くもり空の下で……

アルコールとギャンブル。依存症からの回復と成長を目指しながらの日々の雑感を発信。趣味の渓流釣りなども公開しています。

国境なき恩人

2017-09-04 17:30:41 | 日記
久しぶりに自宅から少し離れた場所にある温泉に行ってきました😌♨





その温泉に向かう途中には、以前私が仕事をしていた頃に毎日収集をしていた取引先である朝鮮学校がある。



収集場所であるゴミ置き場は学校の給食室の隣にあった為、収集時には給食を作っているおばちゃんに一声かけてから収集を行っていた。
長年通っていると、ただ挨拶をするだけではなく世間話やお互いの近況などを話す仲となり、いつしか



私:
「こんちはー、おばちゃん。昨日は仕事帰りにかなり負けちゃったよ。。。
2万も(>_<)」



おばちゃん:
「ほらみろ、だから止めとけって言ったじゃねーか~。釣りならいいけど、パチンコはダメだっていつも言ってるじゃねーか~。」

………などというくらいの会話をするようになっていた。
おばちゃんには私と同じ歳になる息子もいるせいか、私に親近感をもってくれていたようだった。

「ほら、これ持っていき。」
と、本場のキムチもよく頂いたりもした。


私が会社を辞めるときには、
「あー、寂しくなっちゃうね。。。
また次の所が決まっても、たまには顔を出してくれよ。おばちゃん待ってるからね。」と、言ってくれていた。







あれから1年半が経った…………

退職するときに手土産を持参し挨拶はしたものの、あれから現在まで1年半ぐらい経ったが、私はとても顔を出せるような状態ではなかったので、その近くを通りかかっても顔を出すことはなかった。




「おばちゃん、元気にしてるかな?」

……と、ふと学校付近を通りながら思ったので、今日は久しぶりに顔を出してみることにした。






「こんちはー。おばちゃん久しぶりー。」

………と給食室で休憩していたおばちゃんに声をかけた。

『あれやだ!!
○○さん!よく来てくれたわやー。心配してたんだよ。』


………といって、私が顔を出したことを大変喜んでくれた。
私が退職する前には後任者への引き継ぎをしておいたが、その後を引き継いでくれている彼から私の様子はチラッとおばちゃんの耳に入っていたようだった。



それからしばらく、私のこの1年半の間に起きた出来事を隠さずに話した。
退職後パチスロと酒に溺れ、精神科へ入院していた事。退院してから現在までの事など。
すると……




『まぁでも、元気そうな顔見たから安心したよ。

でも、いつまでもダラダラダラダラしてちゃいけないよ。
身体が元気なら働かなきゃ!!

またおいで、今日は無いけどまたキムチ用意しておくから。』





………と、今日はキムチではなく、叱咤激励をもらった。





おばちゃんは在日朝鮮人。
だけど、私とおばちゃんの間には国境はない。
政治的な触れてはいけない話題も確かにあるとは思うけれど、そんなことは私にとっては重要な問題ではない。
どこの出身であろうと、私にとって大事な恩人であることには変わりはない。

今回紹介したおばちゃん以外にも、この学校には幼稚園児から中学生までの育ち盛りの子供たちもたくさんいる。
私にとっては朝鮮人であっても、尊敬のできる恩人(おばちゃん)は存在する。

「それじゃ、おばちゃん元気でね。」
……と挨拶。


『おばちゃん……仕事見つけて、もう少ししっかりすることができたら、また必ず顔出します。』
………と、心の中ではそう挨拶をし、その場を後にした。







ギャンブル依存症である私から、朝鮮関連の話題としてもうひとつだけ……

「恨みは回復への障壁」

よく「パチンコ屋なんてなくなっちまえ!」とか、「これからまたより規制が厳しくなるから、もはやパチ屋も終わりだな。ざまーみろ。」とか言っているギャンブル依存症者の記事をみかける……
パチスロ依存症でもある私は、確かに自分の人生をパチスロにより破綻させた。
けれど、朝鮮人が経営をしているパチンコ屋だからといって、そのパチンコ屋を恨むようなことはしなくなった。
なぜなら、いくら恨んだからといってパチンコ(パチスロ)への依存は決して無くなることはなく、むしろ恨めば恨むほどそのパチンコ(パチスロ)に対する執着心は強くなってゆくだけだと私は思っているからだ。

降参すること。それがパチンコ(パチスロ)依存からの回復へ向けての第ニ歩め。
第一歩めは、自分がパチンコ(パチスロ)に依存している、「依存症者」「ジャンキー」であるということを認めることから始まる。
いくらパチンコ(パチスロ)屋への恨みを募らせてみても、それだけでは決して簡単に止められるものではない。

(この"恨みは回復への障壁"についてはまた改めて記事にでも出来ればと考えております。)