定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

少子化は人類衰退のシグナルか?

2024-06-05 16:05:56 | Weblog

日本の昨年度「合計特殊出生率」が過去最低の1.20にまで低下したという。

人口を維持するために必要なそれは2.07だと言われているから、この数字から

みただけでも少子化、その先の人口減少傾向は明らかだ。

出生率低下は何も日本だけの現象ではなく、世界的傾向のようだ。

特に先進国と言われる国々のそれの低下現象はすでに顕著だが、

従来出生率の高かった所謂発展途上国でも、経年的に見るとその低下傾向は

明らかのようだし、そう遠くない将来人口減少に転じることは

間違い無いだろう。

結論的に言えば、未だこの時点で、世界人口は増加しているが、

それほど遠くない将来、地球上の人類はその数を減らし、

いずれ衰退の道を辿ることになるように見える。

これが単なる社会現象で、社会環境の改善などでその数値を上昇方向に

持っていけるだろうか?

いやこの傾向は「生物としての人類」の生存の基本的問題で、人類はいずれ

衰退、絶滅の方向に向かっているのか?

あと100年もたたずこの問題の先行きは、明確な答えが出るだろう。

 

 

 

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前髪

2024-06-01 08:41:37 | Weblog

こんな歳になって、ある時、突然、女性の前髪が気になり出したら、

それが頭にこびりつき、テレビなどを見ている時などに、

ついつい女性の髪型をチェックすることが多くなってしまった。

なぜそんなたわいもない事が気になり出したかと考えてみたら、

どうもテレビの何かの番組で、古代中国の皇帝が被っていた帽子が

きっかけだったような気がする。秦の始皇帝のそれだ。

被り物の上に角状の板を置き、それから簾状の飾りが顔の前面に垂れている

帽子だ。冕冠(べんかん)というものだと言う。

板状のものを冕板(べんばん)と呼び、旒(りゅう)と呼ばれる玉飾りが

垂下している。

昔の天皇が簾を隔てて人と合っていたようなもので、一種の権威づけ

だったのだろう。

話は現代に戻るが、前髪を垂らした髪型は日本女性特有の髪型のようだ。

外国の女性の髪型には、ほとんど前髪が見当たらない。

不思議な現象だ。

日本の女性は無意識に「権威づけ」をしているのだろうか?

いやそんなことはあるまい。しかし面白い傾向を見つけてしまった。

 

 

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虎に翼

2024-05-28 09:42:01 | Weblog

NHKの朝ドラ「虎に翼」を視聴している。

今放映されている時代が、ちょうど終戦前後頃のことで、小生の小学校入学前後の時期と重なる、80年位前のことだ。

男女平等などの意識はまだまだ一般的に行き渡っておらず、やっと数人の女性が

初めて弁護士資格を得て、それでもなお法廷に立つことが非常に

困難なことだったことがドラマの中で語られている。

そんな今では考えられない様な社会常識が、歴史的にはごく短時間(私の

人生の間という時間)で、ガラリと変わってしまったことには、

今更ながら驚きだ。

単に男女同権という思想の変化だけではない、社会の倫理道徳が駆け足で変化している。同性婚、共同親権、外国人受け入れの促進、夫婦別姓、障害者の優遇、

など人権に関する社会の基本的受容度の進展だ。

科学技術の指数関数的進化、それに伴う我々の生活環境の急速な変化が、

急速な「社会の精神的進化」を促したことは間違いない。

しかし一方で、一人の人間の訳の分からない論理で数万人を殺すことになった

侵略戦争を始めたり、民族間の軋轢で数万人が死に直面したり、宗教的教えが

人々の日常生活を極端に制限したり、独裁者や独裁グループが独善的正義を人々

に押しつけたりと、未だ「今日の」世界では上記の「社会的進化」とは真逆な

現象が人間社会を支配している。

将来の人間社会は「今日の人間社会」をいかに評論するであろうか?
興味深い主題だ。

 

 

 

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老人性難聴と補聴器

2024-05-18 15:39:10 | Weblog

もう十年近く前からだろうか、徐々に聞こえが悪くなってきたのを自覚し始めた。

当時時間潰しのつもりで参加していた英会話教室で、長方形に並んだ生徒の遠方の、特に女性が

話す英語が聞きづらいと感じたのが最初の兆候だった。

女性だから声が小さいのだろうとか、英語の発音が不明瞭だからだろう、などと聞こえの不調の原因を

相手のせいにしていたが、そのうちにテレビの音声ボリュームが家人とレベルが違うようになって、

ああ老人性難聴が始まったかと自覚するようになった。

英会話教室は、その度に「もう少し大きな声で」とお願いすることも度重なり、相手に失礼だと感じたりして、

とうとう英会話は諦めた。

テレビの視聴も小生の聞こえのレベルにボリュームを上げることがちょっと限界になり、いつの間にかテレビに

イヤフォンを接続することになってしまった。

近頃では、電話の呼び出し音を聞き逃すことが出てきたりして、いよいよなんとかしなくてはいけないのではないか、

と思い始めた。

何人かの友人も「補聴器」の使用を数年前から始めたというし、補聴器という代物の世話にならなくてはいけないのかと、

インターネットなどで調べてみた。

難聴対策用補助具とし2種類の器具が売られていることがわかった。「補聴器」と「拡声器」である。

補聴器とは医療機器で、法律で厳しくその品質、有効性及び安全性の確保が要求されており、

厚生労働省の認定されたものという定義があり、故に一般的に高価なもので、数十万円することが珍しくない。

一方よくテレビなどで宣伝されている耳掛け式や耳穴式のワイヤレスイヤホンは、「集音器」と称し、

医療機器ではない。価格的に種々多様で、数千円からせいぜい数万円代と補聴器と比較してごく割安である。

呼称や法的認定は、性能を保証するものではないから、高価な「補聴器」が必ずしも高性能であるということ

でもあるまい。難聴の内容や度合いによっては必ずしも「補聴器」でなくてはならないということではなさそうだし、

その価格差を考えれば、所謂「集音イヤホン」でも聴力改善補助に相当な効果はあるかもしれない、

と考え今回「耳掛け式集音イヤフォン」を購入してみた。

しかしこれが単なる集音とか拡声だけの機能を有しているだけでなく、専用のスマホアプリで事細かく「調整」ができる。

リスニングモードの選択とか、イコライザー調整、雑音抑制、集音方向、音量調整など調整項目が多く、また項目毎の

調整度合いも何段階もあり、どこをどの程度調整すべきか途方にくれる程だ。

まあ、最初から適正に調整できるはずも無い、当てずっぽうに調整して、使い始めてみた。

聴く必要もない本のページを捲る音とかドアの開閉音とかが必要以上に響いたり、ハウリングのような音が聞こえたりと

予想をしなかった音が伝わってきたりして、びっくりもしたが調整も挑戦だと思い使い始めている。

まあ1週間もすれば使いなれも出て、なんとかなるのでは無いかというのが、使いはじめの感想だ。

80も後半に差し掛かり、生来の身体機能もあちこちガタがでてきて当たり前。

少しでもガタ修正ができれば万歳だ!

 

 

 

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The sunset grow

2024-05-14 06:15:11 | Weblog
 

What a breathtaking  sunset!

I only witness such a magnificent sunset a few times a year. And the best part is that I don't have to go to

some special location to see it; I can enjoy it right from  my apartment building.

The title of this blog(定年ジジイの夕焼け人生) seems a bit embarrassing in light of this spectacle.

 
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財布を忘れる

2024-05-11 15:03:10 | Weblog

スーパーに行って、いざレジで支払いをしようとして、財布を持っていないことに気づいた。

いささか慌てたが、落ち着いたふりをして、レジの若い女性に財布を忘れたから、一旦取りに帰るから

買い物かごをそのままにして暫く預かって貰えないかと頼んだ。

財布を忘れて買い物をしたことは過去に何度かあったような記憶だが、しかしここ近年の経験はない。

やはり老人性の「なんとか」が顔を出し始めたのかと、財布を忘れたことの気恥ずかしさよりも、

そっちへの心配が出た。

まあ、しかしこの程度のド忘れは、生きていく上での潤滑油みたいなものだと、気にすることなく

過ごすことにそれほどの抵抗がないことに気づくと、それが歳を取ったことだと言われた。

 

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直立二足歩行

2024-04-28 10:51:40 | Weblog

歩行速度が落ちたと何となく自覚し出したのが、70歳になってからだったと思う。

しかしそれが確実に、傍目からでもわかるようになり、しかも若い人並みに歩こうとすると

身体的に相当な無理を強いることになったのは、やはり80歳台に入ってからだ。

街中を「普通に歩いて」いて、「普通に歩いている」若い人に自然に追い抜かれることに気づいたことが

歩行速度低下を自覚した最初の現象だった。その当時それに気づいて、意識して歩行速度を上げれば、

それほど苦労せずに追いついたが、いつの間にか最大限努力しても絶対に追いつけないようになってしまった。

今では、横断歩道の信号が青になった瞬間に横断し始めないと渡りきれない。歩行者用の信号が青であっても、

青の経過時間が半分を過ぎていればもう諦めて、次の青を待つようになってしまった。

赤ん坊の時、最初に立ち上がって歩き始める瞬間のぎこちなさは誰でも経験する人間としての成長期の

代表的特徴だ。そして一歩、二歩と直立二足歩行がスムースにできるようになり、人類になる。

それが年老いて、何十年と何気なく「歩いて」いた動作の困難さに気づき始め、直立二足歩行が

本来はいかに難しい物であると気づくことになる。

若い時は何も感じなかった動作が「困難になる」一つの典型的な例が直立二足歩行であろう。

2メートル近い長さと数十キロの重さの「胴体」をわずか200平方センチの面積の足裏二つで

支え、時速4キロ以上の速度で移動する「直立二足歩行」とは今更ながら偉大な人類の特徴であると

実感する今日この頃である。

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電気自動車の普及

2024-04-24 18:30:10 | Weblog

電気自動車普及の先駆者的存在であったイーロン・マスクのテスラ社の勢いが一時に比べて明らかに低下した。

また政治的思惑でもあった中国での電気自動車の爆発的普及も影が差し出した。

一時は、ガソリン車は数年以内に電気時自動車に取って代わられるのでは、と予想されるたが、

どうもその形勢が怪しくなってきた。

確かに電気自動車の、温室効果ガス削減に対する貢献は少なからずあると言われる。

またいわゆる進歩人にとって、電気自動車は、従来のガソリン車に比べて価格的に多少高くても、

地球温暖化に貢献できると自己満足を満たす代物であり、環境重視的先駆者として見られる自己顕示欲も

満足させられる買い物であろう。

一方自動車産業後進国であるが、人口的に潜在自動車購買層の分厚い中国にとっては、

電気自動車は自動車産業の覇権を握れる好機と捉えて、電気自動車購入に対する莫大なインセンティブを用意し、

一気に自動車製造大国にならんと目論んだ。

そのような背景のもと、電気自動車の普及は一気に伸び、一時はガソリン車はすでに前時代の代物に成り下がる

様相さえ見え、数年以内にも自動車は全て電気自動車になると見る極端な傾向もあった。

しかし冷静に計算すると、その製造過程から廃棄に至るまでの自動車のライフサイクル全体では、

必ずしも電気自動車が二酸化炭素排出量でガソリン車を圧倒しているという計算は、現状では出来ないようだ。

確かに再生エネルギーを使用する限り、電気自動車はガソリン車に比べ圧倒的に環境にやさしい。

しかしその再生エネルギーの生成がいまだに経済的に確立していない現在、電気自動車がガソリン車に

比較して圧倒的に環境にやさしいとは言えない状態だ。特に膨大な電池を駆動源とするため、

その廃棄が環境的に負荷が大きいというマイナス点がある。この時点では大きな社会的問題にはが、

将来的に電気自動車が主流を占めるようになった場合、この問題は新たな環境負荷を生み出すことになる。

 

単に電気自動車は二酸化炭素を排出しないから、地球温暖化にとって万能であると考えるのは

いかにも短絡的のようの思える。

自動車の電気駆動は、目先の問題としてではなく、長期的かつ総合的視野に立った将来計画が

必要であろう。

 

 

 

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辞世の句

2024-04-13 18:59:43 | Weblog

静岡県川勝知事が辞意を表明した場で披露した句。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」は細川ガラシャの辞世の句として有名だ。

川勝知事以前にも、細川元総理と小泉元総理も、辞意を表明した時にこの句を披露したそうだ。

つまり川勝知事の場合は三番いや四番煎じということで、オックスフォード経済学博士にしてはちとお粗末すぎる。

せめて、「去りぬべき時を失して まだ散らぬ 人に言われて

               やっと散るバカ」程度の句を披露してほしいものだ。

 

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性善説

2024-04-12 09:50:06 | Weblog

人は本来「善」であり、それを基として信頼関係が生まれ、社会がスムースに回る、というのが「性善説」であろう。

しかし今回の水原通訳の事件の全貌が明らかになるにつれ、「性善説」の脆さが浮き出てくる。

今回水原通訳のなしたことは、多額の金額を無断で大谷選手の銀行口座から引き出し、それを賭博に費やしたということ以上に、

人々に「性善説」の虚しさを植え付けてしまった、ということではなかろうか。

 

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