「ごきげんいかが?」でしたか。
「われは草なり」 高見 順
われは草なり 伸びんとす
伸びられぬ日は 伸びぬなり
伸びられる日は 伸びるなり
われは草なり 緑なり
全身すべて 緑なり
毎年かわらず 緑なり
緑の己れに あきぬなり
われは草なり 緑なり
緑の深きを 願うなり
ああ生きる日の 美しき
ああ生きる日の 楽しさよ
われは草なり 生きんとす
草のいのちを 生きんとす
七五調で口にし易く自分を草になぞらえ私と同感で大好きな詩です。「伸びられぬ日は 伸びぬなり」何もしたくない時に慰められます。
暦の上ではもう立秋です。まだまだ残暑の厳しい日が続いています。秋の七草のキキョウの蕾が次々膨らんではポッと開いて涼しげな紫色の花の数が増えています。ナデシコも咲き始めました。夏枯れの庭に少しばかりの小さい秋が見られます。これだけで少し気持ちが和みます。
気付けば庭に侵入して座っている見かけない白い猫。近づいても何度呼んでもまったく知らぬ顔、無視、無反応、見向きもしない。この目つき、何と気位のお高いこと!。知らぬ人なんかにお愛想なんてしません。目の前の木の根元をガリッ、ガリッ、ガリッ、ガリッと引っかいて爪を磨き、何食わぬ顔、動じない足取りで悠々と出て行きました。立派です。あなたは猫でありました。
うわっ~、クモの巣だぁ~、あちこちに巣を張るので、わたしが網にかかってばかり、クモはどうも苦手。破られても繕って網の中央でじっと『待てば海路の日和あり』か。いらだたずに待っていれば、早晩幸運が到来する…待つことの大切さもありますが、自分で動かなければと思う。暑い夏は何もしたくない、はかどらない事も多いですが、暑いのを忘れているのは何かに一生懸命な時です。気力や体力からも安易な方に流れて行く自分との戦いです。待っていてばかりでは何も変わらない。