azusa flutter

ayami yasuyhoのダンサー・栃本あずさが時々思ったオモイ。

ProtoType secondを終えて。

2016-11-16 | 稽古日誌
11月3日に公演しました「proto type」を終え、京都公演に向けて進んでおります。

日々思考が変化し、日々身体が変化し、日々呼吸をし続け過ごしております。

京都公演の「proto type」がまたどのような作品になっていくか!、私自身も

楽しみで、稽古に励んでおります。


「proto type second」、神戸の元町高架下、プラネットEartHでの公演でも私は

いろんな想いに触れることができました。

作品は今私に必要なことを身体の中に染みわたっていくように教えてくれます。

作品は観ている方にも今その方に必要なことを伝えようとしていると思います。

作品はけして何かを伝えてわかってほしい!!と、訴えているのではなく、

踊る側、見ている側どちらにも作品は伝えます。そしてそれを感じるのは体験しかなく、

作品に期待したり、望んだりしない身体が空っぽで欲がなくなったとき、

作品の伝えたいことがわかってくると、私はそう思います。



protoとは何か?私の原型とは何か?

今回の稽古でよく考えたことでした。

稽古を積み重ね、本番前日にこんな思いに触れました。

私の原型とは。

それは自分が行っている呼吸を信じること。

そこから私の踊りは始まる。

自分が息を吐き、息を吸う。

このことを疑いもなく信じて続けること。

そこからしか始まらないこと。

体感する音と共に自分の呼吸をその音にリンクしていく。

自分は音を吸い込み、音を吐く。空気を吸い込み、体内のうごめいたものを吐く。

1つ1つ、ごまかさないではっきりとその行為を信じて動いていく。

そこには不確かな生き物が浮遊する。

その生き物に期待しない。けして望みをかけない。想いを寄せない。

ありのまま、そのままをとても繊細に感じていく。受け止めていく。

音は空間に響き、私の身体は動く。けして自由ではない。身体が私を超えて動いていく。

その動きを冷静に観察していく。

次々に生まれてくる動きに期待しない。

次々に生まれてくる動きを望まない。

ありのままを全て受けいれる。


そんな公演でした。

いろんなことに感謝し、次へと進みます。



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