夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2023年 8月 2日(水)「台風6号」

2023年08月02日 22時32分01秒 | 「思うこと」
台風6号が沖縄に被害をもたらしているようですね。
お見舞いも仕上げます。
中国に上陸かと思ったら直角に東に曲がり鹿児島の南へ。
上陸していない台風ですから勢力を維持しながら太平洋増に登ってくるかな。。。。。
東京はずっと雨が降っていませんから自然の帳尻合わせか?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池に浮かぶ月1977(7月 2日)

2023年08月02日 22時05分17秒 | 「池に浮かぶ月」
尾身会長
「政府の選択として社会経済活動を活発化させることが決まっている中で、私たちが何をするべきかということを議論した。強い行動制限が出されず対策の主体が個人に移っているが、しっかりと感染リスクを下げる行動をしてもらうなど、オミクロン株にふさわしい対応がどのようなものか強調したつもりだ」(NHK)
コロナ専門家の敗北宣言。
専門家会議に経済学者が入ってきた時点でコロナ専門家の敗北は決まっていた。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2022年 7月 2日(火)「専門家の敗北宣言」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「8月 2日という日」

2023年08月02日 08時10分06秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
台風6号が沖縄に被害をもたらしているようですね。
お見舞いも仕上げます。
中国に上陸かと思ったら直角に東に曲がり鹿児島の南へ。
上陸していない台風ですから勢力を維持しながら太平洋増に登ってくるかな。。。。。
東京はずっと雨が降っていませんから自然の帳尻合わせか?

≪過去の記事≫

【2004年】
『すみれの花の砂糖づけ 』
                          新潮文庫
             江國 香織  著
どこかすれ違った夫との冷たい関係と不倫の詩集。。。。一読するとこのような詩集です。
一緒に花火をするが夫はすぐに部屋に帰ってしまう。花火はいつも残ってしまうと。しかし、なぜか夏になると花火を買ってしまう。ある詩ではこのような夫との生活が6年続いているとかかれています。こんな生活の中で、バスタブに浸かっていると、ふと、あの人を思い出し、方角からすると斜め左方向にはあなたの住む家があるのだと思ってしまう。激しい性が描かれています。会うと家にいつも早めに帰る彼。リップクリームになって彼の妻のキスから彼を守りたいと。激しい彼の妻への嫉妬というものも描かれています。
しかし、この詩集が夫との不仲そして不倫、激しい性を描いているだけのものであるのかというとそうではありません。
詩集には、江國さんが子供の頃の記憶や両親とその家族を描いています。激しい性の衝動の中にあり不倫をしている自分の対比したときのある意味での純粋さのある妹。母親ではあるが、同じ「女」を意識させ、「女」として勝てないと思わされる母親。のろまな自分を見て眉間にしわを寄せるような厳しさのある父親。家族の生活は裕福であり、子供の江國さんにも幸せを十分に感じさせる家庭である。しかしどこかその中で家庭そのものに疎外感というようなものを感じる江國さんがある。
詩集に書かれた家族や家庭というものは普通なものであったのだろうが、江國さん自身の幼い頃からの成熟した目というのか、「解説」の言葉を借りれば「さわやかなニヒリスト」という目から見た江國さん自身の感受性が強く表現されている。
江國さんは「だれのものでもなかったわたし」と書く。
詩集に描かれた両親、これは幼い少女の江國さんの目を通した姿である。早熟さを感じる。その早熟さに江國さん自身は両親に対しても普通の子供のように甘えたりわがままを言ったりすることもなく、両親の巣の中にいつつも「わたしは両親のものではない」と思っていたのではないか。短編「「綿菓子」に出てくる少女が「わたしは結婚はしないで恋に生きる」というようなことをこと言いますが、このようなそう熟した人生観を感じます。
江國さんは、すみれの花の砂糖づけを食べるたびに少女に戻ると言う。その少女は、「だれのものでもなかったわたし」である。
詩集には、激しい性を描くと同時に胸が膨らみ始めた頃の江國さんも表現されたり、大人ではあるが少女であるというような江國さんが描かれている。この江國さんの少女という一面が「だれのものでもなかったわたし」を思い出させる。「妻」と言う縛られた言葉を嫌い、不倫相手の妻との優柔不断さを嫌う。大人の「女」の江國さんと「だれのものでもなかったわたし」という少女の江國さん。この両面を見つめる中での江國さん自身の心の中にある葛藤を感じます。
この江國さんの心の中にある葛藤のようなものが描かれていることにより、この詩集がただの不倫の詩という俗なものに感じられないものがあるのだと思います。
詩集は、「すみれの花の砂糖づけ」と「言葉はいつもあたしをいさましくする」という2編に分かれています。
後半の「言葉はいつもあたしをいさましくする」では、40歳に近づいた江國さんが出ています。夫との生活は続いているようですが、不倫相手とは別れたのか?夫との生活はあるにしても江國さんは孤独を言います。「だれのものでもなかったわたし」それは束縛もされない代わりに孤独でもあります。しかし江國さんは言います。100年たてば、わたしもあなた(夫)もあの人(男)もいなくなるのだと。

今江國さんの詩集「すみれの花の砂糖づけ」の感想を書き終えたところです。江國さんの本をはじめて読んだときに江國さんって夏生さんに似ているのかと直感的に感じましたが、この詩集を読み終わり、やはり似たところがあるのだと思いました。
一般的な夫婦関係(夫に従属するという意味において)での「妻」には納まらないというところでしょうか?
また、夏生さんはご自身でも「魂はいつまでたっても小学生」というようなこと(占いをして)を書いていましたが、江國さんのご自身の中にある少女性。。。。これも似ています。
もちろん詩の作風は違いますが。

【2005年】
蒸し暑い一日でした。風でもあれば涼しく感じるのですが、日中はあまり風がありませんでした。
群ようこさんの短編集「姉の結婚」に続いて、山本文緒さんの短編集「ファースト・プライオリティー」を読んでいます。どちらの作品も、ある女性が今の社会の中で生きていくことを描いています。その意味では似た作品かもしれませんが、やはりそこは作者の人生観が出ているのでしょう。。。。その違いがおもしろいです。
「姉の結婚」は近いうちに感想を入れます。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
はっきりした話ではないのですが、「夕螺」名で変なメールが出ているようです。僕はメールはやらないということに代わりがありませんので。。。。
ハンドルネームも専売特許ではないので、だれでもが夕螺名でメールも書けますし、掲示板などに書き込みも出来ます。もちろん、ホームページやブログも作れるわけです。
「夕螺」というハンドルネームはそれはそれとして、やはり個性を大切にする中で、ここにいる夕螺がいるわけです。
東京も風が出てきました。台風は遠いとはいえ少しは影響が出ているのかもしれません。夜になりこの風が涼しくなってきて気持ちがよいです。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
ひと言「つれづれノート」

夏生さんのツイッターを楽しく読んでいます

「つれづれノート」は半年に一度に出版ですからなぁ

半年前の夏生さんをみているわけです

ツイッターは生銀色夏生!

次回「つれづれノート」の予告とも?
           (Pm1:32)

ベランダの蟻の行列が

部屋の中にまで。。。。。。

パンくずを運んでいた

部屋の中にまでとなると。。。。。

そろそろ蟻の巣コロリかな。。。。。
        (Pm8:20)

秋の女神が身支度をはじめた
夏の女神は名残の晩夏
蝉が急ぐように鳴いている
少し日が短くなって夕日がきれいに
野原で虫の声をひとつ聴いた
スーパーに枝や葉っぱがついた
枝豆が出はじめた
去年だったか、枝豆が秋の季語と知った
枝豆でも買ってこよう。。。
忘れてたので急ぎ書きます
暑中お見舞い申し上げます。。。。

片側2車線の国道を走っていた。
僕の車に並ぶように一台の車が信号待ちをしていた。少し聞いたことのある会社名が車の横に書かれた営業車。ふと見ると漫画を読みながら運転をしている。
まぁ、これはよくないから気をつけてほしいのですが、こういった会社名の書かれた営業車の少しよくないような行いを見てすぐに苦情が来ることがあると聞いたことがある。
うん。。。。この苦情ですが、僕は苦情などはする気も出ませんし逆に嫌なものを感じます。何と書いたらよいのか。。。。。苦情も行き過ぎることがあり、ストレスと相乗作用が働くとクレーマーになったりもするわけでして。九条苦情がストレス発散になっていては困るわけです。もちろん誤解のないように書きますが、苦情も必要な場合がありますからすべてがストレス発散という意味にはとらえていません。ある一部の方ととらえていただければと思います。
なぜこのようなことを書くかというと、昨夜テレビで見たのですが酔っ払った客が駅の係りの人に暴行を働く件数が多くなっており、どうもそれはストレス発散からのものもあるらしいというのです。
先の苦情もそうですし暴力もストレスの発散でならこんなひどいことはありませんね。。。。。。
ネットでも悪口を書く人がいる。批判ではなくて悪口。。。。。
これもストレス発散の面があるのでしょうか?
時々世論というような形をもってこのストレスの発散的な行動が現れます。
ストレスがたまる世の中ですからなぁ。。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
10シーペルト・・・・10000シーベルト・・・・・10000000マイクロシーベルト。
単位を改めてみると気が遠くなる数字です。
この線量は、「浴びた人が100%死亡する線量」7000ミリシーベルトを超える数字で、しかも測定できないのでさらに高い線量だとか。福島原発は現在どのような状態なのでしょうか?
原発の安全性を言う方もいますが、今のような事故が起きても消防車が行って火事を消す程度で原発事故を終息させるような事故処理ができないと安全性が確保されるとかの議論は無意味でしょう。
電力不足の経済に及ぼす影響から原発に維持が出てきますが、今の事故の処理にどのくらいの金がかかるのでしょうか。経済面を見ても脱原発は明白な結論ではないでしょうか。
今の経済は目先の対応に目を奪われて根源的な矛盾を先送りにして維持されてきたのではないかと思います。その表れの一つが国家財政の破たんです。それは次には国民生活の破たんを意味します。貯金をしても利息はほとんどもらえず、その貯金した金の一部は国債に運用、その国債は国の借金=国民の借金ですから自分の貯金を維持するためにその自分が増税で金を払う。破たんですなぁ。。。。
まだ他国からの借金ではないのでそれでもどうにかなる面がありますが、アメリカはこれから悲惨ではないかと思います。それでも経済の中心という位置は維持されますからまた日本の金が流れる。
このような経済状況を生んだ政策と原発それ自体や事故処理は似ているような気がします。メルトダウンした経済を処理する経済的事故処理の方法がないということ。

【2012年】ツイッターつぶやき
暑いので冷たいものばかりがほしくなります。
ということで今夜は冷製コーンスープを作りました。本格的な作り方は全く知らないのですがそれらしくおいしいスープになりました。
トウモロコシは蒸して冷ましておきます。
少量の水に鶏がらスープの素と砂糖を入れて煮立てみじん切りのたまねぎを入れてもうひと煮立ち。
トウモロコシの実は、包丁でそぐようにして、茎に残った実をスプーンで落とします。
ミキサーにトウモロコシの実、玉ねぎのスープ(玉ねぎも)、生クリーム、バターを入れ、そして塩コショウ。
あとは好みの滑らかさまでミキサーにかけて冷蔵庫で冷やします。
食べるときの濃度がありすぎの時は牛乳で調整します。パセリのみじん切りを乗せて出来上がり。
本格的なものは香辛料なども入れるのでしょうか?でも、おいしかったですよ。

【2013年】ツイッターつぶやき
ヨーロッパ危機と言われるときより安全な通貨である円が買われると。そうなると円高になるわけですが、日本はこれを嫌い円安誘導を行う。日本国債も買われるはずだが日銀が国債を買って国債金利を下げようとする。金利が低ければ国外には買われない?日銀は量的緩和により円安・株高という政策をとる。外国の資金は株に集中する。
なんだかよくわからない仕組みで円が避難通貨なのかそうではないのかがよくわかりませんね。
こちらのサイトを見ると、日本やアメリカという量的緩和を行って通貨安=株高になるという国は少ないようで、多くの国は通貨高=株高だそうです。ここにはヨーロッパが入っていませんからやはりヨーロッパの通貨安=株高になっていると思います。通貨安=株高は先進国で、通貨高=株高は発展し始めた途上国という構図なのでしょうか?
その国の経済や企業業績(利益)が実体経済として良い状態ならば株価は上がり通貨高になるはずでしょう。途上国はそうなっている。しかし先進国は通貨安競争が行われて通貨安=株高になっているわけですから、先進国は実体経済においては景気や企業業績はそれほど良い状態ではないということを示しているのでしょう。アベノミクスでの量的緩和はこの状態を逆立ちした方法で株高だから景気がよくて円安だから企業業績が上がるという擬制経済を作り上げているということでしょう。
途上国が発展をしてきてその経済法則通りに通貨高=株高という中にいるところに日本をはじめとした通貨安誘導により資金が先進国に流れる?ここに対立も起こる。アベノミクスへの懸念がでる。
円が避難通貨となりえるのは、この擬製経済を支えるために国民生活を犠牲にしえる国だからでしょう。企業業績に維持は賃下げで行えるし、懸念される国家財政の危機と国債の危機は消費増税で食い止められる。円安による輸入品目の価格上昇もデフレからの脱却という名目で悪性インフレ(物価値上げ)を行える。この中に日本の信用維持を行うわけですから外国から見れば安定した国と見ることができるのでしょう。
しかしこのような擬制の安定でもそれは円高傾向を産むでしょう。しかし対ドルでの円安で食い止められている。アメリカも日本も量的緩和での金の切れ目が景気の終焉となる。
先進国病とも言われてきましたが、それへのカンフル剤もそうは長く持たないでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
日銀総裁は講演で
「経済の成長力は供給力に規定されるので、これを引き上げていく努力が必要」(引用)
と語っている。
どうも最近の経済の論理は、供給力を増やすことに重点を置くようになっているようだ。
それは需要よりも供給力だという論理にも。需要の落ち込みが言われている中でこれを解消するには供給力をどうつけるかにあるという論理は一見矛盾した考え方なのですが、需要を市場に出回る貨幣量と見たら、この間量的緩和で貨幣量はふんだんに流れたわけですから需要はあるということになる。そうするともっと供給を増やせばいいという論理になる。特に今は労働力人口の減少から人手不足が生じている産業が出ていますからこれが供給を抑えているのではないかと見えますから。
ですから日銀はこれ以上の量的緩和は必要ないとみる。
こういった経済理論は正しいように見えますが、現実には需要の落ち込みが言われている中でこれを解消するには供給力をどうつけるかにあるという論理は一見矛盾した考え方だというものは残るわけです。
ここに矛盾が残る。
なぜ矛盾が起こるのかといえば、日銀をはじめ今の経済学が「需要=市場の貨幣量」という名目的な需要を言っているだけでしかなく、実質的な需要なその貨幣量がどこに吹きだまってどこに必要量が回っていないかから、国民生活には貨幣量が少なすぎるために個人消費は減少をしている状態が実質的な需要となる。この個人消費が伸びなければ設備投資をした貨幣は設備投資をした価値量を最終的な消費である大衆消費財に転嫁できなくなりますからそうは積極的には設備投資を行えない。現実の経済の動きは「需要=大衆消費財の消費」ということになります。
需要と消費とは違うものであり、需要を具体的な消費と一致したものととらえなければ実際の需要は見えてこないでしょう。
市場に流れ貨幣量という名目的需要と現実の市場の中での大衆消費財の消費が乖離したところに供給量を多くすればどのような結果が待ち受けるか?
一つは悪性の政策インフレの中で物価が上がる中で供給が増えた場合は、消費は伸びない忍びないどころか減少をしますから過剰生産という現象が出るでしょう。この過剰生産気味の商品を売りさばこうとすれば値下げ競争となるのも必然です。企業は今の悪性の物価高そして円安での貿易品を使って設備投資などをするのですから、それを売りさばこうとしたときに大幅な価格の下落があったらどう寝るでしょうか?アベノミクスは悲惨なデフレの深化を行うこととなります。円安の中での物価上昇は残るでしょう。下手をすれば大幅な輸入品の価格上昇。しかし国民はそれに適応できないで安売りを求め歩く。企業は家事赤字覚悟の安売り。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
7日はもう立秋ですね。。。。。
忘れてたので急ぎ書きます
    暑中お見舞い申し上げます。。。。

時々暇な時に検索しているのですが、どうしても花の名前がわかりません。
現在の花の高さは30から40センチ【鉢植えで】
茎は根元から数本出て開くように伸びる
花が咲き終わり花の根元から切るとすぐに花の芽が出てきます。
多年草です。冬も元気はなくなりますが葉を落としません。
葉の特徴は、菊の葉を小さくしたようなもの。菊に似て葉が硬いです。
花は紫色で、花の茎が3センチほど伸びてその先に5ミリほどの小さな花が密集してたくさん咲きます。
花は数日で終わり、花の茎の根元から切ります
香りはありません。
春先から咲き始めて初夏のころまでは花の数も多いです

どなたかわかりませんでしょうか。
暑くなり花の数が減ったのですが、頑張っている花ですので、せめて名前ぐらいは覚えてあげたいです。

【2018年】ツイッターつぶやき
何かと忙しく夜遅くなってしまいました。夜は自宅近くの中華屋さんで外食。
紹興酒を飲み、お気に入りの酸っぱいラーメンと半チャーハンを食べて帰りました。
しかし・・・・・
帰ると顔や胸から汗が流れて貧血のようになりました。
立っていられなくなりしばらく風通しの良い廊下に寝ていました。
酔っぱらったか、熱中症か?
でも紹興酒はグラス1杯だけだったからなぁ・・・・・・
今シャワーを浴びで冷たい水をぐびぐび飲んだらよくなりました。
東京は夜になっても室内は33度を超えています。

【2019年】ツイッターつぶやき
閣議決定で韓国をホワイト国から解除した。
日韓関係もアメリカの対中国との経済戦争に似た情勢になってきている。
酷似しているのが、中国がGSPにおいてアメリカを抜き去って世界一になるのではないかといわれており、同じように国民一人のGDPが日本を抜き去るのではないかともいわれている。このような経済情勢が経済摩擦としてつくられているのではないか。
経済成長が止まっている国は成長をしている国に抜かれるのは早い。
しかし、アメリカと中国は互いに軍事的にも対立する部分はあるが、純粋に経済問題として話し合いのテーブルに付ける条件を維持している。しかし日韓では徴用工問題により純経済問題ではない政治的対立による経済制裁的な対立になってきている。日本は徴用工問題を韓国政府が自国の最高裁を押さえつけなければ正常化はしないでしょう。
日本は軍事利用が懸念されるとして様々な輸出品奥の調査を強化すると言っているが、軍事目的といっても抽象的です。その中でのホワイト国の解除ですから、下手をすれば国際社会からの批判にさらされるでしょう。日本は非民主主義国になってはいけない。しかし内政を見ても自由や民主種が形骸化されていますから、経済力やアメリカとの同盟関係において力による外交を押し通すでしょう。
韓国との経済問題が発生をし、中国とも政治対決がいつ経済問題になるかわからない。
アメリカは力の外交を正面切っていっているが、日本はそうはいかないから姑息な理由を点けながら矛盾の上塗りをしていくでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
日本人は休暇を自由に取れないで連休という形で休みを入れますから人の大移動が起こります。
文字気お盆休みになりますが帰省で例年ですと混雑をしますね。しかし今年はコロナにより自粛せざるを得ないでしょう。
しかし西村大臣は帰省の自粛は言いますがGo Toだけは中止にはしないというちぐはぐさを現しています。
でも、現実として大臣が規制しなくても大都市圏の知事は自粛を呼び掛けていますし、地方都市においても感染の拡大が出はじめていますから国民自ら帰省は自粛するでしょうし、実家の方でもコロナが落ち着いたら来いとなるでしょう。しかしGo Toというのは政府が推し進める行動ですから自粛する必要なないですね。するとここでの人の移動が盆休み中に起きるでしょう。
お盆が終わるころまでは自粛を行った方がよいでしょう。Go Toの経済効果もそうはないはずです。

【2021年】ツイッターつぶやき
菅総理がコロナ感染者の入院については重症者が優先で中等症などは自宅療養を呼び掛けた。
東京でもコロナ病床を確保するために救急医療や手術が必要な医療が抑えられる動きを示している。
中等症では酸素吸入が必要な方もいます。
こうした自宅療養が増加すれば必ず死亡者の増加につながるでしょう。
これまで政府は死亡者数が増加しないからとオリンピックにも積極的でした。しかしその死亡者数が東京ではかなり増加をしています。これはコロナだとはっきり分かった場合の人数でしょう。しかし医療ん尾逼迫でコロナ以外の病気で死亡が出ればそれもコロナ関連死です。
専門家はまだピークアウトの段階ではないという。
さらに自宅療養者が増加をし、それは家庭内感染を増加させる。
東京の陽性率はほぼ20%になりました。
ピークアウトの傾向だと言える材料が見当たらないというのが実情でしょう。
こんなことで欧米並みというのは悲しいです。

【2022年】ツイッターつぶやき
尾身会長
「政府の選択として社会経済活動を活発化させることが決まっている中で、私たちが何をするべきかということを議論した。強い行動制限が出されず対策の主体が個人に移っているが、しっかりと感染リスクを下げる行動をしてもらうなど、オミクロン株にふさわしい対応がどのようなものか強調したつもりだ」(NHK
ここでは尾身会長は二つに対して敗北宣言を出したに等しい。
一つは、コロナウイルスに対して敗北したということです。感染防止対策も緊急事態宣言やまん延防止を活用しようとしましたが失敗に終わり死語となりました。この敗北により、「強い行動制限が出されず対策の主体が個人に移っているが、しっかりと感染リスクを下げる行動をしてもらう」と国民の自己責任に完全に丸投げをしたということです。これを専門家の敗北と言っては間違いでしょうか。
「政府の選択として社会経済活動を活発化させることが決まっている中で、私たちが何をするべきか」という面では、経済とコロナ対策の両方をというものが消えました。政治家と経済学者に敗北をしたことになります。経済活動優先にしても検査体制や宣言の活用は十分だったのでしょうか。この意味では積極的疫学調査の間違いに専門家は負けたことになります。
敗北して専門家が消滅する焼野原。。。。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする