
2018年、12/24(月)~30(日)に開催した、僕の作品展「ちひろdeアート」。
「【お知らせ】ちひろBLUES作品展「ちひろdeアート2018」開催します!(12/24~30、ちず屋の2階)」
5日目、12/28(金)には、作曲・編曲家の32方位さんとトークイベントを行いました。
「12/28(金)、「ちひろdeアート2018」5日目、終了しました!」
というわけで、トークの書き起こしを公開します。
ちひろBLUES作品展「ちひろdeアート 2018」5日目
(2018.12.28 ゲスト:32方位さん)
ちひろ 「ちひろdeアート」5日目、ゲストは32方位さんです。
32方位 こう見えて音楽が出来ます。32方位と申します。よろしくお願いします。
ちひろ よろしくお願いします。
32方位 昨日、お疲れ様でした。
ちひろ 昨日はお客さんとしても来ていただきまして。
32方位 cana÷bissの桐亜さん。お客さんたくさん来ていて。昨日でいっぱいいっぱいになって今日で発狂してくると思ってたんですけど、まともだったので安心してます。
ちひろ 今日は午前中、精神科も行って来たので。月一の診察がちょうど今日でした。ハハハ…ゲストの方、色んな方に声かけてるんですけど、実は最初に声かけたのが32方位さんだったんですよ。
32方位 そ、そうか…
ちひろ 今年1年とか、この4年間で出会った面白い方を招いて色んなお話ができたらいいなと思ってたんですけど。
32方位 面白かったらもっと売れてます。
ちひろ ハハハ…でも、昨日のツイキャスを見て、今日来ていただいたお客さんもいますから。
32方位 今までのビュー数で一番多かったんでしょ。
ちひろ 人生のツイキャスで一番多かったですね。
32方位 でしょ。
ちひろ 面白い方を呼ぼうって思った時に、断られたりもするんですよ。オファーしたけど出られませんって言われることも結構多くて。この日だけ決まらないって日に、誰か呼べないかなって思った時に、僕アイドルが好きなので。
32方位 大好きだよね、新潟のローカルアイドル。
ちひろ 詳しいことは昨日話したりもしましたけど。
32方位 何がすごかったかって、新潟にいる面白そうな人って言って、桐亜さんとかどう考えても面白い人じゃないですか。その人の生い立ちとか、どういうプロセスがあって今のメンバーになったのかとかって、それを聞く人もいないし、文字化もされてなかったから。
ちひろ 確かに。
32方位 多分、古参のオタクの人達はみんな知ってるけど、そこだけで回ってるだけで。
ちひろ 狭い世界の中だけで。
32方位 その外側にいる人、僕なんか全然分からなかったから。昨日の、もともとバンギャだったんでしょ?
ちひろ バンギャというか、踊ってみたですね。
32方位 でしょ。で、もともとメンバーの追っかけだったんでしょ。願いが叶ってあそこに入ったっていう。
ちひろ cana÷bissのりっすんさんですね。今は同じグループっていう。
32方位 そういう話を、すごい知りたかったので。
ちひろ ああ、やれて良かったです。僕自身、気になってて、桐亜さんが。アイドルの話聞くなら、桐亜さんだと思って。
32方位 気になる。目が離せないですよね。ハハハ…
ちひろ で、実は32方位さんにオファーしてやり取りをしながら、どんな話をしたいですかとか色々聞いていく中で、「桐亜さんどう思いますか?」とか相談に乗っていただいたり。
32方位 ハハハ…
ちひろ 実はこのイベントをやるに当たって、結構相談に乗っていただいていて、本当に助かっています。
32方位 ちゃんと下調べをして、桐亜さんが「わーすごい」と喜んだから、心を開いてくれたんだと思うし。
ちひろ ネットストーカーと紙一重ですけどね。
32方位 いやいや…どこで初めて会ったんでしたっけ。
ちひろ あ、32方位さんと。話の進め方が上手いですね。どうして32方位さんを呼んだかと言うと、もともと僕が一方的にTwitterで知ってたんですよ。
32方位 そうなんですか。
ちひろ 何でかと言うと、NSTが毎週金曜日にやってる「八千代ライブ」って番組があるじゃないですか。
32方位 面白いですよね。
ちひろ 面白いですよね。僕も大好きで、毎週見てて。覆面ネーム、ハンドルネームじゃなくて。
32方位 ラジオネームじゃなくてね。
ちひろ MCがスーパー・ササダンゴ・マシンさんだから、覆面ネームで、(覆面アンケートを)送ったりもするし、実況もするし、って中で、32方位さんが結構読まれてるなって思ったんですよ。
32方位 あれね、1回目から皆勤賞です。
ちひろ 本当ですか。32方位さんだけじゃないですか。
32方位 他にもいると思いますよ。で、今、(ステッカー)13枚まできました。
ちひろ 13回読まれたんですか。すごい。僕まだ、3回か4回ですね。
32方位 僕は、採用されようとか、ステッカーを何が何でももらおうとか、そういうのじゃなくて、普通に文章の練習をしようってことで、読まれるのだけが目的じゃないんですよ。
ちひろ なるほど。で、話を戻しますと。32方位さんのことを、僕が一方的に知ってたんですよね。で、そのあとに、今年の夏くらいにシネ・ウインドで、古泉智浩先生、新潟の漫画家さんですけど、「チェリーボーイズ」っていう漫画が映画化したんですよ。古泉智浩先生、もともと映画が大好きということで、新潟映画塾っていう新潟のインディーズ映画を作るところがあるんですけど、そこにも所属されて映画を撮ったこともあって。それを、「チェリーボーイズ」に合わせて上映しようっていう上映会があったんですよね。僕それ全部観たんですけど、「チェリーボーイズ」じゃなくて、昔の古泉智浩先生の自主映画を観たら、エンドロールに「音楽 32方位」って書いてあって、あれ、あの32方位さん?って思ったんですよ。その時に会場にいらっしゃってて、舞台挨拶にも出られてましたよね。
32方位 はい。
ちひろ そこで初めてお話したんです。
32方位 僕も何となくちひろくんは自撮りが多いしTLに出てくるから、この人だと思って、お声掛けをしたんです。
ちひろ ありがとうございます。あと、結構色んなところで今年はお会いしましたよね。
32方位 Negiccoの朱鷺メッセの15周年の会場でも。
ちひろ そうですね。終わったあとでご飯食べて帰ったり。
32方位 Negiccoのファンって不思議ですよね。終わったあとに新潟駅まで、緑色のタオル巻いてみんなで上機嫌だったでしょ。
ちひろ NegiccoのTシャツ着て、歩いてると、「あ、ネギヲタ!ネギヲタ!」って。
32方位 そうそう。で、みんなで「イエーイ!」って本当に言ってたでしょ。
ちひろ 言ってました。「今日お疲れ様でした」って言い合って帰りましたもんね。
32方位 そうそう。あれは異常な風景だったな。
ちひろ あとは、会田誠さんの講演会でお会いしたりとか。
32方位 行ってましたね。
ちひろ あとは、乙女座長☆銀河団さんの5周年ワンマンライブとかでも。
32方位 ゆでたまごさんが卒業される。卒業公演はやっぱり、色んな表情が見られるから見ておこうと思って。
ちひろ 今年は会うことが多かったですね。
32方位 多かったですね。
ちひろ また、熱い場所で会いますよね。Negicco15周年!会田誠!ゆでたまご!っていう。
32方位 そうそう。良かったなーって帰りに言えそうな興行とかすごい見に行ってますね。
ちひろ 終わったあとにお話をすることも増えて。そうすると、32方位さん、僕からすると、本当に色んなカルチャーに詳しい方だなと思って。音楽だったりプロレスだったりお笑いだったり。ちょっと、この人のお話を是非どこかで聞いてみたいと思って、今日呼ばせていただいたんですよ。
32方位 そうだったんですか。よろしくお願いします。
ちひろ で、ですね、32方位さんのルーツだったり、今好きなカルチャーだったり、そういうものを色々聞いていけたら面白いかなと思ってるんですけど。まず、10代の頃、新発田のお生まれって聞きましたけど、どういうものに出会って育ったのかなというお話から聞いていけたらと思います。
32方位 一応、今日の肩書き(作曲・編曲家)なんですけど、音楽やってたっていう文脈で言うと、10歳の時に初めてギターを始めたんですよ。
ちひろ 小学校4年生。
32方位 きっかけがね、当時の新潟のテレビのNT21(現UX)で「M.M.CLUB」っていうローカル番組。棚橋和博さんっていう、ジョイフルタウン(月刊にいがた、Pas magazineなどを発行している新潟の出版社)にいる方なんですけど、その方が構成と司会をやってる番組で、解散したBOØWYの特集やってたりして、それを見て子供だからギター弾いてる布袋さんをカッコいいなと思って、それでギターを始めたって感じだった。
ちひろ なるほど。BOØWYの解散って調べたら1988年だったんですけど。
32方位 じゃあ、まだやってたかな…ギリギリのくらいだったと思います。
ちひろ 解散するかしないかのタイミングで。
32方位 うん。人気があるんだなって感じが当時したし。新聞の一面広告で解散情報みたいなのがバーン!って載った時に、わー!って思ったのを覚えてるんですよね。
ちひろ なるほど。それで布袋さんに憧れて。
32方位 ずっとギターいじってましたね。
ちひろ エレキギターですか?
32方位 フォークギター。お父さんが持ってたやつを、ずっと置きっぱなしだったんだけど、それ持ち出して、お母さんに弦買ってもらって、それで始めた感じでしたね。
ちひろ そうだったんですね。じゃあもう、10歳から音楽少年みたいな。
32方位 うん。ずっと何回も聞き直して、テープを巻き戻して、やってましたね。
ちひろ カセットテープの時代ですよね。
32方位 そうそう。でもそのあとに、確か中学か高校くらいで、フリッパーズ・ギターが出てくるんですよ。
ちひろ 渋谷系の時代が。
32方位 (渋谷系)と言われる前。解散したあとに渋谷系と言われると思うんですけど。91年解散だから。
ちひろ じゃあ、80年代の終わりから90年代の頭にかけて。
32方位 そう。新発田って大きな工場があったから、ブルーカラーが多い町で、そんなに文化的な町じゃないんですよ。ヤンキーばっかり。で、ヤンキーはみんなBOØWYとかそっちの方にいってて。
ちひろ なるほど。当時、BOØWYってヤンキーの人気やっぱりすごかったんですか?
32方位 うん。永ちゃん(矢沢永吉さん)のあとみたいな感じだったと思います。
ちひろ そうなんですね。
32方位 そっちにはちょっと乗れないなと、暴走族にいけないみたいな気持ちがあって、ヤンキーみたいなのはちょっと嫌だなっていう。
ちひろ じゃあ、80年代、90年代って新潟って暴走族とかがバリバリいた時代。
32方位 いたっちゃいましたよね。
ちひろ そうなんですね。
32方位 それよりもフリッパーズの方が、センスがあっていいなあと思って。センスが大事だと思って、ヤンキーの方には流れないぞという気持ちがあって。
ちひろ 俺はフリッパーズだぞと。それが中学、高校くらいであって。
32方位 うん。
ちひろ じゃあ、ずっとギターを中心に音楽を。
32方位 ギターと、あとリズムマシーンっていうのがあったから。
ちひろ 宅録。
32方位 うん。自分で録り始めることをやってましたよ。
ちひろ そういうのって、どうやってやるんですか?パソコンとかない時代ですよね。
32方位 MTRっていう、4チャンネルの、カセットテープで、自分でドラムのチャンネル、ベースのチャンネル…っていうのが、ありましたね。
ちひろ へえー。それで宅録を。
32方位 宅録すごくやってましたね。世代的にそういう世代です。ロッキンオンジャパンとかでも、宅録のアーティストが出てくるっていう感じの時代。
ちひろ へえー。
32方位 それが90年代の頭くらいに。
ちひろ なるほど。じゃあ、そんな感じで新潟で、BOØWYに出会ってギターを始めて、からのフリッパーズへの流れ。
32方位 当時の新潟の音楽シーンがね、やっぱり多分、RISKY DRUG STORE(ビジュアル系やインディーズバンドを中心としたCDショップ)があったからだと思うんですけど、ビジュアル系とかそっちの方が強かった印象ですよ。
ちひろ RISKY DRUG STOREって、調べたんですけど、2012年に閉店してるんですよね。僕、高校卒業してから新潟を離れてて、2011年に帰って来てるから、ちょうどRISKY DRUG STOREを知らずに過ごしてて。
32方位 僕も高校の頃、何回も前を通ったんだけど、なんか怖くて入れなかった。
ちひろ ハハハ…やっぱり、ビジュアル系バンドだったり。
32方位 ヤンキーっぽさがすごく嫌な人間だったんですよ。
ちひろ 何ですかね、僕もちょっとその感じ分かりますよ。
32方位 暴走族にいかないけれども、反体制みたいな。フリッパーズ・ギターも基本的にはパンクの人だったんで。
ちひろ あ、そうなんですね。
32方位 うん。お洒落とか思われてるけど、基本的にはやってることはパンクだったね。
ちひろ パンクって、ジャンルっていうよりも、思想的な意味でのパンクですか?
32方位 思想というか態度だと思いますね。
ちひろ 態度。なるほど。
32方位 で、そっちの方が好きで、そういう人達には、WOODY(古町のライブハウス)とかで。
ちひろ 古町6番町の。
32方位 そう。あそこで、ギターバンド、ブリティッシュロックとかの方が僕には良くて。当時のファンジン文化、ファンが自分でアーティストに近付いて雑誌を作る。今のちひろくんと同じ。インタビューして、それを記事にして、本にして、中古レコード屋さんとかで売るっていう文化が。
ちひろ へえー。そんな文化があったんですか。
32方位 そうそう。
ちひろ それは新潟だけじゃなくて、全国であったんですか?
32方位 もう、どこでもあった。でも、下北とかそういうところじゃないかな。
ちひろ なるほど。
32方位 だから、基本的にちひろくんと同じようなことをやってるのが、ずっとあるっちゃある。音楽とか、そういう界隈で、そういう文化があったんです。
ちひろ そうだったんですね。
32方位 そういう人達はみんな、古いレコードとかをたくさん買って、聴いて、それこそ渋谷系文化の流れの中の人達が集まってるっていう一帯がありましたね。
ちひろ 新潟だと、キングコング(中古レコードショップ)とかも当時からあったんですか?
32方位 ありました。
ちひろ 今、ローサにありますけど。
32方位 あと、ブラックライオン(当時新潟にあったレコードショップ)っていうのが、今、NGTの劇場になったるところに。
ちひろ ああ、万代の。当時ダイエーですかね?
32方位 ダイエーの隣に、YAMAHAの楽器店とかがあって。
ちひろ ああ、ありましたね。シルバーボウルとかあったところですよね。
32方位 そうそう。あそこに中古屋さんがあって、そういうところにみんなで通ったりとかしてたな。
ちひろ へえー。当時を知ってる人には懐かしい話かも知れないですね。
32方位 うん。その中でも、新潟のギターバンドで一番名前があったのが、今、RYUTistの曲を作ってる、EXTENSION58の鈴木恵さん。
ちひろ はいはい。
32方位 その頃からずっとバンドをやっていて。
ちひろ 今日、CD持って来ました。「SUNSHINE LOVE」。今、鈴木恵TRIOという名前でもやってて、「恋は水色」と「毎日が8ビート」。
32方位 大好きなんでしょ。
ちひろ 大好きです。
32方位 下北沢にKOGA RECORDSっていう、ギターバンドを中心にやってるレーベルがあって、そこに所属して、そこからCD出してたりしてて。RON RON CLUEとかの、今、サニーデイ・サービスでギターを弾いてる新井仁さんとかがいるバンドがすごく人気があった。それでよく一緒に新潟にも来てたんで、高校生の時に僕も見に行ってたし。EXTENSION58は、当時あったタワーレコードで、自分でカセットテープでシングルを作って、1本300円とかで売ってたりして。
ちひろ へえー。そうなんですね。調べたら、EXTENSION58って94年から活動してるバンドで。歴史のあるバンドなんだなと知ったんですけど。
32方位 うん。ずっと続いてます。ブリティッシュ・ロックとか、そういうのをやってて。
ちひろ サイトが残ってて、ビートルズをすごいリスペクトしてるって書いてありました。
32方位 あのへんの音楽を僕も好きだったから、ギターバンドとか、そういうレコードはよく買いましたね。
ちひろ なるほど。
32方位 そういう風な一派があったんですよ、新潟の中に。僕が怖くて入れなかったリスキーとは別に。
ちひろ ビジュアル系とか、32方位さん的には怖かった文化とは別に、渋谷系とかブリティッシュ・ロックとかが。
32方位 本当は優しい場所ですよね。
ちひろ RISKY DRUG STOREにちょうど行かれてたお客さんがちょうどいるんですけど。
32方位 リスキーチルドレン。すごい優しい場所だと思うんですよ本当は。
お客さん オタクが多かった。
32方位 オタクが多かった。音楽オタク?アニメとかにも寄ってたんですか?
お客さん アニメとかも好きな、ちょっとあんまり学校とかに行けてない子とか。
32方位 なるほどね。
ちひろ 当時のオタク文化って、やっぱりそういう背景があるんですかね。
32方位 だからね、僕、アニメ好きとかとはあんまり。音楽の方にいってたから。
ちひろ なるほど。
32方位 新潟市のもっといいところの高校に通ってる人だったら、ファッションにいったりとかあるでしょうけど、僕は中古レコード買うのに手一杯ったから。
ちひろ なるほど。音楽にすごい傾倒していた。
32方位 してましたね。
ちひろ では、前半は新潟での幼少期のお話などをしていただいたんですけど、これからは、そのあと、大人になってからの32方位さんの話を後半では聞いていけたらいいかなと思います。
32方位 吹けば飛ぶような人生ですよ。
ちひろ そんなことはないですよ。後半もよろしくお願いします。
(拍手)
ちひろ じゃあ、後半なんですけど、20代になって大学に進学されたという。
32方位 東京に行ってましたね。大正大学ってところに行ってて、そこで社会学を勉強して。もともと僕も小学校の頃からAMラジオを、BSNじゃなくて、ニッポン放送に合わせて、東京の放送をすごく聞いていたんで、やっぱり東京に行く憧れは持ってるっていう、よくある話ですけど。それで行きたくて東京の大学に行って。せっかく東京に行ったので、色々な一流のものを体験していこうと思って、色々なものを見に行こうという、そういう時間だと思っていたんですけど。音楽をやってたから音楽を見に行きゃいいんですけど、例えばマイケル・ジャクソン東京ドーム公演(1988年)が1万円するとか、めちゃめちゃ高くて。
ちひろ あ、マイケル・ジャクソンの東京ドーム公演があった時、東京にいた。
32方位 うん。ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュがゲストでギター弾いたりとか、見に行ったりしましたけど。でもあまりにも僕もお金なかったから、もっと手頃な値段で。
ちひろ 学生には厳しいですよね。
32方位 厳しかった。その時に業界の中に入って、手伝いとかそういうことすれば良かったのに、ずっと消費者みたいな気持ちでいたから。
ちひろ なかなか若い頃、飛び込むの難しいですよね。
32方位 田舎者だから知らなかった。ずっと消費者のまま東京をさまよってたんだけど。その時に行ってみようと思ったのが、立川談志さんの落語だったんですよ。
ちひろ はいはい。
32方位 高座を見るのに間に合ったんですよ。初めて見に行った時に、「談志ひとり会」、国立演芸場で、「芝浜」やってたんですよ。人情噺の、談志の十八番ですよ。笑いがなくて、ぴしっとした空気のまま泣かせるって話なんだけど。その時に僕、お笑いを見に行くつもりで、テレビの笑いみたいに、(明石家)さんまさんみたいに、10秒に1回笑いがくるのがお笑いだと思ってて、そのつもりで行っちゃったんですよ。それで談志の「芝浜」に当たって、そうすると、「ウケてないな」みたいな感じの目で見るんですよ。
ちひろ なるほど。滑ってると思っちゃったと。
32方位 そう。40分、50分、ずっと滑ってる、ウケてないな、みたいな気持ちで見ちゃって。でも、噺が終わるとスタンディングオベーションしてるんですよ。
ちひろ へえー。
32方位 その時に、何でウケてるのか分からないと思って、謎のまま家に帰ったんだけど、そこから一週間ずっと、談志さんの「芝浜」についてずっと考えてたんですよ。これ何かあると思って。
ちひろ 言葉にはできないけど、何か引っかかった。
32方位 そうそう。それで本屋さんに行って、談志のビデオを買って、「芝浜」を見た時に、失敗した、俺なんて間違って見方してたんだ、ってことに気付いたんですよ。
ちひろ テレビのお笑いを見に行く感覚ではなく。
32方位 そう。こっちの方が間違ってましたっていう。自分の態度が間違っていたっていう。しまった…と思って。その日のアンケートにも、「この日のスタンディング・オベーションは嘘ですよね」みたいなことを書いて。クソリプなんですよ。
ちひろ あー!後悔するやつだ!
32方位 そう。めちゃくちゃクソリプを送ってて。俺は間違っていたんだと思って。もっと別の世界があることを知ったのは、すごく自分の中で大きな出来事だったんです。
ちひろ 談志師匠との落語との出会いが、人生観を変えてしまった。
32方位 変えました変えました。そのあと、色々な高座を追いかけていっても、本当にいい演目を観たあとって、感動してわーっとなって、そのままトイレに行ったりして、鏡に映ると、目が本当に爛々と光ってるんですよ。
ちひろ ああ、分かります。
32方位 もうずっと帰りの電車も、歩いてても、ずっと興奮が続くっていう。カルチャーショックなんですよ。
ちひろ 本当に面白い何かを観ると、世界を見る視点が変わっちゃうっていう。
32方位 変わっちゃうんですよ。大ホームランを打った高座とか観ると。そういう経験をしました。そのあと、古今亭志ん朝の高座にも、僕は間に合いました。
ちひろ おおー。
32方位 その時に、志ん朝師匠の「お見立て」も、池袋演芸場で観て、同じ状況になったんです。本当にすごいものを、こういうレベルでやってるんだっていう。本当にカルチャーショックでしたね。そういう経験が出来たんですよ。それは物事を考える時とか、出し物とかを見る時の、一つの指標になってますね。
ちひろ しかも、もう拝見することはできないっていう。
32方位 一期一会。
ちひろ それを東京で。
32方位 間に合いました。見れて良かった。自分の財産になってますね。
ちひろ あとはありますか?20代の時に東京で出会ったものは。大学を卒業して、新潟に帰って来た感じですか?
32方位 えっとね、しばらく働いたあとに、家の中が大変だったのでそれを理由に帰って来たんだけど。東京で一人暮らしていると、やっぱりめちゃくちゃ孤独だったりするんだけども。フィッシュマンズもすごく好きで、東京にいたんだけど新潟公演があって。その時は会場が、WITHビル(当時、新潟東堀にあったショッピングビル)中にあった時のJUNK BOX(当時新潟にあったライブハウス、現在のGOLDEN PIGS)。
ちひろ あ、WITHビルにあったんですね。
32方位 色んなところを転々としてましたね。お寺のお堂(O-Do)を会場にした時もあったし。その時は、「宇宙 日本 世田谷」っていうアルバムを出した直後で、まあ名盤なんですよ。それを東京からわざわざバスに乗って、新潟に帰って来るような感じで見に行ったんだけど、その時の演奏も素晴らしくて、その時も10日間くらい興奮してずっと体が震える感じになってたんですよ。それで、音楽を作る時にも、すごくそっちの方に寄っていきましたね。大学が音楽サークルにいたので、サークルの部室にドラムとかあってスタジオになってるんだけど、そこにずっとMTRを置いて、全部自分で演奏しながら研究したりとかやってましたね。
ちひろ そうなんですね。
32方位 まあ、20代でそういうカルチャーショックを受けたんですよ。
ちひろ 音楽だったり、落語だったり。
32方位 きっと誰でもいくつかあると思うけど。ちひろくんどうだったの?一応聞かせて。
ちひろ 僕のカルチャーショックですか?何だろうな…
32方位 お芝居?
ちひろ お芝居は、人前に立つとかほとんどやらないまま21歳まで生きたんですけど、大学4年制の時に、卒論とか就活とか全然やってない時に、たまたま友達から誘われて、地元の劇団のお芝居のワークショップを受けたのがきっかけです。
32方位 おお。
ちひろ 映画とかですかね、「スター・ウォーズ」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」みたいな、カルチャーショックの話だと。生まれて初めて観た映画が、母に連れて行ってもらった「ドラえもん のび太と雲の王国」( 1992年、芝山努監督)。冒険なんですよ。純粋にワクワクするっていう。その次に観たのが、「ジュラシック・パーク」(1993年、スティーブン・スピルバーグ監督)。本当面白いと思って。震え上がるほど怖いんですよ、小学生からするとティラノサウルスが。でも同時に人間が自然の摂理を調子こいてバカにしちゃいけないぞみたいな教訓もあって。子供ながらにすごく感動して。それは大きいですね。
32方位 吉田豪さんが、インタビューする時に好きな映画を聞くと、大体その人のパーソナリティが分かるって。
ちひろ それ、言いますよね。
32方位 僕はね、「幕末太陽傳」(1957年、川島雄三監督)。
ちひろ 「幕末太陽傳」!いいですね!
32方位 「居残り佐平次」(「幕末太陽傳」の元ネタとなった落語)。
ちひろ デジタルリマスター版を観に行きました。あれは超面白いですね。
32方位 いなくなっちゃうんだよ、最後。
ちひろ 「生きるんでい!」って言って。
32方位 そう。僕、浪人して、すごく鬱々と暮らしてたんだけど、BSで深夜に「幕末太陽傳」がオンエアされたんですよ。それ見て、人間もっと楽に生きていいんだってすごく思ったんですよ。こんな調子で生きていいんだって。絶対受からなきゃいけないみたいな感じで、どんどん気が滅入ってたんだけど、こんな調子で生きていいんだって。
ちひろ なるほど。もっと流れるように生きていいんだみたいな。
32方位 うん。「まだまだ生きるんでい!」っていいなあと思って。楽になりました。
ちひろ カッコいいですよね。
32方位 うん。カッコいい。
ちひろ 落語が好きってことですけど、あれも色んな落語の要素が出てくるんですよね。1つの映画の中に。
32方位 色んな噺が入ってて。「お見立て」が入ってたり、「品川心中」が入ってたり。
ちひろ カルチャーショックの話が、意外と盛り上がってしまいました。
32方位 みんな誰でもあると思う。20代の思春期に。
ちひろ じゃあ、そうやって東京で色々な落語だったり音楽だったり、カルチャーショックを色々体験して、新潟に戻って来られたのはいつぐらいなんですか?
32方位 28くらいだったかな。
ちひろ そうなんですね。それからは新潟でどのような活動をされていたんですか?
32方位 とりあえず家の中が、家庭問題が色々大変で、自分の思ってることが出来なかったりとかで、もうとにかく鬱々としていたんですよ。バイトとかもしてましたけれど、うだつが上がらなかったから、職場の女の子にいじめられるとか嫌な思い出しかないんですけど。車の免許も持ってなくて、本当に底辺ですよ、クズの。そういう風に過ごしていて、雪が降ってても歩いて遠くまで行く、本屋まで。その時にね、紙のプロレスって雑誌がありまして、プロレスが好きだから立ち読みするんですけど。そうしたら、「これはプロレスなのか、演劇なのか」っていう、「マッスル」っていう興行があるってのは知ってたんですけど、マッスル坂井さん(新潟出身のプロレスラー、タレント。DDT所属。マッスル立ち上げ。覆面レスラーのスーパー・ササダンゴ・マシンとしても活動)って人がいて、新潟の人なんだと思って、すごく気になって。スカパーの無料放送の日とかで、マッスルの中継を見れたりとかするんですよ。そこで起こってたのが結構ハチャメチャで楽しいエンタメというか、まあ楽しかったんですよ。すごい人がいるんだなあと思って。
ちひろ こんな人が新潟にいたんだと。
32方位 年齢的にも僕と同世代だから、10代だったら20代の人に憧れたりするけど、ある程度30代くらいになってうだつが上がらないと、こんなはずじゃなかったって気持ちになってちゃって。
ちひろ なってきますよね。同世代でバリバリやってる人達が出て来ちゃうのもね。
32方位 それはもう憧れって気持ちになっちゃう。そういうのがありましたね。
ちひろ みんな結構、経験あることかも知れないですよね。
32方位 あると思います。
ちひろ 20代とかになってくると、同世代の天才たちが現れてきてしまって。
32方位 心の中では負けたとは言いたくないんだけど。でもやっぱり、憧れちゃうなっていう。我々はもう負け続けてる人間じゃないですか。
ちひろ それで、マッスル坂井さんを。
32方位 はい、大好きで。坂井さんが作る、プロレスなんだけど、今までのプロレスとは、力道山が作ったものとは別なものが出てきたんで、平気でジャンルを超越しやすいものが出来たっていうのは、すごい人だなって本当に思いましたね。
ちひろ たまたま僕が10年くらい前に買ったクイックジャパンを読んでたら、ちょうどマッスルの特集があったんですよ。
32方位 サブカル案件の人なんですよ。
ちひろ マッスル坂井さんと、松江哲明監督と、漫画化のルノアール兄弟がマッスルについて語るっていう対談が載ってたんですけど。「マッスルハウス6」のレビューが載ってたりとか。これを読むと、当時あった「爆笑レッドカーペット」って番組になぞらえて、プロレスが長いと客が飽きるって言って、1分のプロレスをやりまくったとか書いてあって。そういうバカなことが延々書いてあるのに、一番最後にまさかの蝶野正洋さんが登場して、会場が大盛り上がりとか書いてあって。何だこれって思って。
32方位 衝撃を受けますよ。あったことを文字化すると。
ちひろ びっくりですよね。そんなことをやってる人がいるんだという。マッスル坂井さんは、学生時代ですよね、プロレスを始めたのは。
32方位 確かそうだったと思う。早稲田の映画研究会(シネマ研究会)に誘われて、そのあとDDTに。
ちひろ ですよね。そのあと、「マッスル」立ち上げたりとか。
32方位 うん。すごい憧れの人で。で、新潟県の人が「マッスル」の活躍知らないってのが、すごく心苦しいんですよ。
ちひろ マッスルがあったのって、2000年代ですよね。
32方位 うん。
ちひろ 僕がちょうど新潟にいなかった時代というのもありますが、僕も全然、プロレスに詳しくないってのもあるんですけど。
32方位 知らなかったでしょ。僕も、リバースト(ライブハウス、CLUB RIBERST)でライブに出る時に楽屋で、サブカルで要注目の人だから、絶対マッスル坂井の名前をみんな知ってると思ったら、誰も知らなくて愕然として。新潟県民、知らないんだって。
ちひろ 僕も、「八千代コースター」(NSTの番組)の司会を今、マッスル坂井さんがされてるじゃないですか、そこで知ったみたいなところが正直あって。でもその前かな、2014年に。シネ・ウインドって映画館があるじゃないですか、さっきも話に出ましたけど。
32方位 僕らが初めて会った場所。
ちひろ そうですね。シネ・ウインドで、HMJMっていうAVメーカーが「劇場版テレクラキャノンボール2013」(2013年、カンパニー松尾監督)っていう。
32方位 カンパニー松尾監督の。
ちひろ カンパニー松尾監督が、AVの企画をドキュメンタリーみたいな感じにして、AV男優同士がバトルするみたいな、すごい話題になった映画なんですけど。その上映があって、ゲストがカンパニー松尾監督、その対談相手がマッスル坂井さんだったんですよ。
32方位 それ行ってました。
ちひろ あ、じゃあ同じ会場にいたんですね。じゃあ本当に最初に出会ったのがやっぱりシネ・ウインドだったことになりますね。で、その時に初めて、新潟でプロレスをされてるこんな方がいらっしゃるんだって知って。
32方位 本当に知らなかったんだ。
ちひろ 本当に僕、不勉強ながら。
32方位 いやいや。
ちひろ その時、マッスル坂井さんが、「『テレクラキャノンボール』がすごく面白いんで、僕も『プロレスキャノンボール』を作ったんです」「『プロレスキャノンボール』は『テレクラキャノンボール』のルールをプロレスに置き換えて、どれだけ女の子を喜ばせたかじゃなくて、どれだけ相手のレスラーにいい試合をしたと思わせたかでポイントを稼ぐんだ」みたいなことを言っていて、なんて面白い人が新潟にはいたんだと思って。その翌年にイオンシネマで「プロレスキャノンボール」(「劇場版プロレスキャノンボール2014」2014年、マッスル坂井監督)上映会があって。
32方位 毎日確か、プレゼンやってたんですよね。
ちひろ そうなんですよ。マッスル坂井というか、スーパー・ササダンゴ・マシンというか、プロレスの前にプレゼンテーションをする方ですけど、そんな感じで映画が始まる前にプレゼンテーションを行って。
32方位 サービス満点。
ちひろ 本当ですよね。東京ダイナマイトのハチミツ次郎さんが、僕が観た時はゲストで来てて。あと、大家健さんもゲストにいらっしゃってて。
32方位 レスラー、ガンバレ☆プロレスの。
ちひろ そこで、坂井さんってこんなプロレスやってたんだって知って。さらにそのあとに、「俺たち文科系プロレスDDT」(2016年、マッスル坂井、松江哲明監督)っていう映画を観て、そこでもまたプレゼンテーションをやっていて。本当に、すごいなこの人って思って。
32方位 すごいでしょ。
ちひろ 天才というか、何と言ったらいいんだろうな。
32方位 明らかに、新潟にはいるけれども、新潟ローカルの枠とは別の、大きなものを作る人。
ちひろ プロレスを初めて見た人も、詳しい人も絶対面白い。
32方位 信頼されてて、お客さんも坂井さんを尊敬しながら見る。「マッスル」の興行も、客席にプロレスファンもいるんだけど、演劇人も結構多かったりとか、そういう客層だったんですよ。
ちひろ そうだったんですか。やっぱり、物語性というか。
32方位 プロレスがプロレスの枠の中だけで消費されていたんだけども、それを他のところにリーチしていくってことを積極的にやっておられましたね。坂井さんがすごいのは、もともと団体の映像を、煽りVTRとか作るんですよ。
ちひろ 映像班にいた方ですよね。
32方位 映像班にいた方なんだけど。演出とかで、こういう風にやったらお客さんがもっと喜ぶなとか、盛り上がるなとか、見えるじゃないですか。でも、映像班がそれをレスラー達に言っても、全然言うこと聞いてくれないって言うんですよ。
ちひろ 立場が下なんですね、映像班は。
32方位 下って言うか、そこで坂井さんが常々言ってるのは、レスラーはレスラーの言うことしか聞かないっていう。
ちひろ なるほど。
32方位 多分、仕事でも、職人さんは職人さんの言うことしか聞かないだろうし、政治家は選挙に強い人の言うことしか聞かないみたいな、そういうのがあると思うんです。そこで坂井さんがすごいのは、坂井さんがレスラーになっちゃって、中に入って。
ちひろ なるほど。内部から変えていった。
32方位 そう。そういうことをやっていく人なんです。
ちひろ すごい行動力ですよね。
32方位 本当に。
ちひろ 申し訳ないんですけど、プロレスをまだ映像でしか拝見したことがなくて。
32方位 今度行きましょうよ。
ちひろ 今年もありましたもんね。行けなかったんですけど。
32方位 DDT楽しかったですよ。
ちひろ 本当ですか。
32方位 でもね、昔ながらのプロレスが好きなお客さんが新潟は多いみたいで。DDTの方は、多分「八千代ライブ」の視聴者の方が多いような。
ちひろ 地元のスターですもんね、マッスル坂井さんは。
32方位 会場に、Negiccoから花が来てたんですよ。プロレス興行終わると、花は持って帰れないから、お客さんにどうぞって配るんですよ。ツイートとかあとで感想見ると、もらった花を活けましたっていう、プロレスファンではまず出てこない、文化的教養が高いような。
ちひろ ハハハ!
(笑)
32方位 これプロレスファンじゃないとか思って。
ちひろ アイドルファン文脈の人が。
32方位 だと思うんですよ。
ちひろ なるほど。
32方位 昔ながらのプロレスファンは、そういうことしないです。
ちひろ じゃあやっぱり、新しいファンを開拓してるっていうのが、新潟でもあるんですね。
32方位 うん。そうなんですよ。アピールする人なんですよ。
ちひろ はい、というわけで、32方位さん、本当にありがとうございました!
32方位 こちらこそ、楽しかったです。
ちひろ 楽しいお話がたくさん聞けてありがたかったです。見て下さった方も会場のお客さんもありがとうございました!