como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

八重の桜 第29回

2013-07-27 23:35:29 | 過去作倉庫11~14
 今週が中クライマックス。ここで神回が出れば大河ドラマ的には神作品の可能性があるのですが…。
 予想通り、涙なしでは見られない回でしたが、これで中クライマックスの神回(「太平記」の「鎌倉炎上」みたいな)というには、いろいろと見逃せない問題があります。だけど、あえて目をつぶって言いたい。今週は素晴らしかったです。ずーっと駄作が続いた大河ドラマを、見放さず見てきて(まあ、2011年はさすがに見放してしまったが…)ホントによかったと思いました。
 今週は、ついに綾瀬はるかに菅原文太が憑依した(爆)。わたしがなにを言いたいかわかんない向きは、ぜひ往年の名作「獅子の時代」をご覧になってください。というか、BS!龍馬伝なんか再放送しなくていいので、いまこそ「獅子の時代」を再放送してくださいよ。オネガイしますよ。TUTAYAの店頭からも下げられちゃったんだから(泣)
 まさかこの中クライマックスにおいて、綾瀬はるかの演じるヒロイン八重に、菅原文太の銑次兄さがかぶってみえるという奇跡にかわるとは。これだけでもわたし、大河ドラマを見てきてよかったと思いますよ。
 もうこれ以上はいろいろ言いますまい。じっくり腰を据えて見てまいりましょう、

第29回「鶴ヶ城開城」

 先週の最後で、砲弾消火に身を投じて爆死してしまったお登勢様(白羽ゆり)のところに、夫の山川大蔵(玉山鉄二)がかけつけます。妻の遺体を抱いて痛恨の涙を流す大蔵君…のところへ、すごくタイミング悪く、弟の健次郎君が来てしまうんですね。敵に押されて潰走してきたという健次郎君に、「なんで生きて戻ってきた。腹を切れ。今切れ。ここで切れ」とイッちゃってる目で迫る大蔵君。
 あきらかに八つ当たりですが、平時とちがうので、若い健次郎君もテンパッちゃってるわけですね、「ハイッ!」と短刀を逆手に持って、やっぱり目がイッちゃっている。なんかもう、死というものがあまりにもそこらにゴロゴロしていすぎて、感覚がマヒしてる状態。お登勢の敵を討つう!とかいって飛び出して家族に止められるおじいちゃん(山本圭)もイッちゃってるし。息子たちの間に割って入って、これ以上死ぬことはねえー!と号泣するおかあさん(秋吉久美子)。
 そして山本家のおとっつぁま(松重豊)も…。米沢が降伏し、補給路も立たれた状態で、なんとか城内に兵糧米を運び込むべく、決死隊を指揮して城外へ。そこで敵弾にあたってしまうのですが、被弾した米俵の穴を「だいじな米だ!」っていって必死にふさごうとして…ってのが、もう、たまらんですよ。泣けちゃう。
 なんとか城内に帰りつき、息を引き取ったおとっつぁまに取りすがって号泣する八重ちゃん家族…。こういう光景をみていて、さすがの容保様(綾野剛)も決断するわけですね。秋月悌二郎(北村有起哉)を呼び、容保様はあるミッションをあたえます。

 八重ちゃんに援護射撃してもらって、夜陰にまぎれて城を出た秋月は、官軍屯所に駆け込みます。
 ここで秋月が、土佐?の兵隊クラスの連中にボコボコに暴行される描写があったけど、これが意味不明でした。だって、会津を無条件降伏させるために総力を挙げて攻撃してんだよ? 降伏の交渉にきた密使を話も聞かずに暴行して、よってたかって嘲笑い、「たのむ、一刻を争うのだ、話をさせてくれ~」なんて懇願させる、そんなことあるでしょうか。
 この「八重の桜」の戊辰戦争編は、不満があるのは再々いってる列藩同盟の描き込み不足と、もう一つは敵の新政府軍サイドの描き込み不足です。よく考えると、敵軍の暴行などすごく単純にしか描いてなく(唯一、極端なくらいに描かれたのは世良修蔵)、たまに描くのはこういう、主人公サイドの人への不必要な虐待だったりする(あんつぁまとか広ちゃんの虐待シーンもそれ)。
 史実にあるとおりの、とてもここに書けないようなおぞましい暴力や略奪や凌辱や死体損壊などを、再現しろとは要求しませんが、そういうのを無かったことのように描くのもどうかと思うし、その部分をこの類の、取ってつけたような拙劣な暴力シーンで代用するのも解せない。なによりも、漠然と「敵」と言ってるだけで、露骨に「薩長」という言い方をすることも、ほとんどないんですよね。
 獅子の時代の銑次兄さは、思いっきり吐き捨てるように「薩長のやつら」と言ってました。それ以来の大河の幕末ものは、最長でも江戸城無血開城あたりで話が終わっているので(薩摩主役の「翔ぶが如く」以外)、こういう、薩長への深刻な憎悪が描かれることはありませんでした。だから敗軍サイドの感情に突っ込んでいくのは大変に久しぶりなんですけど、それにしてはヌルい…と感じてしまいます。
 これはなにか、山口県とか鹿児島県の視聴者感情への配慮だったりするんでしょうか? まあ、巷の野次馬がいうように、現首相が長州だからねなんて、そこまではないにしても、敵方の地元に遠慮してソフトフォーカスをかけるというならアホ臭い話だと思いますよ。近年の大河ドラマは、戦国ドラマでさえそういうことやるからダメなんだもん。
 今回も西郷(吉川晃司)に、「こん犠牲に応えんならん、新しか国は…」とか言わせたり、ほかにも薩長の人の人間的なエピソードをこまごまと挿入するのも(おおむね実話ですし)悪くはないけど、そのぶん、会津の人が「薩長」と名指しで、恨み骨髄恨んでいくところも、もっと逃げずに描いたらいいと思います。それがないから、なんとはなしの隔靴掻痒感というか、微妙にヌルい感じがずっとあるんだと思うし。

 っとまあ、まとめて文句いわせていただきました。そのあたりの根本的なヌルさに目をつぶれば、今回はとても胸に迫る、良い出来だったと思います。
 停戦交渉を終えた秋月が、白旗を掲げて鶴ヶ城の門前で、開城を宣言。これで、約1か月に及んだ鶴ヶ城への砲撃はやみ、静寂が訪れます。
 城内では男たち、女たちを別々に集合させ、降伏の宣告が。照姫(稲森いずみ)が女性たちを集合させ、全員が目に涙を浮かべて見守る中、梶原二葉(市川実日子)が筆を執っているわけですね。でも、どうしてもその筆を下すことができなくて、墨汁が黒い涙のようにぽたぽたこぼれ続ける。そして、照姫が、その筆を引き取ります。そして渾身の力と気合を込め、白布にしたためる。
「降参」
 この場面は痺れました。音楽もなく、せりふもなく、無音で、照姫が全会津人の思いを引き取って「降参」の二文字を書く。そのときの照姫の、怒りを内に秘めた凛々しく気高い顔。この短い場面は、今年の大河ドラマのなかでもっとも印象的な場面の一つとして、記憶にのこることになると思います。
 このあと、この女性たちは「戦にまけて誇りを失ってはならねえ」と、明け渡すお城をぴかぴかに掃除し、そのあと土足で踏みこんだ板垣退助(加藤雅也)が、自分たちのつけた廊下の足跡を振り返って一瞬たちすくむという場面が入ります。へたにセリフを使わずにそれなりに深いものを表現していたのは、悪くなかったですけど、「降参」の墨書のシーンのすごみに比べると、多少あざとく感じました。こういう綺麗ごとで相殺しきれない、実際の(画面にうつらない場外の)光景の無残さを思うと。ちょ…こんなもんでチャラじゃすまねーだろおい、と…。

 いっぽう、男たちを集合させた容保様は、全員の前で降伏を宣言し、ここまで戦い抜いた苦労と犠牲を深く詫びます。そして、
「罪は我が一身にある。この一命をもって会津を、皆の行く末をまもる。何があっても生き延びよ。最後の君命じゃ」
 と命じるのですが、これに真っ向から異議を唱えたのが、男たちにまじって(ヒロイン特権で)なぜかいた、八重ちゃんだったんですね。

「畏れながらお殿様はまつがっておいでです。何があっても、お殿様には生きていただかねばなりませぬ」
「わたしは何度考えてもわからねえ。天子様のため、公方様のためにつくしてきた会津が、なじょして逆賊と言われねばならねえのか。悔しくてたまらねえ」
「死んだ皆さまは、会津の誇りをまもるためにいのちをつかったのです。それを無駄にしねえでください。ほんとは日本中に言いてえ、会津は逆賊ではねえ。それを証明できるのは殿様しかいねえのです」


 八重ちゃんに銑次兄さが憑依した、と思ったのはここですね。
 銑次兄さも、泥水をすすっても生きぬくんだ、絶対死なねえ、死なねえのが戦いだと言って会津の敗戦から立ち上がっていきました。このアウトロー・ヒーローの凄味が、女性の八重ちゃんに引き継がれたというのがすごいと思う。
 メンツを表に立てて「この命に代えて」とかいって、ようは死ぬことで自分を免罪してしまう男たち。それをバシッと指摘して糾弾する八重ちゃん。「なるほど、主役はこのひとでなくてはいけなかったのか」という説得力が、たぶん初めて、ハッキリでた場面だったと思います。

 そんで、そのあと大蔵が、「そうだ!殿のおいのちは我らが守る。守りますゆえ!!」と、八重ちゃん発言が巻き起こした波乱を総括しちゃうんだけど、それは八重ちゃんがいいたいことと違うんだよね。完ぺきにズレてる(この大蔵の空回りっぷりも、今回のいいアクセントになってます)。
 で、容保もずれてることは分かってて、だけど藩士の気持ちを、とりあえずでも納得させるのはその方向しかないってこともわかってて、だから折れるしかないんです。ここで容保は、「藩士によって生かされる」ことを受け容れ、降伏を決めた以上の無力感に打ちひしがれた、みたいに見えた。このときの容保@綾野剛さんの、深い無念さを内包した表情には凄まじいものがありました。というか、綾野さんだから、容保の屈辱感を、たんなる敗軍の将のそれではなく、そこまで深く掘り下げて見せることができたのでしょう。
 このあと降伏式にのぞむ容保は、もう精神的にも肉体的にも限界、という弱弱しい風情をしてて、それを見守る八重ちゃんの厳しい目、表情と対照的なんだよね。彼女ひとりだけ、敗戦の無念さに酔ってないんですよ。殿にも、男たちにも、武士の美学で免責することは許さない。なにか、敵ではなくて味方の罪を見抜くような、ものすごいハードボイルドな表情でした。

 あと、良かったのは落城前後の尚之助(長谷川博已)と八重ちゃんの対話の場面。(なんかだんだん順不同ですみません)
 夜中になっても砲撃が止まない(のも、ちょっと変かと思うけど)中、ふたり胸壁でしみじみと「城が崩れないのが不思議だ」と語り合います。
「わたしは、国とはそこに住む人のことだと思っています。会津は…八重さん、あなたは、強い」
そして鶴ヶ城はとうとうは崩れないまま開城をむかえ、その城あけわたしの前夜、八重ちゃんは、胸壁に
 明日の世は 何国の誰かながむらん なれし御城に残す月影
 という一首を書きます。
、それをみたお母さん(風吹ジュン)が「辞世のつもりか」といいます。涙ぐんで、どんなにいくら鉄砲がうまくても、男顏まけに手柄を立てても、お前は私の可愛い娘だ、その娘をわたしは失くさなきゃならないのか…と。
 その母子を、ものかげでそっと見守っていた尚さま。
 城あけわたしの日、男たちは猪苗代に護送されるために一室にあつめられて、八重ちゃんも、自分の誇りをかけて男装してその場にいる。ちなみにこれはヒロイン補正ではなくて、実話なんですよ。実話ってのがすごいところで、この川崎(当時)八重さんを、男の藩士が誰も止めなかったのは、それだけ敗戦で脱力していたか、それとも八重さんにだれも何も言えないくらい、彼女から凄まじい闘争オーラがでていたということでしょう。
 で、実際は八重さんは、猪苗代に向かう途中で、護送する新政府軍の兵士に「女郎が(差別用語ですが、ママ)紛れているぞ」と言われてつまみ出され、若松に返されたと、本人の回顧談にあります。
 この話は、今回は以下のような胸に迫るシーンに脚色されていました。
 一室に集められた藩士たちが、新政府軍の兵士の嘲弄するような態度に、抵抗の意志をこめて、地元会津の民謡をうたいます。大合唱になるなか、八重ちゃんがすごく優しい顔をして
「懐かしいなあ、祝言の日。あんつぁまのくれた紅は、けっきょく赤すぎて、つけていくところがなかったなし」
 というんですね。
 これを聞いた尚さまは、思ったのでしょう。この人は無二の戦友であり同志としてここまで来たけど、女なんだ。人の妹であり娘であり、というか自分の妻なんだ。この人から、赤い口紅をつける未来を奪ってしまっていいのか?男としてそれでいいのか?と。
 その一瞬で尚さまは決心し、やおら八重ちゃんの手を掴んで、「ここに女がいるぞ!」と叫ぶんですね。
 大騒ぎになり、つまみ出される八重ちゃん。尚さまの、これが永遠の別れになるかもしれない、多分なる、妻の姿を最後に目に焼き付ける必死な表情も胸に迫るものがありましたが、まわりにいる会津藩士の男たちの、それぞれに微妙にちがうリアクションがよかった。「よ、よかった言ってくれて…」みたいなホッとした顔あり、「ちょ…いいのか尚之助!」みたいな単純にビックリした顔あり。なかには、「え…八重さん来ないの!!」と思っているとしかみえない、山川大蔵のあきらかに素ボケたリアクションもあったりして。
 でも、ともに戦った妻を残し、うつむいて去っていく尚之助の後姿は悲しかったなあ…。これで彼女に未来をプレゼントしたことになるのですが、それでも、彼女を捨てていくにはちがいなく、身を切られるようなとはこのことで。

 こうしてすべてを失って脱力した八重ちゃんは、なにも無くなってしまったお城から、天守閣を見上げるのですが、そこに晴天が変わらず広がっているのをみて、「それでも空は変わらねえのか…」と呟きます。
 これは、敗戦や、大きな災害を経験した人には、国や民族をこえて共通の感慨であることでしょう。「風と共に去りぬ」の台詞にもあるではありませんか。
 いえ、名台詞といっても大ラスの、After all... tomorrow is another day! ではなくて、ここは、南北戦争で丸焼けになって、すべてを亡くしたスカーレットが故郷の土を握りしめて、神様、私は生き抜いて見せます、二度と飢えに泣きません!I'm going to live through this and when it's all over, I'll never be hungry again.)という、泥臭いくらい力強いシーンになぞらえたい。
 そのセリフは「風…」のインターミッション前のクライマックスにあたるので、故郷の空を見上げる八重ちゃんの表情も、この中クライマックスの最後にふさわしい、スカーレットの姿と重なるものであったように思います。


 今週の八重ちゃん出直し学習会 

 八重ちゃんの桜でスルーされたもの

 ここまでの学習会で、八重の桜の戊辰戦争の描写がすごく片手落ちだということは再々指摘しましたが、ここへきて突然のアバウトさは、若干不可解に感じるところでもあります。
 いちばん不可解なのは、奥羽越列藩同盟のなりたちを、すごくざっくり片づけてしまったことで、松平容保が藩主になるところからさかのぼって会津の歩みを丹念に説明してきたのに、いざ戊辰戦争となったら、肝心の列藩同盟のことを、必要最小限以下にしか描かない。かわりに新政府軍の悪辣ぶりを描くかといったら、これもそんなに踏み込んでは描かない。これはどういうことか…と、ほんとに不思議に思います。
 
 今週の感想でもチラッと触れたんですけど、これはどうも、具体的な地域を名指しして、悪役という役回りで描くことを、極力遠慮したんじゃないかと

 近年の大河ドラマでは、ご当地英雄のような人を悪役にするのを遠慮して、必要なのに登場させないとか、不気味にいい人に描くみたいなことをし、話をバカみたいにするケースがまま見受けられます。
 戦国ドラマでこれをやったら、まあ百歩譲ってマンガ大河ですむところが、幕末ものだとけっこう無理が出て来るんじゃないでしょうか。幕末の混乱というのは、ようは、それぞれの藩閥の欲の皮の突っ張った分捕り合戦という面もありますからね。
 たとえば、会津城下を焼いたことは描いても、略奪や分捕りは描かない。それはまあ、残酷すぎて描けないということはあるでしょうけど、鹿児島県とか山口県とか高知県の人がそういうことをした事実を、ご当地の人に遠慮して描かないというのは、戊辰戦争をドラマ化するつもりなら重大な片手落ちだと思いますよ。

 あと、もうひとつ重大な片手落ちは、奥羽越列藩同盟を、たんなる会津の援護射撃同盟に描いてしまい、この同盟が持っていた「東日本新政府」という構想について一切触れなかったこと。
 列藩同盟では、輪王寺宮公現法親王を仙台に迎え入れ、この人を明治帝のかわりに践祚させて、ほぼ「東北朝廷」みたいなものを作り出すこともしたともいわれます。
 じっさい、輪王寺宮令旨は慶応4年4月に発せられ、薩長新政府が私欲のために捏造した王政復古の無効をうったえ、東北はじめ全国の忠良諸藩に、賊軍(新政府)討伐を訴えています。
 同じ内容の令旨を、各国の外交筋向けにも作成して、会津・仙台・米沢・庄内・長岡の連名で、横浜に持って行って手配りもしています。その内容には、長岡が押さえている新潟の開港と、東日本政権が行う今後の貿易活動などもプレゼンされていて、これが、それなりに外国のココロを捉えたわけですね。諸外国は、この戊辰戦争を、二つの陣営に分かれた権力の闘争と捕えました。なので、どっちが勝ってもおかしくないし、どっちにも肩入れしないという態度で基本的には静観していたわけです。

 ようは、薩長新政府といっても相当に怪しげなものだったし、そもそも国内にも、国外にも信用されてもいなかった。まして発足間もないこの時期は、もう明日にも倒れてしまうかもわからない。宮様を担いで新政府の名乗りを上げている東北の同盟は、新政府にとっては、もう脅威なんてものではなかったわけですね。なりふり構わずでも、どんな手を使ってでも、徹底的に潰さなくてはならなかった、と。
 新政府軍の東北攻撃にかける必死さというのは、東北諸藩以上のものがあったので、それはとても、鼻で嗤って「田舎侍が、まだあきらめんとかい」みたいな態度(再々でてきましたね)ではなかったはず。その異常なテンションが、非戦闘員への数々の残虐行為に繋がったことは、あると思います。
 これを「圧倒的な武力差で」薩長が勝つのは最初から織り込み済み、だけど会津の抵抗が予想外に協力で苦戦して…みたいな話に矮小化するのは、かなり違うんじゃないかと。白河の敗戦(白河の関が破られたとの象徴的な意味)、長岡陥落(列藩同盟の最強カードである新潟港をうしなう)などのターニングポイントが、すごくどうでもよく描かれてしまったのも、戊辰戦争の本質をさけていたのを象徴してましたね。
 
 このような問題点をふまえて、奥羽越列藩同盟が、あらためてガッツリとドラマ化されるところを、いつか見たいと思います。妄想キャストも作ったことだし!(それ違…)。


6 コメント

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憑依する人される人 (素問)
2013-07-28 05:33:01
事実上の第一部幕末編が終了しましたね。

振り返ってみると、大河ドラマならではの素晴らしさが沢山ありました。

個人的には割と小者の悪役イメージが強かった佐藤B作さんが、いい老け役ができるようになったことはちょっと驚きで、内蔵助さんとの最期のシーンは僕は好きでした。

あと何かのインタビュー記事で読んで驚いたことが一つ。

孝太郎慶喜が松平容保を道連れに江戸に逃げた後、一転して会津家中に江戸からの立ち退きを命じた場面で、茫然とした容保さんがうわ言のように「大君の儀、一心大切に忠勤を存ずべし…」と御家訓をつぶやいていたシーン。

あの御家訓は台本になく、綾野剛君も全く予想外の出来事だったそうです。

カットのかかった後モニターでその場面をチェックして、これはとんでもないことになってきていると綾野君は感じたそうですが、こういう現象が発生するのは大河ドラマならではですね。

佐藤健君もあさイチに出演した時、岡田以蔵の最期は自分では笑って潔くいこうと考えていたのに、いざそのシーンに入ったら涙が出て止まらなかった、そして涙を流している自分を冷静にもう一人の自分が見ていたというようなことを言っていました。

ベテランの俳優さんは自分の積み重ねてきた経験の引き出しを駆使して味わい深い演技ができるでしょうが、経験の浅い役者さんは長期間役に入っていることで役柄に憑依されやすいのかもしれないと思いますが、それが一般的なドラマでは起こり得ない奇跡を発生させるのですね。

後半明治編に入って西南戦争でモニカ西郷さんをどう描くのか、覚馬兄の離婚はどうするの?、新島ジョーはあの濃い出演者の中で存在感を発揮できるのか、維新が成ってめでたしで済まない明治時代を日清日露の二つの戦争を絡めてどう描くのか等々、興味の尽きないこれからが楽しみです。(^^)
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八重ちゃん出直し学習会の件 (ブラック奄美)
2013-07-28 11:51:01
お久しぶりです。以前と変わらず、毎週毎週こちらのブログが更新されるのを心待ちにしており、そして庵主さんのこのブログに賭ける労力たるや、並大抵のものでなかろうと拝察いたします。

そこで、今週の出直し学習会の「戊辰戦争の描写がぬるい」の件ですが、まさに庵主さんのご賢察の通り、全国民向けドラマとしての大河枠としては「これ以上描けない」のだと思います。

私、今回の大河だけは某ポータルサイトの感想欄に頻繁に書き込みをさせてもらい、又、ずっと注視をしてきました。その結果、戊辰戦争から145年も経た今でも、会津と薩長土の間には根深いしこりの感情が残っていることを十二分に認識させられました。

又、制作側の裏話として、東日本大震災以前は今年の大河のテーマとしては「保科正之」があがっていたそうですが、震災以降、急遽「復興支援ドラマとしての大河」制作に切替り、その結果あがってきたのが「新島八重」だったそうです。彼女が会津戦争を乗り越え、ハンサムウーマンとして開花していく姿を通じて震災地へのメッセージとしたいという企画意図変更です。

これらの制作側の意図、そして某感想欄に見られる地域間の感情のしこり(今回のドラマの低視聴率の一因でもありそうです)、又、地域に関係なくともその感想欄に見られた「震災後に日本が纏まらないといけない時期にこんな国民感情を分断するようなドラマを制作してどうする!」といった企画そのもに対する嫌悪、これらを鑑みたとき、制作側としては、これ以上、会津戦争のデリケートな部分に踏みこめなかったんだろうと推察します。

実際、制作側は特に山口県に対しては気を使っていたようで、シリーズ冒頭、覚馬が黒船を視察するシーンは萩市の近くの某海岸にてロケが行われ、敵役の長州側の地元感情にも配慮するといった具合でした。

もちろん、これらの事情が庵主さんから見ればとるにたらない些細な事情であり、むしろ史劇の本質を大いに損ねるといった見解も十分に理解できるのですが、どうも一般的な視聴者のレベルといったものは、いまだそのあたりにとどまっているようですよ。
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Unknown (うし子)
2013-07-30 07:41:26
私も会津戦争時の城下での新政府軍兵士たちの「行い」を知らずして、会津の人達の深い悲しみや怒りを、本当の意味では理解できないだろう、と思います。(もちろん戦後処理や明治以降も続いた「朝敵扱い」も含め)
ただ、
ドラマでこれを描くのは映像的にも放送時間帯的にも無理ですよね…。
皆さん仰るように、全国の視聴者に配慮してるというのもすごく感じます。
維新以降ずっと会津が「敵」として描かれることが多かったことを思えば、今回はせっかく会津目線なのに薩長側に気を使いすぎな位?だとも思いますが、それでも文句言う人がいたり、また今回「震災復興」応援がテーマでもある以上やむを得ないんでしょうね。
それにこのドラマがより強調して描きたいのは、「怨みつらみ」の部分より、会津の人達の誇りや正義、彼らの強い精神力とか絆の部分なんだろう…と思ってます。生温い考えで申し訳ないですが…。
だからと言って明治編になって急に、怨みや憎しみを忘れたかのような、簡単にその感情を乗り越えるかのような展開にはしてほしくないなと思います。
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会津藩と庄内藩 (赤べこ)
2013-07-30 13:41:03
いつも楽しみに拝見しています。
『奥羽越列藩同盟』の件、全く同感です。
せっかく、今までにない容保さまと会津藩をここまで描いてきて、この腰砕け状態…本当にもったいない!
京都では薩摩に利用されるだけ利用された政治センスのない会津藩…的な書かれ方をしていましたが、最近、庄内藩とともにプロイセンに働きかけていた事実も見つかったようですし、(スネル兄弟あたりの仲介で、蝦夷を担保に武器等の援助を求めていたらしい)、従来通りの『かわいそうな会津藩』だけでなく、ぎりぎりのところでいろいろ模索して、がんばっていた姿も紹介してほしかった…(涙)
もちろん、そのときは常勝将軍鬼玄蕃さま付きで!
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主役はこの人という説得力 (ときとき)
2013-07-30 23:50:58
庵主さま 
はじめまして いつも本当にこちらの更新を日々心待ちにしております。
私は新選組から幕末に興味を持ったので庵主様やこちらにコメントを書かれる皆様に比べると、歴史の知識もまだまだ浅く、このようにコメントを書くのも恐れ多いのですが・・
毎回足りない知識をこちらで勉強させていただき、ほんとうに感謝しております。
また、今年の八重の桜、周りの人にどれだけ良いドラマ化を力説してもなかなか良い反応が得られず・・
でも、毎週感動した場面、うーんと思った場面、誰にも共感してもらえず歯痒い、もやもやした気持ちがあるのですが、庵主様が書かれる深い歴史の知識の基づいた的を得たかつ冷静にドラマを見ておられる素晴らしい文章にスッキリさせてもらっております。
そして、今回の八重ちゃんが容保さまに恐れ多くもご意見したシーン・・
これは、八重でなければ、いえなかった言葉でしょう。ヒロイン特権といえばまさしくそうなんですが、私にはそのような違和感はなく、真に迫るものがあり、また、それに応える容保様の涙の意味がとても深いもので、素晴らしいシーンだったと思います。

今回の八重の桜と平行しつつ、数年前の新選組!を見返しているのですが・・
あのドラマも当時は良かったと思っていたのですが、映像の感じ等もあるでしょうが、全然重みが違って感じ、益々八重の桜が素晴らしいドラマに思えてきました。
また、今回のドラマが素晴らしく思えるのは、キャストの選考が素晴らしいのではないのかなと思います。
この人、ミスキャスト!っていう人はやはり再三上がっている西田敏行さんのほかはほぼ見当たりませんし・・
なんだか他の皆さんに比べ取り留めの無い、中身の無い文章になってしまいましたがお許しください。
今後も庵主様の精魂こもった文章、楽しみにしております。
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こんなブログがあったとは! (あこ)
2013-08-03 08:09:08
庵主様

初めまして!
いきなりコメント失礼します。

選挙特番で大河はやらないものと29回をすっかり見逃してしまい、
どこかで解説してるサイトはないものかとこちらに辿り着きました。
(30回を見て、これは重要な回を見逃した…と気付きました。。)

二葉さんが「降伏」の文字が書けず、墨汁が黒い涙となるシーン、
その後の照姫様の凛々しくも怒りと哀しみを秘めた表情、
尚之介様の八重さんへの想い、
すべてが見たかのような感動でした!
ありがとうございます!!

きちんと文献にあたって考察されている内容も面白く、とても勉強になります。
「八重の桜」は29回まで読んだので今までの大河ドラマも読みます。

また日本中の婦女子の共感を得られるであろう
前半の萌えポイントも読んでいて追萌えしてしまいました☆
第三回の衝撃は忘れられない…!
「坂の上の雲」のもっくんの衝撃を思い出します。

これだけの内容を書くのは本当に大変だと思いますが
これからも楽しみにしています!
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