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舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

Noism1実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』『鏡の中の鏡』観て来ました!

2019-02-20 22:58:32 | Weblog


1/25(金)~2/17(日)にかけて、13回にわたって上演された、Noism1の実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』『鏡の中の鏡』。
公演回数も多いし…と油断していたらなんと完売続出で、僕は数少なく空いていた2/16(土)になんとか滑り込むように観に行って来ました。





会場には、金森穣さんが毎日芸術賞を受賞された時の賞状や、





井関佐和子さんがニムラ芸術賞を受賞された時の賞状が飾られていました。



という訳で、感想を書いていく前に、僕が何故Noismが好きなのか、ということから書いていこうと思います。
まず、僕はNoismを観るようになって5~6年くらいになるんですが、観始めた最初の頃は、正直面白さよりも、難解に感じる部分が多すぎて、「よく分からない」という感想だったりもしました。

が、それでも毎回見続けているうちに、どんな公演にも「なんか分からないけど凄い!」って強く思える部分は必ずあったんですよね。
だから、どんなに難解でも「もう観なくていいや」じゃなくて、「ちょっとこれはまた観てみたいな…」と毎回思わされてきました。

そして、ここが大事なんですが、何度もNoismの公演を見続けていると、時々「もう最高に面白すぎる!」っていう公演に出会う時があるんですよ。
そういう時は、もう本当に誇張表現じゃなく、今までの自分の舞台芸術というものに対する常識を破壊されるような、「こんな凄い世界があったとは!」という衝撃を受けるほどの面白さなんですよね。

で、今回の『R.O.O.M.』『鏡の中の鏡』は、まさに、とにかく文句なしにストレートにめちゃくちゃ面白かったです!
芸術を語る語彙があまりないので恐縮ですが、マジ最高!です。最高!最高!過去最高に良かったかも知れません。

もちろん舞踊なので、演劇とかと違って台詞はない訳ですが、身体表現だけで観客の想像力を掻き立てる力が凄まじいんですよね。
だから、『R.O.O.M.』も『鏡の中の鏡』もまるで物語を観ているような気持ちになってとてもワクワクしました。

もうネタバレしていいと思うので書いていくと、『R.O.O.M.』は、なんと箱のようなステージの天井が開くと、そこから人間が降下してくるという、まさかの登場に驚かされました。
どういう仕組みになっているか分かりませんが、下りてくる演者さんはもちろん、見えない天井の上でも、その下(舞台の上)での見事な連携プレイで、一歩間違えば危険なことにもなりかねない舞台を、よくぞ成立させていたなという、まずその身体能力に感動しました。

もう、その時点で凄すぎて見応えがあり過ぎるんですけど、天井から人が次々と降下してきては、下で踊り始めたり、同時に何ヶ所かから降下してきたりと、一つの演目の中にも人間の動きに様々な変化があってまったく飽きることはありませんでした。
そして、そういう人の動きの一つ一つによって、台詞もない舞踊の世界に、まるでストーリーがあるように感じられました。

例えば、物語の起承転結の中で人間関係が変化していく、それを表現しているようにも見えたり、またあの舞台を一つの街に例えるならば、人々が出入りしては変化していくある街の歴史を見ているようにも見えたりしました。
舞台の正解は一つではないので、色々な捉え方が出来ることは舞台が豊かな証拠だと思いますし、言葉がなくても舞踊によってそういう様々な世界を表現することが出来るのは、芸術としての普遍性があるってことなんだろうなって思いました。

続いて、『鏡の中の鏡』は、金森穣さんと井関佐和子さんの二人芝居なんですけど、まずは舞台上で金森穣さんが一人で踊っていると、舞台の一角が鏡になっていて、踊る金森穣さんが映っている…
…と思ったら、ある瞬間、その鏡の中になんと井関佐和子さんが映るという、突然の展開にまずハッとさせられました。

おそらく、あの鏡がマジックミラーになっているってことだと思うんですけど、舞台の上(手前)と、鏡の向こう側(奥)とで、二人が見つめ合ったり時にシンクロしたりしながら踊るという、非常に息の合った二人の舞踊に惹きつけられました。
そして、何度か暗転すると、その度に舞台上と鏡の向こう側にいた二人の位置関係が入れ替わったりするんですよね。

これは先程の『R.O.O.M.』以上にわりと物語として分かりやすいかなと思うんですけど、要は決して出会えないけれどお互いの存在には気付いている二人が、最後どうなるのか…!?と非常にワクワクさせられるんですよね。
これも例えば、並行宇宙の二人とか、違う惑星にいて交信している二人とか、そういうSF的な見方も出来るし、もっと単純に、愛し合っているけれど運命がそれを許さないロミオとジュリエット的なラブストーリーという見方も出来るし、さらに『君の名は。』的なファンタジーとしての見方も出来るし、と、これまた非常に豊かな想像力を掻き立てる公演だったと思うんですよね。

そして最後の最後、詳しいことまでは書きませんけど、そんなずっと出会えそうで出阿なかった二人がまさに「あっ!」と驚く結末を迎えるんですよね。
これが、非常にシンプルな終わり方なんですけど、二人の息の合った完璧なタイミングもあって、物凄く感動をしちゃったんですよね。

そんな訳で、『R.O.O.M.』も『鏡の中の鏡』も、ちょっと面白さは全部書ききれませんが、とにかく、面白かった!マジ最高!っていう舞台でした。
何が素晴らしいって、普段舞踊とかに慣れ親しんでない自分のような人間でも最高に楽しめるし感動できたってことで、まさに普遍的な価値のある芸術なんじゃないかなと思ったんです。

多分、Noismに対して、やっていることが高度すぎて芸術の世界に慣れ親しんでいない自分は観ても面白さが分からないんじゃないか…って思ってしまっている人も多いと思うんですけど、そんな偏見を吹き飛ばすような力強さのある舞台だったと思います。
つまり、芸術のことを何も知らない自分のような人間でも、最高の芸術の世界に連れて行ってくれるという、これこそ自分がずっと観たかったNoismだって思いました。

以前、金森穣さんのトークを観た時に、Noismは本気で芸術というものの新しい芸術を作ろうとしている人達なんだと知って、すごく感動したことがあるんです。
つまり、芸術という、言わば人類が長い歴史の中で育んできた財産を、過去から未来へと伝え、そして新たに創造することで、その新たな歴史を刻んで行こうと、そういう高い志を持った人達の集団なんだなと。

ただ、どんなに凄い芸術を作ろうとも、それが誰にも伝わらなかったら意味ないじゃないか…なんて考えたこともあるんですけど、Noismが凄いのは、そんな最高の芸術を、常に僕みたいなごくごく普通の一般市民にもちゃんと伝わるような作品を毎回作っているということなんですよね。
一部の玄人とかマニアックなファンだけにしか良さが伝わらないんじゃなくて、おそらく老若男女が観てそれぞれに感動を与えられるような、もっと言うと、新しい芸術の世界にを見せてくれる、新たな芸術の高みに連れていってくれる、そういうところが本当に立派だと思うわけです。

いや、僕もひねくれた人間なので、「芸術に存在価値はあるのか…」なんていう面倒なことを自問自答してしまったりすることもあるんですけど、Noismの超面白い舞台を観たあとって「いや、芸術は間違いなく価値があるわ…こんな凄いものは未来に伝えていかないと勿体ないわ…」って思ってしまう訳です。
芸術に詳しいわけじゃないですが、自分なりに芸術の存在意義を言うなら、「出会う者に世界の新しい見え方を教える」っていうのがあるんじゃないかと思うんですが、Noismの舞台にはまさにそういう力があると思っています。

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