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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

「ちひろdeアート」および今までの自分のまとめ:ちひろtoアート(ちひろとアートと読みます)

2019-12-30 23:10:32 | ちひろdeアート




12/23(月)~29(日)の一週間、ちず屋の2階で開催してきた僕の作品展「ちひろdeアート」、無事に終了しました。
「ちひろdeアート」の一週間の出来事は、毎日ブログに書いてきたので、「ちひろdeアート」のカテゴリーから振り返ってみてください。





さて、無事終了したということで「ちひろdeアート」のまとめ、および、ここ数年の自分とアートとの関わり、新潟カルチャーに対する気持ち、自分の表現活動のこれまでと今後について思うことなどについて書いていこうと思います。
長くなると思いますが、よろしくお願いします。





~2014年

そもそも「ちひろdeアート」は、2014年、友人のふくおかさんと共同企画で始めたものでした。
僕は大学を卒業した2009年の春から2011年の秋まで松本でBLUESのメンバーとして演劇をしていて、ふくおかさんとはそこで出会いました。

2011年秋、体調不良を理由に松本を離れ実家の新潟に戻ったのですが、せっかくなので新潟の面白いカルチャーを探したり、新潟でも演劇に出てみたりしながら生活していました。
演劇以外にも、アイドルが好きになったり、絵を描いて「カルチャーMIXフェスタ」というイベントに展示してみたり、さくらもみぢさんと「新潟演劇人トーーク!」というUSTREAMの番組を放送したり、色々なことに挑戦してみました。

そんな中、2014年にふくおかさんと再会する機会がありました。
数年ぶりに再会したふくおかさんとは、東京のロフトプラスワンに「こわれ者の祭典」を見に行ったら急遽スタッフを頼まれたり、翌日は神奈川県の黄金町で開催されていたアートイベントを見に行ったりしました。

ふくおかさんと話している中で、「何かイベントやってみたら」とアドバイスをもらい、2014年末に、ちず屋の2階で第1回の「ちひろdeアート」を開催しました。
当時の自分の考えとして、人間の表現するあらゆるものはアートになるのではないか?という考えがありました。(今の自分とはちょっと違う考えですが、あくまで当時はそう思っていました)

そこで、自分の作品(絵やコントや朗読など)の展示はもちろん、その作品を作る自分、もっと言えばこのイベントを行おうとしている自分自身そのものを、一つの作品として見てもらいたい、というのが、当時のコンセプトでした。
絵の展示、ライブペインティング、ふくおかさんとコントや朗読劇、ゲストを呼んで僕の小説を朗読してもらう、トークイベント、などなど、完全に手さぐりでとにかく思い付いたことを全部やってみたのが、この年の「ちひろdeアート」でした。

それに加えてふくおかさんが行っているおはじきサッカー(指でサッカー選手の人形を弾いて行うテーブルゲーム的なスポーツで世界大会もある)の体験コーナーや、さらにふくおかさんが毎日何かしらの企画(朗読や、お客さん参加型の作品作りなど)を突発的に始めていたので、情報量としてはこの年が一番多かったと思います。
自分でイベントを企画すること自体が初めてで何をすればいいか分からなかったので、まずは表現欲求に制限を設けないこと、思い付いたことは何でもやってみることを心掛けていました。

その結果、情報量過多で、正直何が何やらのカオスなイベントになっていたんだろうなと、今では思います。
それでも、自分から動いて表現を行うという意味では、非常に大きな体験になったと思っています。





2015~2017年

その翌年、2015年の年末も「ちひろdeアート」を開催しようと思ったのですが、ちず屋の店主であるシダジュンさんが入院することになってしまったため、開催には至りませんでした。
そのまま2015~2017年の3年間は開催しなかったのですが、この期間に自分としては色々な体験がありました。

一つは、2015年の夏に劇団第二黎明期さんの舞台に出演したのを最後に、新潟で演劇に出演するのをやめました。
理由としては、自分は障害があり普通に働くのが難しい人間なので、それに加えて演劇にも力を入れるだけの体力的、時間的、金銭的な余裕がないと気付いたからなのですが、最後に出演した演劇は自分の中で過去最高にいい演技ができたと思えたし、これ以上は目指さなくても後悔はないなと思ったので、満足はしています。(ちなみにその時の会場も「ちず屋の2階」でした)

ただ、演劇をやめてからも、「新潟演劇人トーーク!」というUSTREAMの企画は続けていたので、観劇はしていたし、演劇のことを考えることも多かったのですが、それも、2018年の夏に終了しました。
その理由としては、新潟で自分が観劇して、それをネットで話して、それを見るのがほぼ新潟の演劇関係者だけ、という閉鎖的な状況に、面白さを見出せなくなったのが一番大きいんだと思っています。

演劇をやめたことで、それまで自分がやっていたことを客観的に見られるようになって、その結果、(地方都市の規模では仕方ないことなんだと思いますが)新潟の演劇文化の閉鎖性、内輪ノリ的な雰囲気に対する居心地の悪さが年々強くなっていき、その結果としてやめたんです。
今思えば、「新潟演劇人トーーク!」がもっと新潟の演劇関係者以外の人達を巻き込めるものになっていたら、自分にとっても(もっと言えば新潟の演劇にとっても)もっと可能性があったのかも知れないと思いますが、当時の自分にそこまでの発想力と行動力はありませんでした。

演劇をきっぱりやめて、新しい目標を見付けてそっちに進んでいければ良かったのですが、まだどこに進むべきか分からずに、自分が過去にやっていた演劇に対する否定的な気持ちが大きくなるものの、その不満をどこにぶつけていいか分からない、一言で言えば、過去の演劇に囚われていたのが、「ちひろdeアート」を休止していた2015~2017年の3年間です。
演劇はやめたはいいが新しく何を始めればいいか分からず、もともと演劇以外にも色々なジャンルに興味のある人間なのですが、この3年間は新潟で様々な表現活動のプラスの側面もマイナスの側面も目にすることが多く、新潟のカルチャーに対する愛憎、どっちかと言えば憎の気持ちの方が強く、気に入らない表現を自分の中で勝手に否定したり、新潟という自分の故郷のカルチャーに勝手に絶望したりしながら、もがいていたのがこの期間でした。

その一方で、今の自分に繋がるような新しい世界と出会ったのも、この3年間でした。
2015年に当時関わっていた「カルチャーMIXフェスタ」というイベントの中で朗読に初挑戦し、2016年にはBLUESのお客さんだったTOMOKAさんと共同企画で成宮アイコさんを松本に呼んで朗読イベント「生きづらさを抱えた人間賛歌」を開催、2017年には新潟のえんとつシアターで成宮アイコさんと共同企画で「生きづらさを抱えた人間賛歌」の第2弾を開催したり、北書店で成宮アイコさんの初の書籍「あなたとわたしのドキュメンタリー」の出版イベントのトークゲストに呼んでもらえたりしました。

また、2017年には、月刊ウインドや東区市民劇団 座・未来さんのパンフレットで自分の好きな文章の仕事をさせていだける機会に恵まれ、月刊ウインドの企画でRYUTistさんへのインタビューに参加させていただいたりもしました。
そういう、プラスとマイナスの感情の狭間で、芸術やエンターテインメントはどうするべきなのか?みたいなことをクソ真面目に考えながら、自分の進むべき道を見付けられずに試行錯誤していたのが、この3年間でした。





2018年

2018年末に4年ぶりに「ちひろdeアート」を再開したのですが、この一年は自分にとって大きな体験がたくさんありました。

幼少期・思春期のトラウマから故郷の新潟を愛せずに悩んでいた成宮アイコさんがRYUTistと出会って新潟を好きになれたこと。
Åcmのラストライブで桐亜さんが過去にセルフプロデュースでアイドルになろうとしていた体験談を語ったこと。
妖怪朗読家のゆうかさんとダンサーの松崎由紀さんによる舞台「雨月物語の宵」、北書店で開催された遠藤麻理さんとRYUTistのともちぃのトーク、東北のWhiteプロジェクトという劇団の宮澤賢治を題材にした「イーハトーブの雪」という舞台を見て、自分は本や物語に触れるのが好きなんだとあらためて気付かされたこと。
そして、Negiccoの15周年の過去最大規模となる朱鷺メッセでのワンマンライブや、RYUTistの7周年の初ワンマンライブを見て、新潟のアイドルが切り拓いてきた可能性に感動したこと。
さらに、会田誠さんの講演会で、それまで漠然としか知らなかった「アート」というものへの理解が非常に深まったこと。

そういう体験を経て、それまで愛憎の気持ちがあった新潟のカルチャー、新潟という街のことも今まで以上に好きになることが出来て、それまで何となくあった自分が演劇と出会った大好きな松本という街への執着がなくなり、そして新潟カルチャーの中で自分もまた何か表現をしたいと思うようになりました。
そこで、北区文化会館で行われた「あしたの星2」というイベントで自分の体験談を朗読したり、その活動に注目してくれた知り合いの映像作家のカンダアキラさんが僕の活動を短いドキュメンタリーにまとめてくれて、青陵大学で開催された上映会に登壇させていただくなど、新しいことに挑戦するという貴重な体験をたくさんさせていただきました。



そういう体験が、2018年末に「ちひろdeアート」を4年ぶりに再開することに繋がりました。
そこでは2014年の第1回での反省やこの4年間での体験を、自分なりにイベントに盛り込んでみようと試みました。

もちろん一人で企画していたので小規模なイベントでしたが、それでも一番念頭に置いたのは、どんなに小規模でも、内輪受けで閉鎖的なものにはせずに、ちゃんと世の中に開いていて、世の中の人達に届くものにしようということでした。
過去の演劇体験から「そもそも普通の人は劇場には来ない」「分かりやすくしなければ人は来ない」という気持ちがあり、チラシや宣伝の段階から「まずは出来るだけ分かりやすいものにしよう」と、それまでの自分が語ってきた芸術論的なものは最小限にとどめ、「作品展」「朗読劇」「トークイベント」など具体的な内容をできるだけシンプルにアピールしていきました。

作品展は、自分が2014年の第1回「ちひろdeアート」から2018年までの4年間で描いてきた作品を展示し、この4年間の自分を見てもらうことを目指しました。
朗読劇は、自分がこれまで悩んできた演劇に対する偏見を一度捨て去り、自分がもう一度一人でゼロから演劇を作るなら…というコンセプトで一番シンプルな朗読劇を選びました。(ただ、朗読劇の題材は自分で書きおろすことで物語を作ることが好きな自分を表現したり、さらにその内容は自分のこれまでの演劇体験を元に演劇に対するポジティブとネガティブが入り混じった感情を一つの物語で表現することを試みました)

そしてこの年、最も力を入れたのがトークイベントで、そこでは新潟の様々なジャンルのゲストを呼び、自分なりに新潟のカルチャーを掘り下げたいという気持ちがありました。
できるだけジャンルは一つに絞らずに毎回異なったジャンルのゲストを呼ぶことで幅広い人にこのイベント、そして新潟のカルチャーを知ってもらうことを目指しました。(同時に、自分以上に知名度があって新潟で活躍しているゲストの方々を呼ぶことで自分の展示や朗読劇への注目を集めたいという思惑もありました)

また、朗読劇とトークイベントはすべてツイキャスで配信し、録画をすることにしました。
と言うのも、僕が演劇に出演していた時から思っていたのは、映画や本に比べて舞台芸術の弱みは「来れる人にしか伝わらないこと」「記録が残らないこと」だと思っていたので、地理的、時間的、金銭的な理由で見に来ることが出来ない人にも届けられるようにすること、記録を残してあとから何度でも振り返れるようにすることで、自分の表現活動の可能性を広げたいと考えました。

朗読劇もトークイベントも人生でほぼ初めての挑戦だったので、正直最初は何をすればいいか分からず、特に初日はまったく上手くできずに帰りのバスの中でずっと泣いていたし、翌日も泣きながら会場に向かいました。
それでも、続けていくうちにゲストやお客さんに支えられながら少しずつ自分なりに頑張り方が分かってきたし、徐々にお客さんも増え、概ね好評をいただき楽しかったという声もいただきながら、最終的には自分にとって非常に手応えも感じ、成長したと思える体験になりました。





2019年

2018年末に行った「ちひろdeアート」のトークイベントに手応えや可能性を感じたので、2019年からは継続的にトークイベントを続けていくことにしました。
どうせやるなら色々なジャンルの人達を呼びたいと考えたので、どんな話題が来ても面白く話してくれそうなよしこさんに声をかけました。(よしこさんは「ちひろdeアート」で出演予定だった成宮アイコさんのファンのありすさんが急遽出られなくなってしまった時にピンチヒッターとして出演しトークを盛り上げてくれた人でした)

もともと僕は「生きづらさを抱えた人間賛歌」というイベントをやっていたように、僕のイベントの根底には「こわれ者の祭典」での体験があり、当初は「生きづらさ」や「人間賛歌」に焦点を当てていこうという気持ちがありました。
しかし、ここ数年で「こわれ者の祭典」のスタッフをしたり新潟の生きづらさ系のイベントの現状を見たりする中で、その限界のようなものを感じはじめていました。

「生きづらさ」を前面に押し出したイベントは、どうしても生きづらさを抱えた人達ばかりが集まりがちで、その人達に楽しんでもらえるだけでも意味はあると言えばあるのですが、どうしても特定の人達にしか届かない閉鎖的なもの、出演者とお客さんの共依存的な関係になりがちで、それはあまり健全ではないし、世の中に届かなければ意味がないのではないか、という気持ちが強くなっていました。
そんな中、「ちひろdeアート」で小規模とは言えそれまで僕のイベントに来なかったような様々な人達との出会いがあったことから、「生きづらさ」「人間賛歌」に対する気持ちはあくまで自分の中だけにとどめ、基本的には来た人が純粋に楽しめるエンターテインメントを続けていこうという、「月刊おはなし図鑑」の方向性が決まっていきました。

とは言え、やはりイベントの企画は初心者だったし、特に「ちひろdeアート」での反省点としてお客さんとどういう距離感で接するのが適切かを悩んでいたので、「こわれ者の祭典」の主催者として長年トーク&朗読イベントを行い、僕とよしこさんもスタッフとして関わっていた月乃光司さんに相談に行って意見を参考にしたりもしました。
こうして生まれた「月刊おはなし図鑑」は、「ちひろdeアート」に出てくれた人から、新たに出会った人、知り合いで気になっていた人、等々、様々なゲストの人に出ていただき、毎回、何かのテーマやその人の人間性などについて語り合うというイベントとして、無事に一年間続けることができました。



「月刊おはなし図鑑」以外にも、2019年は自分にとって大きな変化があった一年で、大きかったのはメディアやネットとの付き合い方を考え直したこと、そして芸術の価値を再認識したことでした。
ここ3年くらい、僕はニュースを見ながら政府やメディアに対する信頼をどんどん失っていて、さらにネットではヘイトやフェイクニュースが蔓延するという現状に、本当に何を信じればいいのか分からない時代だなと思っていて、ここで自分が声を上げなければ世の中がとんでもないことになっていくのではないかという危機感を持つものの、実際はTwitterで世の中に対する批判的な発言が増えていただけでした。

そんな中、2019年には美しい音楽や芸術作品、心から楽しいエンターテインメントに感動させられる体験に恵まれました。

シネ・ウインドで上映されたMOOSIC LAB 2018。
NegiccoのKaedeさんの高田世界館でのソロライブ。(まるきゅうさん、いただいたチケット代まだ払ってないですね…早いうちに必ずお渡しします!本当すみません!)
Noismの公演。
八千代ライブの出演メンバーが行う八千代寄席。
スーパー・ササダンゴ・マシンさんの出場したDDTのプロレス。
松崎由紀さんが出演した「さどの島銀河芸術祭」での野外ダンスパフォーマンス。
シネ・ウインドで開催された落語会。

…等々に出会った時、うまく言えないのですが、トゲトゲしていた気持ちが正しい方向に整うような感覚がありました。
芸術作品をじっくり味わうという体験は、140文字だけで主張を押し付け合うTwitterの議論(という名のただの口喧嘩)と異なり、怒りにまかせて過激になっていた気持ちを落ち着かせ、狭くなっていた視野を広げ、自分を客観視してそれまで見えていなかった自分自身の気持ちに気付かされる、という大きな価値があるんだなと気付きました。

ある日、「ちひろdeアート」にも2年連続で出てくれた32方位さんと八千代寄席の帰りに二人でご飯を食べに行った時に、「ちひろくん、Twitterで政治に怒ってても仕方ないよ」と言われたことがあって、そこで「Twitterの言葉は効率が良すぎる」という話になりました。
対して、あらゆる芸術、表現活動は作るのにも届けるのにも時間がかかりますが、主張が強いわりに誤解を生んだり読み飛ばされていくTwitterの言葉とは違って、作品をじっくりと味わうことで人の心を動かしたり世界の見え方を少しずつ変える力があるんだなと思いました。

2019年はあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」など表現の自由が議論される出来事もありましたが、芸術やエンターテインメント、様々な表現活動には価値があるんだということを再確認できたのは、自分にとって大きな収穫でした。
さらに、2020年には東京オリンピックがあるのでネットもメディアもさらに様々な主張が入り乱れるややこしいものになっていくと思うのですが、そうなる前に、何が正しいか分からない意見に振り回されずに、自分が正しいと思える道を進んで行こうということに気付くことができて、本当に良かったと思っています。

そして、一番良かったのは、その発見によって、これまで自分が長年囚われていた新潟演劇に対する否定的な気持ちを捨て去ることができたということです。
自分の気に入らない表現に対する否定的な気持ちにとらわれていたそれまでと異なり、まあ、そういう表現が好きな人もいるんだし別にいいじゃん、それより自分は自分が好きなこと、自分が正しいと思えることを続ければいいじゃん、というすっきりした気持ちになり、演劇をやめて4年経って初めて、新しいステップに進めたような気がしました。

また、りゅーとぴあで開催された滋賀の障害者施設「やまなみ工房」の利用者さんたちによる作品展を見に行った時は、施設の利用者さんたちが自由に作った芸術作品にとんでもなく心を揺さぶられるという衝撃を受けました。
同じ日に、シネ・ウインドでやまなみ工房のドキュメンタリー「地蔵とリビドー」の上映もあり、上映後にはやまなみ工房の山下施設長の舞台挨拶もあったので、上映後に僕が芸術に対して感じていた疑問をぶつけてみることにしました。

僕が「やまなみ工房の利用者さんたちがこんなに素晴らしい芸術作品を生み出せるのには何か秘密があるのですか?」と質問すると、山下施設長は「私達は何もしていません。皆さんに自分らしく自由にしていただいているだけです」という答えが返ってきました。
そして、長年の疑問であった「芸術作品とされる作品と、そうではない作品に違いはあるのでしょうか?」と質問すると、「その線引きはありません。芸術かどうかは見る人一人一人の気持ちが決めることです」という答えをいただき、その言葉は今でも自分にとって大きなものです。

さらに、2019年は新潟ではNGT48の問題、全国では吉本興業の闇営業の問題などがあり、政治以外にも芸能界の闇が明るみになっていった一年だったと思いますが、それ以上に自分にとって印象的だったのは、新潟のアイドルたちの活躍でした。
NGT48問題が発覚した約1ヶ月後にNegiccoのNao☆さんがアイドルを続けたまま結婚を発表し温かく祝福されたこと、吉本興業の宮迫さんと田村亮さんが緊急記者会見を行ったのと同じ日にNegiccoさんが佐渡で16周年の素晴らしいライブをして、cana÷bissさんは初のワンマンライブの東京開催を発表、さらにその翌日にはRYUTistさんが8周年ライブを行っていたことが非常に象徴的で、芸能界が間違った方向に進んでも新潟のアイドルたちは自分達の道を力強く進み人を感動させていることに非常に勇気付けられました。

アイドルと言えば、乙女座長☆銀河団さんが活動終了を発表した直後、あみかさんの長年の夢だった古町どんどんの出演が急遽決定したこと(しかもRYUTistの安部さんの計らいで)、そして活動終了公演では過去のメンバーも含めた5人が初めて揃い、あみかさんの最後の挨拶が「絶対に幸せになります、皆さんも幸せになってください」だったという、これ以上ないくらい完璧で美しい最後を締めくくったことは、2019年に見たライブで一番の感動でした。
同じタイミングで長年の友人である成宮アイコさんが2冊目の書籍「伝説にならないで」の刊行記念ライブを、長年の夢だった思春期を過ごしたイトーヨーカドーで実現し、そこに100人以上の人が集まったことも、自分の夢が叶ったようで本当に嬉しかったです。(アイコさんが自分の体験と乙銀の活動終了に関してEX大衆に書いたコラムも本当に素晴らしかったです)



そして2019年で大きかった体験としては、生まれて初めて目標と呼べるものが自分にできたことで、それは、「本を出版する」ということでした。
2017年くらいから文章の仕事が増え、本が好きな気持ちを思い出しつつあった自分は(RYUTistともちぃさんの影響もかなりあります)、いつしか自分の本を書きたいと思い始めていました。

ある日、シネ・ウインドで「マイ・ブックショップ」という映画のアフタートークに新潟日報の出版部の方が登壇されたことがあり、シネ・ウインドの方の計らいでお話をさせていただける機会があったのですが、その方から「どんな人でも本を書くことはできます」「もし書けたらまずは持って来てみてください」との言葉をいただきました。(シネ・ウインドの齋藤代表も「何でもいいから書いて俺に見せてみろよ!」と言ってくれました。笑)
ただ、自分で一冊分の原稿を書くのにはとにかく時間がかかったので、まずは自分にできることから始めようと、過去に書いた小説や絵をまとめたZINEを作り、それを一箱古本市やコミティアで販売してみたのですが、自主制作とは言え、自分の作品を実際に作って人に販売するという体験は自分にとって非常に大きかったです。

自分がどんな本を書きたいかと考えた時に、やっぱり自分の中で一番大きい気持ちは新潟のサブカルチャーにとって意味のあることをしたいという気持ちで、それなら同じ気持ちで始めた2018年の「ちひろdeアート」および2019年の「月刊おはなし図鑑」のトークを書き起こし、それを本としてまとめようという発想に至りました。
とは言え、書き起こしもほとんど経験がない上に、実際にやってみたら非常に時間がかかるので、実際にはまだ半分も終わっていないのですが、一年かけて少しずつコツも分かってきたので、ひとまずトークイベントを書き起こして出版することは、2020年の目標にしたいと思います。

文章以外でも、2018年の僕の「あしたの星」での朗読や、青陵大学でのドキュメンタリーの上映を見てくれていた先生から、青陵大学で開催されたヒューマンライブラリーに出演という非常にありがたいお話をいただきました。
ヒューマンライブラリーは参加者が一冊の本となり、来場者さんに自分という人間の本を読んでもらうように体験談や考えを語るというもので、それまでの自分の体験がこうして活かされる企画に参加できたことは非常に光栄でした。



こうして、色々な体験を経て2019年末に、「ちひろdeアート」をまた開催できたわけですが、やはり「ちひろdeアート」は自分の表現の可能性を試す実験的なイベントなので、新しいことにいくつか挑戦してみました。
一番大きな変化としては、2018年の「ちひろdeアート」は「新潟のサブカルチャーを探る」という目的で一週間毎日ゲストを呼んでトークイベントを行っていたのですが、それは2019年には毎月行ってきた「月刊おはなし図鑑」で実現してきたので、2019年の「ちひろdeアート」ではそんな一年間の自分の活動と体験の総まとめ的なものにしていこうと思いました。

また、2018年の「ちひろdeアート」の体験から一週間毎日ゲストを呼ぶのはスケジュール的にかなり無理があったと分かったので、2019年は一週間の初日と最終日は予定を入れず、今まで最終日に行ってきた打ち上げは最終日の前日に行い、残りの4日間にトークイベントを行うことにしました。
しかし4日だけだと集客の関係でそこまで利益が見込めないので料金をこれまでの500円から1000円に値上げし、その分ゲストを1日で2人呼ぶ(よしこさんとCHiKAさん、32方位さんと丸山拓真さん)、トークと一緒に朗読劇とチェロのセッションも行う(ぺがはるかさん)、東京からゲストを呼ぶ(ハラヒロノリさん)など、新しい挑戦をすることで内容を充実させることにしました。

「月刊おはなし図鑑」の会場としてお世話になったぺがさす荘の店主であり音楽やサブカルチャーに造詣が深く自分の活動にも賛同してくれたぺがはるかさんとのアートに関するトークと、朗読劇とチェロのセッションという新しい挑戦。
「月刊おはなし図鑑」を共に行ってきたよしこさん、昔から「こわれ者の祭典」や様々なライブでよく一緒になっていて「月刊おはなし図鑑」のトークゲストに呼んだことがきっかけで仲良くなったCHiKAさんと行うアイドルに関するトーク。
東京在住ながら頻繁に新潟に来てしまうほどNegiccoを愛し、新潟で映画を撮影しそこに僕が出演したりもした、映像作家のハラヒロノリさんと行うNegiccoに関するトーク。
そして、音楽やプロレスやサブカルチャーに造詣が深い作曲・編曲家の32方位さん、Negiccoのファンでライブハウスで働きながら自らもシンガーとしてライブ活動を行う丸山拓真さんと、2019年の音楽を中心とした新潟カルチャーを振り返るトーク。

4日間のトークは、どれも今の自分にとって重要な人達と、重要なテーマについて、トークを行うことが出来たし、今年の自分の総まとめ的な内容になりました。

また、作品展示に関しては、2014年の最初の「作品と、作品を作っている自分自身を展示する」というコンセプトに立ち返り、2018年と同じ作品を展示をした上に、2019年に新たに描いた作品を加え、さらに一週間の開催期間中にも新たな絵をライブペインティングに描き足して行くということを試みました。
一週間で、柾谷小路の絵や、今までの僕の絵に登場するキャラクター達が集合する絵を描けたのですが、それは僕が新潟を好きな気持ちと、これまで自分が幼少期から愛してきた絵本のような誰が見ても普遍的に幸せな気持ちになれる絵を描いていきたいという気持ちの総まとめとなる絵を、自分なりに表現してみたつもりです。

もちろん、新潟で知名度があるわけでもない自分が一人で、しかも古町のソープ街の目と鼻の先にある細い路地にあるうどん屋の2階という、極めてアンダーグラウンドでマニアックな会場で行うイベントなので、大きな集客力があるわけでもないし、来てくれた人達はほとんどがもともと僕の知り合いだったような人達だけでしたが、それでも、ずっと思っているように、ただの内輪受けで閉鎖的ないイベントにならないように、ちゃんと「アート」という表現をしたいなということは、常に考えていました。
なので、来てくれた人には自分が新たな作品を作ったり表現をしようとする姿をちゃんと見てもらおうと心掛けたし、来れない人にも見てもらえるようにネットを活用してトークイベントのツイキャス配信や、毎日イベントが終わる度にSNSやブログに画像を投稿してその日一日のまとめ的なものを毎晩更新するように心掛けました。

嬉しかったのは、来てくれた人達が僕の部屋に遊びに来たみたいだと面白がってくれたり、僕と話すことを楽しんでくれたり、時には初めて出会ったお客さん同士が仲良くなったりもしてくれたことでした。
確かに集客は決して多くないし、正直2018年に比べて減ってはいるのですが(前回はcana÷bissの桐亜さんの集客が凄かったんです。やはりアイドルは強い…)、それでも新しい人が来てくれたりもしたし、何より大事なのは「来てくれた人は楽しんでくれた」ことだと思っています。

僕が演劇を始めたばかりの頃はとにかく集客を伸ばすことが大事だ!と意気込んでいたりもしたのですが、それよりも前にどんなに集客は少なくても「来れば間違いなく楽しい」ことを確実に続けていくことの大切さに「ちひろdeアート」の体験で気付かされました。
もちろん、今後も続けていくに当たって、自分の活動をもっと多くの人に知ってもらうための努力はしていくつもりですが、それよりも前に、自分の表現活動の土台となる部分をこの一週間、もっと言えばこの一年間で作ることが出来たのは、本当に大きな収穫だし、自分で言いますが成長できた部分だと思います。





記念に、「ちひろdeアート」が無事に終わった夜に、2019年最後の日曜日に食べたカレーの画像を載せておきます。





さて、長々と書いてきましたが、こうして無事に2019年の「ちひろdeアート」が終了したところで、2020年の目標を書いていくと、2019年同様に「月刊おはなし図鑑」などのトークイベントを続けることで新潟のサブカルチャーを掘り下げていき、それをさらに書き起こしで本という形で出版することが一番の目標です。
そして、そこと繋がる話ですが、これまで「月刊ウインド」などにボランティアで書いていた文章のお仕事を、これからは何とかそれで食べていけるようにできたら一番いいなと思っていて、そのためには日常的にブログやSNSの投稿も含めて自分から文章を発信し続けることで、いつかチャンスが来た時のために自分の貯金を貯めていくことも必要だなと思っています。

そして、一年後にどこまで出来ているか分かりませんが、また2020年の年末には「ちひろdeアート」を行い、一年間の自分の総まとめとなるようなイベントを企画したいと思います。
自分の表現活動を続けて行くこと、それをこうして記録し続けていくことで、新潟のカルチャーにとってプラスとなることが出来るように、2020年も新しいことに挑戦していきたいと思います。





長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
2020年もよろしくお願いします。





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