夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「5月 8日という日」

2024年05月08日 08時14分41秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
株価が以上です。マネーゲームの中の株価ですから、実体経済からかけ離れた高値を付けます。
これまで高齢者の退職金をねらった金融商品があり、今は新ニーサで国民の貯金迄吸い上げていますが、こうでもしないと金融バブルは維持できないのでしょう。
国の財政もバブル状態です。もちろん物価高は消費増税ですから税収も増えていますが日銀が国債を買い国債市場が崩壊しています。政府は純資産が多くあるとして国債に頼る財政を組む。
新中古マンションの値段が上がっていますね。
日銀は投資信託も70兆円買いこんでいる。
こうした金融バブルがいつはじけるか?
日銀が長期金利をさらにいじればバブルもはじけるかもしれない。安定を求めて低金利を続け円安誘導となれば、輸入物価がさらに高まる。国民生活はもちろん企業も苦しくなるでしょう。
苦しい企業は生産性から離れて値上げに動き企業利益を維持しようとする。
輸入物価が企業の値上げの言い訳になり、悪性の物価高はさらに深まる。
日本経済、先進国経済はどこに向かうのでしょ。確実なのは戦争の道です。

≪過去の記事≫

【2004年】
また動物園に行ってきました。
娘がパンダを見たいというので、妻ともつれて上野動物園に行きました。都内を車で抜けるのも大変で、だいぶ渋滞をしていました。
妻と結婚をした当時は、パンダも「リンリン・ランラン」の時代で、ものすごい行列で立ち止まらないで見てください状態でしたが、今はゆっくりと見ることができます。パンだの世代も孫世代かな?
赤ちゃんのシーズンらしく、丹頂鶴など赤ちゃんも見ることができましたよ。
子供の頃、どこかへ出かけるというと上野動物園でした。その頃はおサルの電車もあったのですが、今はもうありません。寂しいです。
しばらく夕螺家は動物園にはまりそうです。。。。。。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
デンドロリュームの花も終わりそうです。
この花もランだと思うのですが、一つの茎に花が咲くと、もうその茎からは花が咲かないそうで、新たな芽が来年までに育ちまた花をつけるそうです。花の終わった茎は切り取ってはいけないそうで、3年ほどして枯れはじめたら切るそうです。何だか気長に楽しまなくてはいけないよう。。。。
小さなランの鉢(名前がわからない)は、いまだ花をつける気配がありません。。。
肌寒い一日でした。
午後からは日も出るという予報でしたが、大はずれ。日が出るどころか小雨が降りました。東京の5月6月は天気も不安定で予報もよくはずれます。あとひと月もすれば梅雨かぁ。。。。
洗面所の天上のカビは、防カビペンキで塗りなおしたのですが、梅雨時にまたカビが出ないか不安です。塗りなおしたところのペンキに少しひび割れが。だめだったらあきらめて業者に頼もうと思います。
換気が大切ですなぁ。。。。しばらく換気扇を回していると妻から「何でずっと換気扇を回しっぱなしなの?!もったいない」と、スイッチを切られるし。。。。トホホ
この前行った民宿に洗濯物を入れたぬの袋を忘れたので、電話をして宅配便で送ってもらい、今日着きました。透明なゴミ袋に入れて袋の口を結んだままで送ってきた。。。。まぁ、忘れた我が家が悪いのですが、最後までううう。。。な民宿でした。
さっそく選択をしたら洗濯機から異音が?
一緒に入れておいた歯ブラシが3本、洗濯機の中でガラガラと回っていました。。。ううう
リンクさせていただいているそらさんのサイトが替りましたのでリンクを書き直しました。僕も時々トップページぐらいはリニューアルしようかと思うときがあったり、ブログをはじめようかと思ったりするのですが、つい面倒になりそのままにしてます。まぁ、頑固さも僕の悪癖ですからなぁ。。。

【2007年】
今、息子や娘と夕方のニュースを見ている。
特集かな?
河川敷でバーべキューをするのはいいけど、特に若い人たちのマナー違反を取材している。ごみ問題や川の水を使っての器具を洗うことが問題らしい。
こういう問題をテレビ局が扱うのはいいが、それを見ている子供たちは笑っている。問題点を取り上げるのはいいが、なんだか面白おかしいようなしゃべり口。
最近、いろいろなニュースでこういった感じを受けるニュースが多いような?
たしかにマナーを守れとはうったえかけているのだろうが、どうも真剣さというものが伝わってこない。
スーパーに行ったら、娘が「お父さん、たこ焼き機を買おうよ」と。
「高いからだめ」
「それが安いのよ」
「え?」
娘が立っていいるところに行ってみると、たこ焼き器1500円。ちゃんと電気式のたこや器。そういえば、関東ではたこ焼き器というものはほとんど目にした事がない。関西では一家に1台と聞いたことがあるが。。。。
まぁ、1500円ならいいかと思い買ってきました。
今度の日曜、家族がそろったらやってみよう。。。。
しかしこういうちょっとした家電製品は安いですなぁ。
我が家のミキサー・・・・たしかこれも1500円ぐらいだったような気がするし、コーヒーメーカーは980円。もうこういう電化製品は、有名メーカーではなくてもいい時代になってきています。
そこで希望する電化製品では、地上デジタル化を前に我が家のように古いテレビでも地上デジタルが見れるようなチューナーというのかアダプターというのか、そういったものを安く売るような国はないかな?電気店ではもちろんテレビを売ることが最優先だと思うけど、安売り店やスーパーのちょっとした売り場に置けば案外いい商売になるのでは?
何も金をかけたくないという一心だけではないが、映るテレビを捨てることは環境問題では?

【2008年】
細い道路から広い道路に左折しようと止まっていたら、右方向から車が左折のウインカー。という事は、今僕の止まっている道路に左折するはず。僕はゆっくりと左折をはじめた。でも。。。。なんとその車は左折をしないではないか。。。。
ぶつかりはしなかったけどドキッとしました。
なにやってんだろと思ったら、僕が左折したすぐ先にはさらに広い国道が。
どうやらその車の左折の合図は、その国道を左折する合図だったようだ。
でもまぎらわしいよなぁ。。。
ウインカーを出すにしてもタイミングがありますなぁ。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
僕の
おんぼろな車は
小回りが利かないんだ

この先にある
森の中のドライブインで
待っていてくれないかな

見下ろすと
初夏の小さなきれいな湖があるよ
水は冷たく透き通っている


着いたら手を振るから

【2011年】ツイッターつぶやき
今の国家内のねじれ現象について参議院の在り方が時々議論になっている。
政党政治は一つの民主主義の在り方として社会制度の発展の中に築かれてきた。その意味では政党政治は一つの民主主義の在り方として堅持しなくてはならないだろう。問題なのは政党政治が政権交代を目指したものだけが目的になり、特に今のような保守二大政党制が定着してしまうと政策的には大きな違いなく、対立点がスキャンダルに移ってしまい政策的議論が深まらない中にねじれが生じてしまっている中に矛盾が深まっているということではないか?
だから政党政治自体に制度疲労が出はじめているということでもある。
しかし政党政治が機能する中に先にも書いたようにこれは民主主義の発展段階としてあるのだから否定をしてはいけないだろう。
この政党制jが形骸化するのを防げるのは選挙を通じた国民の責任であるが、選挙制度などの見直しや政党法などによる公約やマニフェストの順守などを守らせる仕組みも必要だろう。そもそものこととして議論するという民主主義が政党の党議拘束よりも優先することを考えないといけないだろう。
しかし政党政治が一つの民主主義の一つの段階とはいえ、その制度疲労や形骸化は否めないのであるのだから何かしらの改良が必要になっている。
そこで参議院の在り方を考えるべきです。もう参議院はいらないという政党政治の形骸化を参議院をなくすことで解決をするというのは愚の骨頂である。
衆議院は政党政治という形で選挙もおこなれて今のままに残し、もちろん議論という民主主義を発展する中にですが。参議院は政党政治から離れた選挙方法や運営が必要となるのではないか?
参議院は政党から離れた議員集団の場とする。立候補者は政党から離れて党議拘束を受けないようにする。もちろん国会内の議論も。その中で国民は政党で選ぶのではないというものを確立していく。あくまでも政策で選び、議論を監視する。政策はその選挙区の民意をどう代表するかをそれぞれに出す。選挙区に国会での行動を報告する(県の広報などで)。ある意味「委員会制度」のような代議員という形を目指す。
国会内では会派は作らずに予算委員会などに沿った委員会に属し議論する。その委員会は衆議院の採決を議論をして賛否も含めた意見を集約をして内閣に質問をし採決する。どことなく裁判委員制度の裁判委員のような?
今、1票の格差が言われていますが、これとは違い、都道府県(これを選挙区とする)ごとに同じ数の代議員を出すというのも民主主義の在り方でしょう。
衆議院は政党政治として、参議院は委員会制度という代議員制度として。こうすることによりねじれは常に存在をするわけですが、政党政治が提起した政策を民意が賛否を出すというのは必要ではないかと思います。この中に衆議院自体も政党政治も活性化されていくのではないかと思います。
民主主義を常に基本に考えたいと思います。

【2012年】ツイッターつぶやき
youtubeのこちらの橋下市長の会見は面白いですね。
国会中継を見ていても議論が論理的には進まないことを時々感じますが、この橋下市長の会見もそうとうわかりにくい論理展開になっています。
条例批判をすれば、教育員会や校長の裁量でやった。なぜ規律・斉唱の強制が働くかというと条例があるからだといった論理展開でしょうか?教育員会や校長は条例に対してどのくらい責任を負うのでしょうか?それは教師がどのくらい責任を負うべきということになる。教委や校長には条例に対する裁量権がある。同時に教師に対しても裁量権がある。結局は歌っても歌わなくても裁量の問題ということですね。しかし条例という強制はする。
結局は政治が教育に口を出してはいけないものを市長がなぜ教育目標に口が出せないのかという視点での条例なわけでしょう。ものすごく法の穴をねらった論理なのでしょう。条例をつくればそれは誰か知らに対して強制力を持つわけです。それが教育委員会なのか、校長なのか、先生一人ひとりなのか?少なくともこれが政治が教育に口を出しているかいないかの分かれ目ではないでしょうか。もちろん条例自体に怪しいものがありますが。
女性記者が、なぜ先生は国歌を歌わなくてはいけないのかというものをどう子供に説明したらよいのかと質問していましたが、その答えが、国歌だからだと。そして国歌斉唱というのは決められているでしょと。でも、国歌斉唱というものが確かに式次第にあるがそれは強制ではないというのが一般的な解釈なわけです。それを教師に対して強制(処分)したのが条例ではないでしょうか。そうならば、なぜ教師が国歌を歌わなければならないかは、条例ができたからで、たんに国歌だから、式次第にあるからでは子供に説明がつかないでしょう。
論理らしく見えるものも中身は論理的ではないというものがあるのでしょうね。

【2013年】ツイッターつぶやき
「リフレ政策に関係ないものまでしょわせて批判する悪質な言説について」という記事がある。
株や為替の急激な変化がやがて物価や雇用に跳ね返ってくるというが、物価を見てもデフレからの脱却としての物価上昇とはなんでしょうか?アベノミクスや日銀でも2%のインフレと言っていたものが最近は2%の物価上昇と言い換えられている。インフレとは国内の消費が活発になる中での景気の過熱からだと思いますが、現実はこれとは違い輸入大国でもある日本ですから円安による輸入品の値上がりの悪質な物価高騰という危険な物価上昇ではないでしょうか?この悪質な物価上昇は国内の消費を落とし、内需関連の企業にとっては損失にもなる。もちろん物価自体が上がるというものだけを見ればデフレの脱却と言えないこともないですが、常にデフレ圧力が作用し続けてさらにそのデフレ圧力は強くなるのではないでしょうか?
この中で安倍総理も賃上げの必要性を言っています。
物価が上昇しても賃金がそれ以上に上がれば消費は増えますから。70年代の頃から財界は賃上げをするとインフレになると言っていました。物価が上がり雇用が増えれるだけではなくて賃上げも不可欠という事です。たしかに貧困は雇用の問題にありますが、この雇用は量と質によって決まります。どれだけの労働者の失業が改善して雇用が増えたかという量の問題と、雇用されている労働者の賃金高において雇用が改善したかによる質の問題があります。この雇用の量と質の組み合わせで国内の消費が決まってきます。この組み合わせによって日本の労働者の総賃金高は、雇用者数が増加しても全体的な低賃金になれば総賃金額が同じであったり現象すらします。ですから経済学が確かに労働者一人ひとりの暮しをすべて考えるわけにはいきませんが、労働者総体の平均的な暮らしや格差の実態はとらえる責任が経済学にはあるのではないでしょうか?リフレ政策もこれを「関係ないもの」とすることはできないでしょう。
アベノミクスもこの賃上げという雇用改善を行う場合財界に賃上げをお願いすることしかできません。リフレ政策はこの賃上げをどのような経済学的必然性とするのでしょうか?円安誘導で輸出産業を中心とした株高そして配当なども上がりその中でたしかに高級品などは売れるようになってきた。これは確かにリフレ政策の中の必然でしょう。しかしそれ以上の国民生活の向上は将来的な願望でしかないのでは?これは何も生活の豊かさをという要求だけではなくて、この国民生活の豊かさは消費にあるわけですし、この消費はデフレにも影響する。その意味において経済学の考えるべき事柄なのです。
この国民生活の向上は政治とその政治と深くかかわる構造改革の問題だとリフレ政策と切り離した場合、結局リフレ政策が何を約束したかといえば円安誘導と株高だけとなる。

【2014年】ツイッターつぶやき
散歩道をとぼとぼ歩いていたら、自転車販売のヤク○トおばちゃんが通り過ぎて行った。
すれ違い際に「こんにちわぁっ♪」と声をかけられてびっくりしました。知り合いかなと思い振り向いたのですが、その後姿には覚えがありませんでした。そういえば以前よく声をかけられたので営業方針だなと思っていました。
今日は体も軽くて4キロのウォーキングも楽でした。
時速6キロといえばあんがい早足ですよね?息も切れずに脈拍数も140まで行きませんでした。
朝日新聞6面に日本老年医学会が「フレイル」という言葉を使い始めたらしい。高齢者の筋力や活力の衰えだそうです。まぁ、体を大切にすること自体はいいですが、年寄りが活力を持って生きていける条件が違う面でなくなっていきますからなぁ。。。。
「肉体外フレイル」。。。。
帰り道、小さな公園の木陰がきれいでした。。。。

生産性の向上という場合労働コストの削減として賃金を下げ足り労働時間の延長をしたりサービス残業などという形で不払い労働(残業代ゼロ)を行うことと勘違いをしてはならないことがまずは前提です。
労働力はひとつの商品ですから上のような意味で生産性の向上を行うことは商品の値下げを強要することと同じです。労働力の価値以下に賃金を下げることは経済法則に反することとなるでしょう。あるAという企業があるBという企業から原材料を買う場合、その商品を価値以下に低下させて買うなどということは経済法則に反するでしょう。このような経済学は成立しません。買い叩かれたほうはその社会的な消費を縮小せざるを得なくなるでしょう。先の企業の例で言えばB企業はその商品である原材料などを再生産できなくなります。これは連鎖反応を引き起こしてさまざまな産業に影響を引き起こすでしょう。同じように賃金を価値以下に引き下げられた労働者はその商品である労働力を再生産できなくなるでしょう。長い年月の間に引き起こされるその矛盾のひとつが少子化という次の世代の労働力を「生産」できないのです。短い期間においても労働力の劣化が生じてくるでしょう。
経済学ではこのような意味での生産性の向上は成り立たないのです。
成り立たないことを行おうとするのがこの間の賃下げでしょう。今は多少の賃上げの成果も言われていますが、その賃上げは円安と消費増税の悪性の物価高に追いつかない。同じようにこれまでの賃下げは物価下落での実質賃金額の相対的な引き上げ額に追いつかない。
では本来の生産性の向上とはどのようなものでしょうか?
生産ラインの改造とか生産設備の改良とかその中での労働力の節約です。たとえば10億円の資本で5億円の賃金5億円の生産手段が必要だったものが4億円の賃金6億円の生産手段に変化していくということです。ここではより少ない労働力量でより多くの商品が生産されるわけですから商品の価値低下(価格の下落に)と商品量の増加が現れます。これが本来の生産性の向上でしょう。
しかしここにもひとつの矛盾が生じます。
労働力の節約は失業につながります。特に今の先進国のように拡大再生産が行われにくい場合はやはり失業が不可避でしょう。ここで賃下げを行えば雇用は増えるといった論理もありますが、この賃下げは先に書いたように経済法則に反するものですし、必要な労働力は生産性で決まるわけですからいくら賃下げをしても失業の改善には結びつきません。もし結びつくならばそれは社会の生産性が落ちてきているときだけです。
この失業という矛盾の一方で、商品の価値の低下(価格低下にも結びつきます)とより少ない労働力で生産するという生産性の向上事態は人類の発展としてとめることはできませんし経済の法則dもあります。これは労働時間の節約ですからその節約を失業ではなくて労働時間の短縮にも結びつけることができます(失業問題という矛盾の解決)。商品の価格低下は労働力の再生産費を安くすることにつながりますから商品の平等な配分のやり方しだいでは賃金の低下傾向にも結びつくでしょう。もちろんここには国の社会保障や企業の労働者保護の社会的な責任のシステム化が必要なことはいうまでもありません。また社会全体で1%と99%などという格差も縮小する必要があります。
こういった社会は夢の社会でしょうか?
しかしそのヒントは北欧の社会民主主義やヨーロッパやアメリカの民主主義思想そして日本の平和主義(現憲法)の利用の中にあるのではないでしょうか?
どちらにしても今の先進国の矛盾解決は社会民主主義へ向かわざるを得ないと思います。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
「はやぶさ温泉」
連休中に山梨県山梨市のはやぶさ温泉に行ってきました。
時々日帰り温泉を巡るのが好きでよさそうな温泉を検索していっていますが、このはやぶさ温泉はお気に入りです。
何しろ湯量が多くて常に湯船からあふれています。かすかに硫黄の香りが漂い温泉らしさも満喫できます。曾そして度が良い。
露天風呂は少しぬるいですが時間をかけてゆったりと疲れます。
もう一つのお気に入りが休憩と食事がいただける大広間。
庭の先に富士山の頭が見えます。縁側の窓が開け放たれて心地よい風が入ってきます。湯上りの体にはさらに心地よいです。風に吹かれてごろっうつ伏せになって富士山を眺める。。。。。
食事も季節の野菜の煮つけがついてくるのでうれしいです。
連休中にして運んでいなかったのもうれしかったです。
おすすめです。。。。東京からも車で1時間半ぐらいかな。

【2017年】ツイッターつぶやき
自民党政治が生き残るためには改憲しかないというのが最近の自民党の言動に見ることができる。
経済政策では20年もデフレから脱却できず、その経済も含めた外交となると中国の後追いばかり。そしてアメリカへの追従。そして相も変らぬバラマキ外交。
経済も外交も「成功」ばかりが報道をされてその中身となると何が成功なのか国民には理解できない。
ロイターに「岐路に立つ安倍外交」という記事があった。
ゴールデンウィーク恒例の内閣総外遊で安倍総理はロシアに。「官邸はいつものように「成功」という。」(引用)マスコミもこれを報道する。しかし中身は領土問題には進展はなく、平和条約もとってつけたような儀礼の程度。高のこの対ロシアとの外交は、安倍内閣にとっては領土問題解決よりも内政面において「成功」をアピールすることに重心がある。
アメリカのトランプさんとの会談も、仲良くできたという「成果」のアピールはあるがその中身は今後厳しいものとなるだろうと予測されている。
内閣が「成功」をアピールすればするほど支持率も高くなるだろうという目論見でしょうが、しかしこの方法というのは、外交的にも孤立したり影響力が弱まり、内政面でも国民の支持を引き留められなくなった強権の国において用いられる方法でもあるでしょう。
今ここに日本政治は近づいているのではないか?
そしてマスコミはまた大本営発表を繰り返すのか。。。。。
アメリカ追従の北朝鮮問題では、すでに日本は6か国協議に応じることはできず、一方アメリカは6か国協議を視野に入れる可能性を示している。拉致問題もこのままで北朝鮮に攻め入って連れて帰るということしかできなくなるのではないか?

【2018年】ツイッターつぶやき
麻生大臣がセクハラ問題について
「セクハラ罪っていう罪はない」「罪としてはいわゆる申告罪。まだ訴えられているという話もない」
公文書の改ざんについては
「どの組織だってありうる。個人の問題だ」「個人の資質によるところが大きかった。組織全体でやっている感じはない」
(「 」内はハフィントンポストより引用 )
と、発言したようです。
度重なる公文書の改ざんや隠蔽は一定の処分がありましたがトカゲのしっぽきりのようなものです。この処分で終わりというのがまさしく個人の責任という事になります。しかしなぜ官僚が改ざんや隠蔽を行ったのかについては何も説明がない。官僚が自分の都合だけで行うメリットはないはずです。もちろん政治家に忖度したなら将来の出世もあるわけですが。なぜ隠蔽や改ざんをしたのかを説明するのが麻生さんの責任でしょう。これを行わないで個人の資質などという言葉でお茶を濁すのは責任を果たさないと言っているようなものです。
セクハラ問題にしてもセクハラ罪はないとしてまるで犯罪ではないという印象を受けます。被害者個人が訴えていないから犯罪として成り立たないといった論理も見え隠れします。
先日このブログで今の内閣や政治は無政府状態だと書きましたが、まさにこの麻生さんの言葉にある中身は大臣の責任は触れずに終わりにしようとする無政府状態です。個人の責任で片づけられる状態が無政府的です。そして問題を問題にしないこと自体が無政府的です。
以上のような内閣や政治の無政府性はやはり数の力による驕りにあるのでしょう。数の力によりそれで済んでしまう政治。
セクハラや公文書の改ざんなどは、総理大臣を先頭にして内閣が厳重に防止をしなければならないという倫理も含めた大切なことです。
被害者が訴えなければ・・・・個人の資質の問題だから・・・・・
すごい倫理観をお持ちのようです。

【2019年】ツイッターつぶやき
gooお題「休み明けの疲れをどういやす?」
新テンプレートでないとハッシュタグを使った記事は書けないようですので、これまでと同じように「gooお題」として書きます。
休み明けの疲れをどういやすか?
でも、よく考えると長期休暇というのはリフレッシュのために必要なんですよね。。。。。
先日「何も一斉に休まなくても。。。。」というものを書きましたが、たくさんカネを使って道路や新幹線・飛行機も込み合い、観光地なども人がいっぱいでのんびりできない管制の長期休暇ですからリフレッシュどころか疲れに行くようなもんですね。
何も一斉に休暇をたらされて疲れに行くというのはブラックユーモア社会です。それよりも好きな時に連休のための休暇が取れて出かければリフレッシュになるでしょう。
そうはいっても心身の疲れは早いうちに取り除かないと病気にもなってしまいますから、近くの日帰り温泉やスーパー銭湯にでも行ってリラックスを!!

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日筍をいただいたので、昨夜茹でて冷蔵しておきました。
もう記憶もないぐらいに生の皮のついた筍を茹でたことがありませんでしたが、どうも皮むきが苦手です。どこまで皮を剥いたらよいのか、、、、
皮を剥いたらだいぶ小さくなってしまいました。
今夜はこの筍を使ってたけのこご飯を作りました。
油揚げを1枚入れてみましたが、風味がいいですね。
久しぶりにご飯をお替りしてしまいました。

【2021年】ツイッターつぶやき
ある車椅子の女性がJRに乗車拒否をされた差別をされたとコラムのようなものを書いていました。
JRも差別をして無人駅での車椅子の下車を遠慮してもらいたいと言っていたわけではなく対応が取れないので遠慮してもらいたいということのように思います。
この状態を乗車拒否あるいは車椅子の乗客を差別したというのか、様々な対策の不備が続く中で移動の自由に格差が残っているというのか。
なにも差別をしたという言葉が必要な問題でしょうか?
なぜ格差ではいけないのか。
今後も車椅子の対応不備が出てくるでしょうがその度に差別だとして問題化していくのか。どう考えても明日から設備面や人員面で100%改善するわけではないですからJRとその社員はずっと差別だと言われ続けるのでしょう。
これは何もJRだけの問題ではなくて、車椅子の介助について日本人は冷たいとされていますが、これを日本人は差別を認めているというのでしょうか?
〇か✖か、悪か善か、100%かゼロかなどという原理主義的な思考回路ができてしまうと「差別だ!」といった人を傷つける言葉が平気に出されるようになる。何も車椅子問題だけではないですが、自分の正しさをきつく人を傷つける言葉が平気で主張する社会。
これは今の会見改憲の動きをはじめとした政治にも現れていますから政治の世界が原理主義になれば社会もそのようになっていくということです。

【2022年】ツイッターつぶやき
世界的に保守化はさらに進み極端な保守に向かいます。
日本はもちろん。。。。。
今、自由や民主主義という言葉を聞かなくなりました。
皮肉なことに自由や民主主義のない国として中国批判されていましたが、その中国が自由や民主主義の先頭に立とうとしています。経済のグローバル化を通じて行われる。

【2023年】ツイッターつぶやき
強盗といえば人がいない時に押し込むのですが、今日銀座で起きた強盗は公然と行っていますね。
誰かしらが110番したのでしょうが、警察が来る前に逃げた?
これまでオレオレ詐欺が流行っていましたが、強盗までするようになっています。
政治も経済も一部の人が公然と悪いことをしていますから、それに慣らされていますから今回の強盗があってもそうは驚かない。悪いことを止められる人間がいるかといえばそうはいないでしょう。警察も捕まえられない社会になっていきます。

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