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サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓(232)一人で居ても自分を誰かと比較している人達

自分が何時もお留守の人……が増え過ぎじゃないか?……と思う。
寄ると触ると自分じゃない『誰かの話』ばかりしている人……。

それも根掘り葉掘り?ってな様子で微に入り細に入り矢鱈詳しいのである。
しかし、その人が自分自身の事を喋っているのは聞いたことが無い。
『あなたはどう思う?』と聞けば『私も』〇〇さんと同じですと応じる様な人間である。

それはもう『同調圧力』云々の領域を大きく踏み外して『滅私状態』で国へ年貢(税金)を納めるためだけに生きている?そんな『滅私状態』まで進んでいる。

SNSのある記事。
教師と言えど人間であるから、どうしても生徒の中に自分とそぐわない人間がいる。
余程、注意しないと『自分のある種の嫌悪感』って奴が生徒達に『空気感染していく』のだとあった。

尤もらしい理由は後から幾らでも付けられるけれど、学校のイジメの殆どはその『教員が抱く嫌悪の空気』がベースになって始まるらしい。

その記事は大学の教育関係の方が書いていたけれど……教える技術なんてのはある意味どうでも良いのだと。
その『嫌悪感を抱かない』様にするだけで、教育はとても健全に捗り運ぶものだとあった。
それくらい人間は幼い内から『人が放つ空気に敏感に反応する』のである。

そんなシリアスで鋭敏に張り詰めた空気の中で過ごす内に、彼等は『自分の気配を消す訓練』をするんだろうなぁ?と思いながらその記事を読んだ。

そして勿体ないなぁ……と痛切に感じた。

折角、この世に生を受け生まれ出た命が、元来その人間が持つその人独自の力を出させない様に封じ込める大人達がそれだけ多く存在する。
だからこの国の津々浦々には残酷なイジメが吹き荒れているのである。

それはイジメに及ぶ子供達に原因があるんじゃなく……人間性貧困な大人達にその罪はあるのである。
自分より若い、幼い存在に対して否定的に応じる事は……『人の自然な姿』ではない。

『自分を表現すること』に逡巡・萎縮している大人達自身が『自分の本来を取り戻すこと』……そこにこの国の未来は掛かっているのである。

この国は……既に限界を迎えている。成長どころか衰退し瓦解する危険が現実となっている。
事あるごとに『財源が……』と呪文の様に繰り返すしか無い無能なニヒリスト達が行き詰まる事は…想定の範囲内という段階である。

『自分の罪に気付けない彼等』は想定通り瓦解の未来に任せるしかない。
希望は今を生きている子供達にしかない。
『比べること』は自分の未来の理想と今の自分の現実にしか意味はない。
その事を何とか彼等に教えて行く様に生きたいよね?

ある意味『自分が出会う不適合の人間』こそが自分の存在の価値を教えてくれる関係にあること……。
決して自分を『相手仕様』にアップデートするのは勿体なさ過ぎる。それは自分の存在の意味そのものを窒息させる自殺行為なのである。

人の世を生きるのは確かに怖い……。
しかし自分でなくなることはそんな恐怖とは比べ物にならない危険な生き方なのである……。


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