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暮らしの菓音・続き

第四回暮らしの菓音でも若干お菓子が余りましたが、
今回はチャリティ通販にはせず、そのまま分配しました。
菓音開催にあたってご協力下さった方々、
そして宮城県気仙沼市でボランティアした際にお世話になった中学校の先生へ、
ハンパないほど作って極端に余った板サブレとフラップジャックのみ仙台市のdiaさんへお送りしました。
通販期待されていたご遠方のお客様、申し訳ありませんでした。
余談だけどフラップジャックは今までで一番おいしく出来た。

このブログをつぶさにご覧下さっている方はすでにご存じかもしれない。
宮城県気仙沼市・本吉町にある大谷中学校。
私が今年のゴールデンウィークと夏休み中に足を運び、
「ふゆみずたんぼ」の復旧ボランティアをさせて頂いた場所。
 詳しくは過去の記事「旅」カテゴリーの5月の投稿をご覧下さい→こちら。
「ふゆみずたんぼ」とは、冬季も田んぼに水をはり、イトミミズや微生物の生育をうながし
農薬や化学肥料に頼らずに稲を育てる田んぼ。
「ハチドリのひとしずく」で知られる「ハチドリ計画」の一環として
大谷中学校3年生の総合学習で始まり、その後小学校と幼稚園も加わるようになった。

ハチドリのひとしずく いま、私にできること
クリエーター情報なし
光文社

3月11日。
海から800mほど離れた高台にある大谷中学校1階にまで津波は達した。
そして校舎の眼下にある生徒達の「ふゆみずたんぼ」は、押し寄せる津波にのみ込まれ
たんぼの上には破壊され流されてきた家屋や車、散乱するガレキが残された。
震災から一月半ほど経たゴールデンウィークの頃に足を踏み入れたあの光景は
テレビの映像で再三目にしていたイメージをあっさり覆すほどの、あまりにも有り得ない、
現実とは認めたくないすさまじい状況だった。

ようやく仮設住宅が建ち始めた頃、たまたま私はご縁があって
その中学校のふゆみずたんぼのガレキ撤去ボランティアを2日間させて頂いた。宿泊は中学校の教室。
無数の人の多大な手助けでふゆみずたんぼは復旧し、
担当の中学校の先生の地道で甚大なご努力で田植えにまでこぎつけられた。

その後、ふゆみずたんぼのボランティアに参加した人達でメーリングリストが結成され、
田植え後の生育や開花、そして収穫までの状況は逐一メールで拝読していた。
「大豊作」の一文を見た瞬間は感慨深かった。
ガレキだらけだった田んぼで大豊作・・・素晴らしい。

今こうして思い返してみてもまるで10年以上前の出来事のよう。
そして今さら言うまでもなく、先日の菓音で演奏して頂いたジャズピアニカバンドの方達とは
この気仙沼ボランティアの際に場を共にさせて頂いたのだ。
神戸から車1台に5人乗って食糧・テント、山程のピアニカを載せて駆け付けた彼らは、
被災して家を失った子供達にピアニカを配り周り、避難所となっている体育館や教室で演奏された。
お菓子をお送りした中学校の先生には、「暮らしの菓音」をやる前に
これこれこういう形で大谷でも演奏されたジャズピアニカバンドの方達をお招きして
地元でこういうイベントをやるのです。とお知らせしていた。

震災から9カ月。
時の経過とともに変わるものは変わり、変わらぬものは息をのむほど変わらない。

そんなこんながあって、先週のこと。
「大谷中学校」の名前で私宛に小包が届いた。あれ?!もしかして!?



やっぱり!!ふゆみずたんぼのお米を送って下さった!!



お米袋を手にし、重みを感じ、胸が熱くなる。
こんな貴重なものを頂戴していいのだろうか。



そして同封されていた文書の数々に目を通し、熱い思いが胸の内から目の外へこみ上げる。
ふゆみずたんぼ再生ボランティアに加わった方が作成されたレポート
「よみがえったふゆみずたんぼ」は、写真付きで日にちの経過が記されていて
とても分かりやすかった。



とてつもなく大きな「再生」という物語。
未曾有の災害が起きてしまった今年。
災害と面と向かって遭遇し、打ち勝ち、乗り越え、よみがえる。
人の生きる力、その尊さを忍び頭が下がる。

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