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検証・民進分裂④

検証・民進党分裂

知事当選直後『党名は希望』

小池百合子の3都構想は頓挫

 7月の東京都議選で都知事の小池百合子率いる『都民ファーストの会』が躍進すると間もなく、若狭 勝細野豪志ら国会議員が東京・本郷の「鳩山ビル」の一室に集まるようになった。

 後に小池が立ち上げる新党「希望の党」の結党メンバーたちが衆院選戦略を練る拠点だった。小池の国政進出計画は、初当選を果たした昨年7月の都知事選後から動き出した。

小池は周辺に「政党名を『希望の党』にしたい」と意欲を示し、10月に自らが塾長を務める

政治塾、『希望の塾』を開校した。

 今年2月には『希望の党』の商標登録を出願。8月に入ると、衆院選で掲げる政策の取りまとめや、新党のPR動画の作成準備に入った。若狭と細野を中心に、9月時点で独自候補約70人の選定を終えていたと言う。

 小池の念頭にあったのは、東京・大阪・愛知の3知事が連携して、地方自治のトップとして、国政に挑む構図だった。都知事選や都議選のような旋風を起して、3大都市圏で一定の勢力を得る。

 さらに2019年参院選と、その前後の衆院選で政権獲得を目指す――という構想だ。9月17日臨時国会冒頭での衆院解散の可能性が報じられると、小池は東京丸の内のパレスホテルで、愛知県知事の大村秀章と秘密裏に会談。「3都で連携して、地方自治を訴えませんか」と切り出した。

大村も5月ごろから細野ら東海地方が地盤の国会議員らと会合を重ね、地域政党の立ち上げを模索していた。

小池は日本維新の会代表で大阪府知事の松井一郎とも連携交渉を進め、9月30には、3人で記者会見。地方分権や成長戦略の共通政策をまとめ、衆院選での協力を申し合わせたことを明らかにした。だが希望が失速する中、大村が戦線から離脱し、小池の狙いは頓挫した。

 そもそもの構想では、政権を狙うのは『次の次』の衆院選だった。今回の選挙で議席を得た7割以上が民進からの合流組だったとはいえ、後任代表の玉木雄一郎は、小池路線の継承を明確にし、執行部の枢要な役職を結党メンバーが占めた。

 小池は再び都政に専念し始めた。代表辞任直後にあった都民ファーストの政治資金パーティーで、記者団に語った。「これまで国には私関係の議員はゼロだった。これからは50人の希望の皆さんがいろんな意味で頑張ってくれる」続く

 

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