くもり空の下で……

アルコールとギャンブル。依存症からの回復と成長を目指しながらの日々の雑感を発信。趣味の渓流釣りなども公開しています。

過剰な病人意識

2017-09-01 13:56:00 | 日記
自分はアルコール依存症。
ギャンブル依存症。

平たく言えば、精神疾患患者。




それを認めることは勇気がいる。
否認の病とも言われる依存症という病。


私も自分自身が生きてゆくのに

「もうどうしようもない。。。」

……と思う底つきの経験をするまでは


「依存症?オレが?ハハ。冗談じゃない💢」

……というように否認していた。





だけど、その「もうどうしようもない」という底つき経験を経て、認めざるをえない状況までいって初めて




「オレは依存症なんだな………」

と認めることができた。





回復のために必要なことは、その「認める」ということからだと私は思っている。
しかし、認めることは大事だけれど、「自分は病人だから」という思いが強すぎると日常生活にまで支障をきたす恐れがあるのではないかと私は思っている。

以前の記事でも紹介した通り、AAにおける私のスポンサーは私の従兄。
(私のスポンサーであり、私の従兄でもある彼の紹介記事⤵)
従兄 - くもり空の下で……



従兄には去年の入院当時から大変お世話になっている。
私の気持ちが不安定だったりするときには身内としての意見、そしてスポンサーとしての客観的な意見で解りやすく私を諭してくれたりする。

従兄は現在アルコール依存症と鬱病の二つの疾患を抱えていて、障害年金を受給しており働いてはいない。
私から見ていると、従兄はいつでも就労できそうに見えるのだが、就活をしてはいない。

「ねぇ、なんで従兄ちゃん仕事しないの?」

……と聞いてみると、

「うーん。。。オレ鬱あるじゃん。
面接してもらい、働くことはできると思うけど、日によって気分のムラがあるからね。
調子が悪い時にはホントに起き上がれないんだわ。
それによって雇ってくれた人や同僚の人たちに迷惑かけることになると思うから今は仕事探してないよ。

自分が迷惑をかけてしまうことが分かっていながらも、そこに就職するということは配慮の欠如にもなると思うしね。」



…………と話していた。




12ステップの中では一節に、
『人の過ちはさておいて、私たちは自分自身の誤りだけを断固として厳しく見つめた。
自分がどこで利己的で、不正直で、身勝手だったのか。何を恐れていたのか。何もかもが自分だけのせいでそうなったのではないにしても、他人をまったく抜きにして考えてみようとした。』



……とある。
『重要なことは、不正直、利己的、身勝手、恐れ、他人への配慮の欠如という性格上の欠点を見つけ出すこと。』
……ともある。



スポンサーは、この配慮の欠如のことを言っていたのだと理解はしているが、なんとなく腑に落ちない気分だった。





人への配慮はもちろん社会で生きてゆくためには大事なこと。
でも、「自分は精神疾患、病人だから……迷惑をかけてしまうかもしれない。」
などと考えていたなら何もできなくなってしまうのではないだろうか?

自分自身の欠点を自覚することはとても大事ではあるけれど、精神疾患患者に多くみられるのが、主治医などに言い渡されてもいない病名まで、自分自身でレッテルを貼るように考えている人が非常に多いように感じる。

私もそうだ。

アルコール依存症と診断書には記載はされたけれど、鬱病、または躁鬱病などと主治医に言い渡されたわけでもないのに「自分は鬱だしな、ACでもあるし、もしかしたら発達障害やアスペルガー、ADHDもあるかも………」
などと思ってしまうこともある。



だがそんなことばかりを考えていたら何もできなくなってしまう。


「オレはアルコール依存症、ギャンブル依存症。
でもその他はいたって正常。」







そうでも思ってなけりゃ先には進めませんよ、人生なんて。