのかな?
それは自分が事の重大さを知っているからだろう。
そんな時、動いてはいないけれど必死で『状況を読んでいる』のだと思う。
何がどうなっているのか?……と。
何もしないで『止まったまま動かない』(僕の場合動けないんだけど、)それは動き回り、忙しく立ち働く事の何倍もキツイ。
忙しさを殊更強調し、アチコチ動き回ってる人は、ホントは忙しくなんかない。『忙し振ってる』だけなんだと思う。
動かず止まって、問題と正対するのは恐ろしく緊張し疲れるのである。
動き回ってる人は既にその時、『これだけやったんだ!』というエクスキューズを先回りで用意してるのかもね?……と僕は看破したのだった。
昔、そんな場面で動き回ってる奴等に進捗状況を聞いたとき全く何一つ片付いてはいなかったのである。
彼等は口を揃えて言った。
何もしないより良いだろう?……と。
僕は言った。
その前に何をしたら?どうしたら為になるか?……を先に考えてからにしてくれないか?……と。
彼等は一斉に恥の表情になった。
彼ら自身、何の足しにもなってない事を分かった上でエクスキューズをつくってたんだ……とその時思った。
人生は短い……。
駄目と分かっている事に手を染める時間は無いのである……。
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