奄美シェアハウス草庵

奄美の森を守れ!

日米文化会館のオルガン

2008-06-13 20:12:34 | 脳梗塞のリハビリで思った心配、不安
四万人前後の名瀬に住んでいる全ての人、みんなが「文化会館」と呼んでいた1950年代から1960年代の、当時の名瀬市では一番大きなホールのあった、アメリカ軍政府時代の「日米文化会館」、後の「鹿児島県立図書館奄美分館」に僕のお父さんは勤務するようになりました。僕が小学校の三年生から四年生になる頃です。そこでは酔っぱらいの当田さん、求さん、アルバイトの東さん等常に5人から7人の職員が働いていました。        島尾伸三

伸三さんのなかでは父はいつも酔っぱらっていたのですね。でも生涯島尾先生の執事として一緒に仕事ができた父、そして私たち当田家の家族にとっても大切な思い出です。
洋風木造二階建てだった「日米文化会館」は伸三さんが小学生の頃、私が幼稚園の頃楽しい遊びの場所でした。一階の廊下にあった大きなオルガンに触るのが楽しくて、「日米文化会館」に行く時はきまってこのオルガンの鍵盤の上にあった押したり引いたりして音を出すペダル(?)をぞんざいに扱い遊んでいましたが、ついには引っこ抜いて壊してしまったのは私です。あの大きなオルガンはその後どこへ行ってどうなったのでしょう。
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