猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

必ずつく?

2011年01月27日 16時37分37秒 | 携帯から
あらゆる食材が手に入り、
どんどん変化してゆく、私たちの食卓ではあるが。

先日、とある場所で、疑問に思ったのだ。

当たり前のように『カレー』につけられた『味噌汁』をすすりながら、
(チェーン店のサービスね)
そういえば、味噌汁だけは、
どれだけテーブルに並ぶものが変わっていっても、
その存在感を失わないなぁと。

まあ、完全なる洋食とか、
何かの、またはどこかの国の専門料理店は別としても、
お味噌汁が出てきて嬉しいのが私たちの本質というか性で(笑)
(もちろんそうではない人もいるだろうが)

これは、長らく続けてきた習慣・伝統からくるものなのか、
それとも味噌汁自体が、いつまで経っても飽きのこない、
味、栄養素共に優れた食べ物だからなのか…

まあ、おそらくその両者なのだろうが、
『パンに味噌汁』、
場所によっては『お好み焼きに味噌汁』、
『ハンバーグに味噌汁』と、
(あ、ハンバーグは和食のうちか?笑))
件の、カレーにつけられた味噌汁をすすりながら、
私はさらに疑問を抱く。

はて。

たとえばよその国でも、
「これだけは毎食欠かせないでしょ」という、
いろんなメニューに当たり前のようにつけられてくる食べ物はあるのだろうか?

単純にイメージで考えれば、
インドならカレーとか?

ブルガリアならヨーグルトとか?
(↑ものすごい狭い、偏った知識・笑)

味覚や嗜好が変わっていっても、
揺るがない味噌汁の実力。

はたして、はるか未来。
そのお椀が、我々の食卓から消える日は来るのだろうか…?
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今年もついに。

2011年01月26日 06時20分53秒 | ぶ~すか言ってやる!

 

んっ.....!?
私の耳と鼻はなんともないですが?

 

口の中が痒い。

.....耳の奥も。

鼻はムズムズ。

くしゃみも出る。

目の縁は猛烈に痒い~。

ああ、ついに今年も飛び始めやがったか!

 

皆さま、花粉お見舞い申し上げます。

毎年恒例ですが.....さあ、ご一緒に!

 

もう、杉なんぞ、一本残らず斬り倒してしまえ~~~!!

 

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東名高速 足柄SA EXPASA

2011年01月24日 12時45分37秒 | 携帯から
なんかいろいろすごいね。

エリアコンシェルジュがいて、建物も明るくてきれいで…。

ドッグランもあって、公園みたいになってる~。
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線路は続く。

2011年01月21日 04時01分46秒 | ルーツ

 

『愛』だとか『憎しみ』だとか、
口に出せば安っぽくなるけれど、
それはやはり普遍的なもので。
彼らの「かつて」」や「その後」を思うたび、
ゆえにそれが膨らんでしまったのだと、
あらためて思うのだ。

 

長く伸びる、暗い線路を見るとき。

私にはその上を歩く、ひと組の少年少女の姿が見える。

「ここを歩けば、なんとか家に帰りつくよ。きっとなんとかなる」と。

夜通し歩く、二人の姿が。

少年は十代だった私の父。

少女は同じく十代の母。

子供が出来てしまって、父の長姉に叱られ、
そこから逃れて、
一番年の近い、四番目の姉を頼ればなんとかなるかもしれないと、
無鉄砲にも二人で、僅かなお金を持って、
電車に飛び乗った末の。

けれど、行き着いたところで、
若くして遠方に嫁いだ姉にもどうしようもなく。

帰りの交通費もないままに.....

歩きだした二人。

彼らがどんな心境だったのか、
どれほど純粋に互いを思いあっていたのか.....

今の私には、知るすべもないけれど。

遠い思い出として、母が語ったその話は、
何度聞いてもその結末が、
記憶のどこかへ消え去ってしまう。

たぶん、あまりに切なく、美しい情景が。

壊れることを恐れるあまりに、
記憶から消し去ってしまう、人の習性。

「どうにかなるわけもないのに、馬鹿みたいに歩き続けて、
 夜が明けかけたとき、お前の親父が言ったんだよ。
 『お前、腹減ったろ?』って。
 あいつは悪いヤツだから、線路沿いにあった家の前に
 配達されていた牛乳を盗んできてさ。
 『お前、これ飲めよ』って.....
 ホントは悪いことなんだけど、今思えば、
 あの頃が一番楽しかったかもしれないね」

 

盗みを働いた話を「美しい」などと言ってはいけないのは、
重々わかってはいても。
それでも若い二人の姿を思うとき。
彼らがどれだけ純粋に互いを想いあっていたのかと。
だから壊れたときに、あれほど憎しみあったのだろうと。
ようやく納得出来るのだ。
きっとそれほど単純じゃないにしても。

 

先にも述べたように、そのあと二人がどうやって帰ってきたのか、
母のお腹にいた子がどうなったのか。

私は聞いたはずのその先を、
すっかり忘れてしまっているのだけれど.....

忘れないのは、長く暗く伸びる線路の話。

その上を歩く、少年少女の姿と.....。

それはまだ十代だった父。

そしてまだ十代だった母。

彼らが十九のときに、私は生まれ。

美しいもの、また、相反するものを、たくさん見る。

その多くも今は、忘れてしまったけれど。

 

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結んで繋いで引き寄せて。

2011年01月19日 08時58分20秒 | つぶやき

 

いつもながら、本文とはまったく関係ありませんが。
久々に塩辛、作りました。
あんまり立派なイカを見つけたので。

 

言葉の響きというのは、
とても繊細なもので。

少しの違いで、随分と聞く者に
違う印象を与えると思う。

つい先ほど耳にしたところでは、

「運命の糸で繋がれていた」

というのがあったが。

はたして、運命の糸は、何かと何かを「繋ぐ」のか。

「結ぶ」のか。

(そもそも『運命の糸』は『赤い糸』とは違うのか、
 または『運命の赤い糸』が正しい言い方なのか?)

 

買い物へ行く途中、
冬の夕陽を受けて、一面に輝く畑の、
あまりの美しさに心奪われて。
車を止めてもらい写真を撮りまくる(笑)
こちらはゴンザが撮った一枚。

 

いや。

どちらが正しいとか間違いとかではなくて、
たとえば前者、「繋がれていた」という言い方なら、
私の場合、何か運命の糸に、
『抜き差しならない、がんじがらめ』な印象を受けるし、
たとえば後者、「結ばれる」なら、
『甘やかな、けれど、間違いがない』という印象を受ける。

まあ、人の受け取り方は様々だろうから、
個人個人、ひとつの言葉からも、
感じとるものは違うのだろうが。

考えれば考えるほど、日本語は難しい。

(.....と、言っても、私は他の国の言葉は知らないんだけどね・笑)

 

とり残されて、夕陽に輝くとんがらし。
寒風に、よりあざやかに、冴え冴えと。

 

「藁にもすがる思い」は「藁をもつかむ思い」とどう違うのか。

または、最近たまに聞く、
「藁をもすがる思い」という言い方は、
間違いではないのか。

「体調を崩す」

「体を壊す」

ごっちゃになって、「体調を壊す」.....?

ひと文字変われば何かが変わる、
言葉の危うさ、おもしろさ。

微妙な違いは大きな違い。

すべては受け手の感じ方次第!?

 

こちらはもう「可愛い」以外に受取りようがない(笑)ちゃあこの寝顔。
(↑相変わらず親バカですみません。でもこんな顔で寝られたら...もう!)
ゴンザのおなかにお顔をぺた~っとつけて、
クッションが効いてて気持ちいいのかな?(爆)

 

コメント (4)
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