カオス。。。。無秩序。
同時にこの無秩序はその場しのぎともなる。
共謀罪が審議されているが、はじめはテロ対策だとしてこの法案が通らなければ安全面からオリンピックも開催できないとした。しかし実は国民支配の道具でしかないことが表に出はじめて来たと同時に共謀罪の法案に『テロ』ということがが一つもないことが明らかになった。オリンピックを開催できないという国民へのメッセージは、結局はその場しのぎのポピュリズム的な言葉でしかなかった。
経済ではGPIF(年金積立金)を維持して将来の若い人のために取っておくとされたが、株などへの投資にまわされてそれは株価の維持のために使われている。政府は道半ばだとしながら景気の好循環を株価に見てきたが、公的な資金(日銀とGPIF)によりかぶかがかいざさえされて主な企業の大株主にまでなってしまい、国債は日銀が買い支えなければ持ちこたえできなくなり、ついには財政ファイナンスではないかと言われるほど国の借金を支え続ける。
政治も経済もカオス状態。
カオスというとなんだか哲学的で奥深いようなものに見えるが、実はその場しのぎでしかないのです。
国際関係では、アジアを中心に中国の台頭が目立つようになってきているが、その中国に対抗して外遊の度に金をばらまき、ついにはアメリカにまで安保を守るために資金援助を行う。
国内では、女性の活躍と待機児童問題を大きく打ち上げたが現実は根本的な解決には至らない。個人消費を言いながら社会保障は縮小して自助社会に向かう。
これらの政策も言葉は美しいが現実は真逆となり社会システムの政策もその場限りとなっている。
その場しのぎの言葉は、その場しのぎの結果しか生まないわけで、その場しのぎの矛盾が積み重なっていくと嘘となる。
しかしこの嘘も含めてその場しのぎは数の力や国家の力で正当化されて国家全体のその場限りの無秩序は何でもも有りの社会を作り上げてしまう。社会全体が何でも有りの犯罪まで増加していく。企業のブラック化も含めて社会全体が法よりもな何でも有りが当たり前になっていく。国民一人一人の意識・思考状態も何でも有りに変わっていく。
同時にこの無秩序はその場しのぎともなる。
共謀罪が審議されているが、はじめはテロ対策だとしてこの法案が通らなければ安全面からオリンピックも開催できないとした。しかし実は国民支配の道具でしかないことが表に出はじめて来たと同時に共謀罪の法案に『テロ』ということがが一つもないことが明らかになった。オリンピックを開催できないという国民へのメッセージは、結局はその場しのぎのポピュリズム的な言葉でしかなかった。
経済ではGPIF(年金積立金)を維持して将来の若い人のために取っておくとされたが、株などへの投資にまわされてそれは株価の維持のために使われている。政府は道半ばだとしながら景気の好循環を株価に見てきたが、公的な資金(日銀とGPIF)によりかぶかがかいざさえされて主な企業の大株主にまでなってしまい、国債は日銀が買い支えなければ持ちこたえできなくなり、ついには財政ファイナンスではないかと言われるほど国の借金を支え続ける。
政治も経済もカオス状態。
カオスというとなんだか哲学的で奥深いようなものに見えるが、実はその場しのぎでしかないのです。
国際関係では、アジアを中心に中国の台頭が目立つようになってきているが、その中国に対抗して外遊の度に金をばらまき、ついにはアメリカにまで安保を守るために資金援助を行う。
国内では、女性の活躍と待機児童問題を大きく打ち上げたが現実は根本的な解決には至らない。個人消費を言いながら社会保障は縮小して自助社会に向かう。
これらの政策も言葉は美しいが現実は真逆となり社会システムの政策もその場限りとなっている。
その場しのぎの言葉は、その場しのぎの結果しか生まないわけで、その場しのぎの矛盾が積み重なっていくと嘘となる。
しかしこの嘘も含めてその場しのぎは数の力や国家の力で正当化されて国家全体のその場限りの無秩序は何でもも有りの社会を作り上げてしまう。社会全体が何でも有りの犯罪まで増加していく。企業のブラック化も含めて社会全体が法よりもな何でも有りが当たり前になっていく。国民一人一人の意識・思考状態も何でも有りに変わっていく。
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