私が父の家を出て母の元に来た時、母には付き合っている恋人がいた。
当時の彼女はまだ30代半ば。若さも華やかさもあったからそれは当然のことで、すでに高校生になっていた私も、そんな事は始めから予測していた。
いや、私が彼の存在に薄々ではあるが気付いていたのは母が出てゆく前で、その後、数度母と会うたびにそれを確信していった、と言ったほうが良いかもしれない。
それでも、私にとっては母が幸せであればそれで良かったし、家を出て、突然母の元にやって来た私を、その「母の恋人」が大変可愛がってくれたこともあり、私の、いや、私と母の新しい生活のスタートは、とてもうまくいっているように思えた。
そう。私は知らなかったのだ。
母の恋人が実は妻帯者で、しかも世でいう「ヒモ」だということを。
少なくとも数ヶ月間は.....知らなかった。
ただ、「ヒモ」と言っても、暴力を振るうわけではない。
ひたすら母にマメに尽くし、その見返りに金を貰う、そんなやりかただった。
彼はひたすら細かなことによく気がつき、女性のニーズに敏感だったから、女性にもよくモテた。
母はといえば、元々が不倫なのだから嫉妬も何もあったものではないと思うのだが、彼の浮気が判明するたびに逆上し、泣き、私に自分の辛さを訴えた。
私はといえば、周囲の同年代の子たちから比べれば世の中の良くない部分をたくさん知っていたとはいえ、所詮子供だったから、自分を異常なまでに可愛がってはくれるものの、母を泣かせる彼の事が許せず、彼に対し、次第に憎しみを強くしていった。
なぜなら、もうひとつの事実に気付いていなかったから。
私はほんの子供だったから。
母が、「彼の浮気の証拠さえ握れれば、私はきっぱり彼と別れるつもりだ」と言ったとき、私は本気でそれを信じ、まだ十代の子供とは思えないやり方で色々な事実を調べあげた。
そうすれば、母が不実な男の呪縛から逃れ、彼に流れてゆく大金を彼女自身のために使ってくれると信じたから.....。
しかし、実際に現実を、事実を目の前にした母は、怒り、泣き、叫び、最終的には
「あなたはこれだけ尽くした私を捨てるのだ。あなたが私に今まで言ったことはウソだったのか」と言って、彼にしがみついた。
母と彼の「関係」を私が理解するには、そこからさらに数年の歳月が必要だった。
そこまでには.....同じような繰り返しが、さらに数度必要だったから。
そして。
私は悟った。
お金を貢ぐということは、貢ぐほうも相手に依存しているのだ、ということを。
数年の時を経て、幾度もの修羅場に立ち会ってわかったことは、金を渡すほうも、「金で何でも出来る」と思っている、ということだ。
金で誰かの心を買い、時間を買い、行動を制限する。自分の我がままを押し通す。そして買われるほうは、どんなに相手に見下されようと、そんなことには構わずに、ただひたすら、遊ぶために、いい服を着るために、外で見栄を張るために、軽やかに、狡猾に立ち回る。
私はいつしか、そこにちゃんと利害関係が成立している事を悟り、母のことを諦めた。
その結果。
母は人の心を理解しようとしなくなり、何事にも無頓着になり、努力もせず、少しの距離を歩くことすら嫌がるようになった。何をしてもつまらなそうに暮らし、ギャンブルと愚痴、睡眠薬の常用、それによる体調不良が日常で、家族の心でさえ、平気で踏みにじる言動を繰り返した。
そして.....結局はいつしか、その「ヒモ」とも別れ、彼女が彼に依存している時間に失ったものたちだけが、確かに、彼女のしてきた事の結果を物語っている。
金で自分のいう事を聞く男と過ごす「快適」な時間に馴れたために、人との正常な関係も築けず友もなく.....。
わが子への愛情まで、金がないと表現できないと思ってしまっている。
そんな母に、私、妹、弟は、いまだに根気よく、
「人は変わらなければいけない、何事も遅いということはない。誰かに愛情を伝えたいなら、お金で表現するのではなく、自分自身が毎日をきちんと、楽しんで生きれるように努力する事だ。それで充分、私達には愛情が伝わるのだ」
と、言い聞かせているのだが.......。
果たしてこれから彼女が変わっていってくれるかどうかはわからない。
なぜなら彼女はいつも何かに依存しているし、その中のひとつ、ギャンブルは不治の病であるからだ。この、ギャンブルについてはまたいつか改めて書こうと思っているが、私には理解不能な重篤な病であるようだ。
ちなみに、私が今まで目にしてきたお金持ちたちも金に「依存」している人が多かった。そして、一様につまらなそうだった。それもまた、機会があれば書こうと思うが......。
お金は大事だけどね。
金に使われるようになってしまったら人間つまらない。
何より、心の豊かさは、決してお金では買えないのだから。
当時の彼女はまだ30代半ば。若さも華やかさもあったからそれは当然のことで、すでに高校生になっていた私も、そんな事は始めから予測していた。
いや、私が彼の存在に薄々ではあるが気付いていたのは母が出てゆく前で、その後、数度母と会うたびにそれを確信していった、と言ったほうが良いかもしれない。
それでも、私にとっては母が幸せであればそれで良かったし、家を出て、突然母の元にやって来た私を、その「母の恋人」が大変可愛がってくれたこともあり、私の、いや、私と母の新しい生活のスタートは、とてもうまくいっているように思えた。
そう。私は知らなかったのだ。
母の恋人が実は妻帯者で、しかも世でいう「ヒモ」だということを。
少なくとも数ヶ月間は.....知らなかった。
ただ、「ヒモ」と言っても、暴力を振るうわけではない。
ひたすら母にマメに尽くし、その見返りに金を貰う、そんなやりかただった。
彼はひたすら細かなことによく気がつき、女性のニーズに敏感だったから、女性にもよくモテた。
母はといえば、元々が不倫なのだから嫉妬も何もあったものではないと思うのだが、彼の浮気が判明するたびに逆上し、泣き、私に自分の辛さを訴えた。
私はといえば、周囲の同年代の子たちから比べれば世の中の良くない部分をたくさん知っていたとはいえ、所詮子供だったから、自分を異常なまでに可愛がってはくれるものの、母を泣かせる彼の事が許せず、彼に対し、次第に憎しみを強くしていった。
なぜなら、もうひとつの事実に気付いていなかったから。
私はほんの子供だったから。
母が、「彼の浮気の証拠さえ握れれば、私はきっぱり彼と別れるつもりだ」と言ったとき、私は本気でそれを信じ、まだ十代の子供とは思えないやり方で色々な事実を調べあげた。
そうすれば、母が不実な男の呪縛から逃れ、彼に流れてゆく大金を彼女自身のために使ってくれると信じたから.....。
しかし、実際に現実を、事実を目の前にした母は、怒り、泣き、叫び、最終的には
「あなたはこれだけ尽くした私を捨てるのだ。あなたが私に今まで言ったことはウソだったのか」と言って、彼にしがみついた。
母と彼の「関係」を私が理解するには、そこからさらに数年の歳月が必要だった。
そこまでには.....同じような繰り返しが、さらに数度必要だったから。
そして。
私は悟った。
お金を貢ぐということは、貢ぐほうも相手に依存しているのだ、ということを。
数年の時を経て、幾度もの修羅場に立ち会ってわかったことは、金を渡すほうも、「金で何でも出来る」と思っている、ということだ。
金で誰かの心を買い、時間を買い、行動を制限する。自分の我がままを押し通す。そして買われるほうは、どんなに相手に見下されようと、そんなことには構わずに、ただひたすら、遊ぶために、いい服を着るために、外で見栄を張るために、軽やかに、狡猾に立ち回る。
私はいつしか、そこにちゃんと利害関係が成立している事を悟り、母のことを諦めた。
その結果。
母は人の心を理解しようとしなくなり、何事にも無頓着になり、努力もせず、少しの距離を歩くことすら嫌がるようになった。何をしてもつまらなそうに暮らし、ギャンブルと愚痴、睡眠薬の常用、それによる体調不良が日常で、家族の心でさえ、平気で踏みにじる言動を繰り返した。
そして.....結局はいつしか、その「ヒモ」とも別れ、彼女が彼に依存している時間に失ったものたちだけが、確かに、彼女のしてきた事の結果を物語っている。
金で自分のいう事を聞く男と過ごす「快適」な時間に馴れたために、人との正常な関係も築けず友もなく.....。
わが子への愛情まで、金がないと表現できないと思ってしまっている。
そんな母に、私、妹、弟は、いまだに根気よく、
「人は変わらなければいけない、何事も遅いということはない。誰かに愛情を伝えたいなら、お金で表現するのではなく、自分自身が毎日をきちんと、楽しんで生きれるように努力する事だ。それで充分、私達には愛情が伝わるのだ」
と、言い聞かせているのだが.......。
果たしてこれから彼女が変わっていってくれるかどうかはわからない。
なぜなら彼女はいつも何かに依存しているし、その中のひとつ、ギャンブルは不治の病であるからだ。この、ギャンブルについてはまたいつか改めて書こうと思っているが、私には理解不能な重篤な病であるようだ。
ちなみに、私が今まで目にしてきたお金持ちたちも金に「依存」している人が多かった。そして、一様につまらなそうだった。それもまた、機会があれば書こうと思うが......。
お金は大事だけどね。
金に使われるようになってしまったら人間つまらない。
何より、心の豊かさは、決してお金では買えないのだから。
わかっては、いるのですが、なかなかです。生きるためには、必要だし、お金の切れ目が。円の切れ目だとも、言うし、、
なにはともあれ、人生楽では、ないですよね。
ある方が、歳をとると、さみしさに耐えるのが、大変だといわれましたけど、本当に、そうだと思います。家族がいても、寂しい、、何故、なんでしょうか?
人間生きていくのが辛いものですが、
何を拠り所にするのかで
その人の来し方が見えてくるような気がします。
欲がより深く根付いているものなら、
尚更……
お金問題では、「あいたた!」な経験が
ないこともない当方には、
耳が痛い内容だったのですが、
「人間って……ああ、人間って……」
って思います。
思いますとも。
ギャンブルや酒・煙草は不治の病といいますけど、
うちの親は隔離病棟へ押し込められる病を経て以来、
よっぽど懲りたようで足抜けができたようです。
(沖田総司と同じ、あの病気ですね~~)
長年の習慣を経つにはショック療法が効くのかも
しれませんんが、依存は別の矛先を求めます、
酒・煙草を断った親は、退院後、
なんと甘い物へ向かいまして、どーんと太り、
その肥満が元で腰を痛め……。
正真正銘のあほです…。
本当に、確かにこの世の中でお金は大切なものです。特に、消費社会、使い捨て文化のこの国では。最初は生きるために。次には人より良い生活を欲して。そして、いつしか、皆気付かずに、お金に振り回されていくのかもしれません。
ここで書いた私の母も、最近とみに「寂しい」と口に出して言うことが多くなりました。たぶん、若いときには楽しい事が目の前にあり、気力も体力もそれについていけたから、気付かずにいたのでしょう。人は皆孤独で、誰もが一人で生まれ、誰もが一人で死んでゆくのだということを。人間がそれに耐える術が実際あるのかどうか、私にはわかりませんが、ただ、自分だけではなく、皆孤独なのだ、ということを踏まえて他人と関わり、自分と関わる事が、大切なのかな、とは思います。生きると言う事は、アンジェラ様の仰る通り楽ではありませんね。私も、「楽」ではなくても「楽しく」生きれるよう、頑張りたいです。
ええ。ホントに
「人間って...ああ人間って」です。
実際私だって何かに依存しているのですし、
それでないと生きていけないのかな、とも思います。
酒、の時もありましたし、男、の時もありましたし、
今は猫依存で、ゴンザ依存で、blog依存です。
お金は、あれば快楽が買えるものですから、
なおさら依存度が高くなるでしょう。
私は母と、不幸な金持ちを見たから、
ならずに済んだようなもので.....。
いや。これからなるかもしれないし(笑)
沖田さんと同じ病は、私の母も今年の春にかかりまして、
やはりしばらく隔離病棟に入ってました。
しかし、病よりも強い依存は彼女を変えることなく、
いまだ、一日3箱近い喫煙と、
入院中も禁断症状を起こしていた
ギャンブル熱はいまだ止みそうになく.....。
別の矛先もみつかる兆しはありません。残念ながら。
お父様は、お酒、煙草共に絶たれて本当に
お体のためには良かったのではないかと思います。
ただ、砂糖には麻薬と同じような成分があるらしい
ですから、甘い物の習慣性にも気をつけねば
ならないでしょうね。
糖尿病などは遺伝的要素がかなり強い病のようですから、
現在かかっておられないのであれば、大丈夫かも
しれませんが.....肥満はやはり心配ですね。
しか~し!
煙草をやめると食べ物が美味しく感じられるので
太りますよ~。お父様のお気持ち、わかります。
甘い物って、食べる時も見てるときも
幸せですしねぇ.....。
人間って本当に...ああ。