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サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓(178)自分の情報に無知なる人は……他者攻撃に取り憑かれる

『感じ取る能力』ってのは他者に関する情報を拾う時とても有効に機能する。

テレビ画面で一瞥をくれるだけで、トランプなんて人となりのかなりの部分を感知する事が出来る。
そして恐らく、『その情報』は当たらずとも遠からず、彼に関する情報の近似値を把握しているのである。

客観的に『自分はどういった類の人間か?』を説明するのに何故か?トランプの様なガサツでデリカシーも人品もない人間を一人参加させるととても『自分の話』をスムーズに進めることが出来る?と感じるのは何故だろう……?

下世話で下品で品性宜しからぬ彼と対比させると自分の気持ちはとても軽くなり、自己分析はとてもスムーズに進むようになる。

『人の事はとてもよく理解しているのに?』自分のことに関しては『自分はどんな人間か?』纏めようとすればするだけ曖昧になって散らかって行くのである。

『自分の汚さ』に付いて理解が深まれば深まるほど他者に対して寛容の度合いは増し慈しむ事が出来る様になるのは不思議だ。

根拠のない憎しみを用意して、その対象者達を悪しざまに非難中傷を浴びせて攻撃するヘイトクライム。
コレを防ぐには、フロイトは前頭葉による『自己の文化的把握』することしか無い。と言っている。

同様にピカソはソレを『文化の力』で以てしか防げないと予言しているとか。

他人に対する非ぬ非難中傷攻撃を演ってしまうのは……肝心の自分に対する『前頭葉による自己の存在確認』(認知作業)が不完全だからなのだということに帰結するのである。

今回……健康を手酷く損ない、嫌が上にも『自分という存在』について考えさせられた。

他者に対する非難中傷が如何に醜く映るものか?
一重に人の事は分かりやすく、誰でも何の努力も必要とせずチャッチャと繰り広げられるからである。

人としての完成度低く……他者のことなんぞ構ってる暇なんぞ無い?……そんなスタンスで自分と向き合っていれば『自分を見誤り読み違えること』なんて絶対無い。
ましてや自分を放置して、他者の非難中傷にばかり感ける様な無様には陥る筈もなく。

健康を損ね、『当たり前が当たり前に運ばない?』そんな不都合、不出来を抱え込んで数カ月過ごす内に……『見えて来たこと』があった。
それは『自分は自分を見ていない』で『人の事ばかり見ていたんだ?』という事だった。

『自分の無知振り』を知る旅はトランプの至らなさを発見する事ほど楽じゃない。
何度も何度も見ない振りして、誤魔化しきれなくなってやっと一つ渋々認める?そんな稚拙な運びである。

トランプがそうである様に……トランプ以外の人達はとっくに彼の人品の無さなんて見破ってる。
と言うことは僕が如何に画策したって僕のイケてない人間性は既に広く人様の知る所なんである。

『知らぬはおマヌケな僕だけなのである』……少しでも僕は僕のことを『知ってやらなきゃ……ね?』……僕が生きて行くのに?人の悪口?なんて一切必要ない。
僕はこれから必死に自分の悪口の収集家にならなきゃならないと本気で思う様になった。


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