【 山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴 】
【 やまぶきの たちよそひたる やましみず くみにゆかめど みちのしらなく 】
高市皇子
山吹が
咲いている
泉の
ぃとしぃぁなた
すきだょ
十市皇女さま
ぉられると
水を汲んで
会いに
けれど
道が
のです
この歌も
なげいておられる歌
続いて3首目ですね
万葉人の
水を汲むということは
だれでも
ことですね
今は
汲みに行かなくても
水道から出てきます
お水って
生きているように
感じるのです
実際
この世に生まれたお水でも
いろいろで
ちょっと
違うので
いい!
自分に合うお水を
汲みに
わいている所には
何か
この場所に来られていたのではないかしら
そこにおられるのでしょうか
っていうことは
お水には
心が入っていることを感じます
御神水を
永遠の命とつながる
光を
清らかな気持ちになります
オーストラリア大陸
内陸部の
赤い土の砂漠で出会った
アボリジニの
海を
水の穴
お水がわきだしてくる
穴を
目をうるませていました
母の吉岡俊は
足で生ける花として
ぉ山へ入って
木の枝を拾って
お茶で使うお水も
自分にとって
お水がある
偶然が重なって出来たものだそうです
と
お水から
私達
人も
生まれてきたのね
あぁ~
万葉集なのに
お水で興奮してしまいました
なんでしたかしら
十市皇女さまの
魂が
雇っていると言われている
お水がわいている
泉へ
場所がわからないのですね
わかりました
ちょっと
時間が出来ましたら
探してみます
その泉
きっと
飛鳥へ行って
十市皇女さまに捧げます
思います
高市皇子さまは
きっと
道は知らなくとも
十市皇女さまのお心があったら
泉によばれ
祈りを捧げられた
ことでしょうね
ありがとう於良