誰もがそれを知っていて、しかし誰も口にするものは居ない。
先日、友人と話していて……『大変なんだ!忙しいんだ!』なぁ~んて大袈裟に騒いでいる人間達は実は『そう見せている?』だけ。
自分がエネルギーを目一杯出力してない事を隠して殊更に騒いで見せている。
そんな人は皆さん『大変劇場』しているだけだよね?……そんな話をした。
現代ニッポンの殆どの人間は『少人(しょうにん)閑居して不善を為す』状態にある。
表面の演技をよそに、『暇してるという本当』をキーワードにして世相を見渡せば、実にシンプルに人の本性、本音が浮き上がってくる。
チャレンジを止めた人間は恐ろしく暇になる。
暇になると『ひどい退屈』がやって来る。
仕事の実態は『時間の切り売り』が本当の所であり、乗るか?反るか?なぁ~んて危機はありようもない状態になる。
何一つチャレンジの刺激がない状態は人にコンプレックスをもたらし、それは引け目となり後ろめたさ?そんな負のメンタルに支配される様になる。
すると目的を具体化出来ない人間は、日常的に『自分より恵まれない存在』を絶えず探し回っている状態に陥る。
コレは、日本人の多数派に共通する心理でありながら誰もそこには触れない。
仕事を通して先を望める。豊かさが増すであろう未来が想定出来た時、日本人はとてもポジティブに生きる事が出来た。
正直で真っ直ぐな『欲得の心』が日本人の大多数を健全に導いていたのである。
既にこの国、ニッポンは輸出立国ではなくなった。
ニッポンの利益の八割は『海外への直接投資』が稼ぎ出す『投資立国』となれば、大人数の雇用を保証した製造業というモノは幻想となってしまったのである。
カネを目安にした『良くなる目標』は設定しても虚しくなるだけ。
んじゃ?経済に変わる『人生を良くする目標』なんてその姿は一向に見えて来ない状態……。
それが……この国の人多く、自分が良くなったと錯覚出来る幻想にウツツを抜かす様になった背景である。
シャーデンフロイデ、スパイト行動、ルサンチマン……『他者の不幸・マイナスを自分の悦びとする心理活動』が世界の中で飛び抜けて目立つ
国民になってしまったニッポン。
『安定した職業なのに?』何故そんな馬鹿な破廉恥沙汰を起こすのだろう?……と『真面目な人々の犯罪』に驚いている小市民の善人然とした人々……。
自分の心中にも同じ構造の『流行り病』が仕込まれていることには殊更に無頓着を決め込んでいる。
人の心はカネの計算ほど『スッキリ割り切れない』という厄介で、良くも悪くも奥深い。
ある日突然?かの様に見える『安定した職業(ガッコのセンセとか警察官、公務員)の犯罪』が多発している。
一見、計算が合わない?余りにも割が悪いその行動は……世間の皆で演ってる『上手く行ってる劇場の同調圧力』に人間の心が限界点を迎えた所以である?
という観点で考察すれば……至極当然の結果だと僕は考えている。
善人然とした多数派の『無邪気な悪意』は、今や下は小学生から上は高齢者に至るまで犯罪の領域に滲み出し命の破壊にまで精を出す様になった。
かつては『固定的な仕事』が確保されていた。それ故に余暇としてあった無邪気な悪意の活動・イジメが……『未来を想定出来ない流動的仕事』に変化した為に、唯一の刺激として四六時中化し人の心のメインを占める様になってしまったからなんだろう……と思う。
塾の更衣室、トイレや側溝にカメラを隠して少女や若い女のパンツを盗撮したりする面倒くさい作業。
それを嬉々として演ってる安定的職業?とされる『普通の方々』の姿を想像するとき……スリラーが日常化している事に気付くのである。
アンソニー・パーキンスが主演した映画『サイコ』……今やこの国の津々浦々、至る所の街中(まちなか)の日常を穏やかな笑みを浮かべ無数のあの主人公が歩いているのである。