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おくられびと山田辰夫

(文中全て敬称略)
映画「おくりびと」に関係して三人目の「おくられびと」が出てしまった。その人の姓名は

本名も同じ、山田辰夫である。富山県出身の俳優で独特の繊細な演技で主役を盛り立てる名脇役として活躍、山崎 努も山田の演技力を高く買っていたそうだが、まだ53歳と言う若さながら、胃がんの為、7月26日に亡くなったという。喪主は妻の山田典子(のりこ)。

1984年『すかんぴんウォーク』〔大森一樹監督〕に出演、大阪映画祭で最優秀助演男優賞を受賞した。どんな映画も脇役の演技力でその映画の良し悪しが決まるのだという。主役を生かすも殺すも脇役次第という事なのだろう。

2008年、高岡商業高校時代の同級生である滝田洋二郎監督の『おくりびと』に出演し、繊細な演技を披露して好評価を得ていたという。

山田辰夫(3・5・7・4)運気10点。病弱短命運
天格:山田: 8画
人格:田辰:12画。大凶。家族生死別運。
地格:辰夫:11画。主運〔人格〕の凶を受け、大吉に凶を含む。
外格:山夫: 7画。大吉
総格:山田辰夫:19画。大凶。障害多発、万事に行き詰まりの経済的窮迫、苦労困難多き、病弱短命運。

成功運:天〔八〕―人〔二〕大凶:運命抑圧を受け、不伸不満の結果、脳を冒され、健康を害す。

山田典子(3・5・8・3)運気10点。辛労の絶ゆる事なき、夫子生死別運。
総格:山田典子:19画。大凶。

◎ 山田夫妻に共通の19画の運気:すこぶる知能を有し、活動の素質あり。大業を起し、名利を達すべき実力ありといえども、如何せん、自然の霊能は意外の障害をもたらし、内外不和にして困難多く、辛労絶ゆる事なし。

病弱孤独の悲運に陥り、更に一歩を進めるときは、短命夭折、妻子または夫子生死別、刑罰殺傷等の災いあり。万事行き詰まりたる運命にして、特に互いに配偶者と死別、事業中途挫折等最も多く、一名短命運とも称し、非業、非命を免る事なし。

夫の辰夫の性格は人格〔田辰〕12画で2の木性。
妻の典子の性格は人格〔田典〕13画で3の火性。・・・二人は性格一致、相性吉で俗に云えば夫婦仲が良いと観る。但し最大の欠点は総格の19画により互いに相手と生死別の運気を有する事である。そうして夫の辰夫に人格・主運12画という家族縁の薄い短命運がもう一つある為、典子さんをおいて先に逝ったことに成る。その二へ続く。



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男の友情

高野公男の言う茨城弁での作詞、船村 徹が心砕いた栃木弁での作曲から成る春日八郎唄う『別れの一本杉』は日本人の感性に「こだま」して昭和30年に大ヒットしたのである。

高野はこの時、水戸の病院で重い肺結核での病床にいたが、嘗て高野を見舞おうとして汽車賃に事欠き、上野から常磐線の貨物列車に忍び込み、水戸まで無賃乗車して会いに行った事もある船村 徹だが、このヒットで収入をあげ、何よりも『これでやっと高野の治療費が出来た』と大喜びしたという。

こうした船村 徹の思いを裏切るように高野公男は翌昭和31年、26歳の若さで逝ってしまった。この時船村 徹は24歳であった。

高野公男:人格は野公で15画、したがって性格は五の土性。
船村 徹:人格は村徹で22画、したがって性格は二の木性。
この二人は本来なら性格不一致、相性凶であるが、この組み合わせなら、船村の木が高野の土に根を張り、高野は船村を育てる立場に立つ。

船村は高野によって育てられる事を意味する。若しも二人が長命だと仮定したなら、性格不一致はいつの日にか二人を離したかも知れない。

二人が出会ったのはまだ本名を使っていた頃である。

福田博郎:人格:田博で17画。性格は七の金性。・・・船村 徹
高野吉郎:人格:野吉で17画。性格は七の金性。・・・高野公男

全く同質の七の金性、相性は吉、性格一致であり、完全にウマの合う間柄だった訳だ。ここに互いを無二の友と意識する要因があった筈である。

二人の芸名から性格の不一致が現れる前に、高野が余りにも早く病死した事になり、出会った頃の友情は、特に生き残った船村 徹によってずっと供養が続けられ、高野公男の出身地には船村によって建立された高野公男への数々の石碑が存在する。

一般的に義理人情の薄れた今日、船村 徹の男の友情は高野公男が亡くなった52年後の今に至るまで有形無形に続いている事は誠に驚くべき事である。日本的な美徳義理人情を久しぶりに思い起こさせてくれた。

ブログ『しんちゃんさん』で「しんちゃん」が茨城県笠間市の高野公男の記念碑を尋ね、24枚の写真に撮り収め、私達のために別れの一本杉を案内してくださっている。まことにありがたく「しんちゃん」様には心から感謝申し上げたい。実は7月26日に私のブログ・永人のひとごころ・『好きな歌が無くなっていく』から『男の友情』までをトラックバックさせていただいた。

・・・『別れの一本杉記念碑』『高野公男墓標』茨城県笠間市大郷戸・・・を検索クリックしていただければそこへつながります。ご参照ください。

友よ、
土の中は寒いのだろうか
夜があるのだろうか
もしも
寒いのならば
俺のぬくもりをわけてあげたい
もしも
夜があるのならば
俺の手で灯りをともしてやりたい
友よ俺の高野よ
こうろぎのよちよち登る友の墓石

昭和43年秋    船村 徹   (完)



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感性とひとごころ

2歳年上の高野公男が船村 徹に言った。『俺が茨城弁で作詞する。お前は栃木弁でそれに曲を付けろ。』・・・「泣けたっけ」・・・という歌である。曲名はレコード会社に持ち込まれたときは『別れの一本杉』に変更されていた。

別れの一本杉・・・・作詞・高野公男
             作曲・船村 徹
              唄・春日八郎

一、
泣けた泣けた
こらえきれずに泣けたっけ
あの娘(こ)と別れた悲しさに
山のカケスも鳴いていた
一本杉の石の地蔵さんのよ
村はずれ

二、
遠い遠い
思い出しても遠い空
必ず東京へ着いたなら
便りおくれと云った娘(ひと)
りんごのような赤いほっぺたのよ
あの泪(なみだ)

三、
呼んで呼んで
そっと月夜にゃ呼んでみた
嫁にもゆかずにこの俺の
帰りひたすら待っている
あの娘(こ)はいくつとうに二十(はたち)はよ
過ぎたろに

この歌を売り込みにレコード会社を二人で訪れた時にその社の役員は
「東京から茨城は近いし、栃木も近い、この歌では『遠い、遠い』というが、一般に理解されますかね?」と暗にこの歌は「支持されない」との予見をもたれたという。

この言葉に高野は云った『茨城や栃木の山合いで細々と暮らして居る者たちにとって、東京という所は汽車の切符を買って、はるばると旅へ出ねばならぬ遠い所、地理的な問題ではなく、精神的にも、心のありようからも、ちょっとやそっとではいけない遠い所なんですよ。

そんな遠い所へ離れ離れに成る若い二人にとっては簡単に会える距離感覚はない。会おうたって会えないし互いに心で思い合うしかない遠い所なんですよ・・・都会に暮らす一部の人には解ってもらえないかも知れないが、多くの人達には解ってもらえると思いますよ・・・』

レコード会社の役員と高野公男の違いは、都会と田舎という育った環境の違いだけではなく、やはり『ひとのこころ』の理解度と『感性の有無』なのだと思う。

一方船村は高野が言う栃木弁での作曲と言うことに腐心し、
・・“石の地蔵さんのよ”・・の箇所のメロディーに心血を注いだという。

この年昭和30年〔1955年〕11月に吉田茂の自由党と鳩山一郎の民主党が合併し、自由民主党が誕生した。所謂(いわゆる)55年体制の始まりである。

                   男の友情へ続く。7月6日夜8時・記




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早すぎた死

はじめに、本ブログの作成に当たり、『しんちゃんさん』の茨城県笠間市まで出かけられての高野公男さんに関する『24』枚の出来栄えの素晴らしい貴重な写真のおかげさまを持ちまして、こうして投稿させていただきますことの御礼と感謝の気持ちを『しんちゃんさん』に申し述べさせていただきます。本当にありがとうございました。

私の姓名・吉野永人の総格が『24』画で、24と言う数字の何か不思議な同類のご縁を覚えた次第です。(以下文中敬省略)

◎ さて、作詞という分野での非常な才能に恵まれた男であった高野公男の運気は概略以下の如くである。

高野公男(10・11・4・7)運気5点。第二型・絶対的短命運。

天格:高野:21画。
人格:野公:15画。大吉から凶へ変化す。
地格:公男:11画。大吉に凶を含む。
外核:高男:17画。大吉に凶を含む。
総格:高野公男:32画。大吉から凶へ変化す。

成功運:天〔一〕―人〔五〕凶。主運の徳量ありて大禍なきに見ゆるも、次第に不平不満を生じ来たり、胃腸、腹部の疾患を生ず。

基礎運:人〔五〕―地〔一〕大凶。境遇不安定なり。住居、職業など幾度か変化し、転々移動しやすく、胃腸疾患を伴う。

三才の配置:天〔一〕―人〔五〕―地〔一〕大凶。第2型絶対的短命運。
発狂、神経衰弱、肺病、脳病など、長患、難治の病症を惹起して短命の人生に終わる。

彼は昭和30年キングレコードから春日八郎が歌った「別れの一本杉」
で一躍作詞家として認められたものの、翌年9月8日、26歳の若さで、肺結核の為、茨城水戸病院で短い一生を終えてしまった。まさしく姓名画数の表示する通りの人生に終わってしまったのである。

今日のテレビをよく見ていたら、現在船村 徹が大事に持っている高野公男が生前作詞して記録した大学ノート三冊の表紙が出ていたが、その中の一冊に『高野喜美男』と書かれたものが有った。

高野公男〔運気5点〕よりも、高野喜美男の方が運気70点で強く、
何故高野喜美男を使わなかったのか、残念でならない気がする。少なくとも、この高野喜美男であれば、運気50点の船村 徹〔本名:福田博郎〕と一緒に、今も活躍していたと思われる。

姓名は生命なり、と云って
『姓名の画数によって生命・寿命が左右される統計上の事実が存在し、まさしく姓名は生命に直結する事』を実感させられるのである。高野の直接の死因は肺結核の様だったが、胃腸をはじめとする消化器系統もかなり傷(いた)めていたのではないかと思われる。

私が今日テレビを見た事の〔見させられた事の〕意味はこのことにあったのだと思う。不思議な事にNHKのBS2では7月5日、夜、7時30分より、市川昭介を『昭和の歌人たち』というタイトルで放送され、昨晩の船村 徹に次いで二晩連続して昭和歌謡に浸ることが出来た。
・・・感性とひとごころ・へ続く。7月5日夜11時・記



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こんな歌は売れない!

昭和36年ロカビリー全盛の時代、平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチス、などの歌手が活躍していたが、船村 徹はこの時期、何とか『日本人の心に響く歌』を作ろうと、渾身の作曲をモノした。

ところがキングレコードの担当者に『こんな歌など今時は古臭くて売れるわけが無い』と非難されたが、いざ発売されるとレコード会社の予想を大きく裏切って、ミリオンセラーになったという。

西条八十作詞で村田英雄が唄った『王将』である。この歌で翌年村田は第4回の日本歌謡大賞特別賞を受賞した。やはり船村が思っていたように、国民は『日本人の感性に響く歌』を待ち望んでいたのである。

考えてみるとレコードを作って売る側に『感性が無い』というのは恐ろしい事である。今の自民党の政治家達が国民感情を全く理解していない状況とソックリ似ているではないか。

ところで船村に大きな影響を与えた作詞家の高野公男は茨城県笠間市出身で昭和5年生まれ、船村 徹は栃木県出身で昭和7年生まれ、二人は東洋音楽学校(現、東京音楽大学)で一緒に成ったが特に船村 徹の作曲と人生にとって高野公男は最大の影響を与えた男である。

本名高野吉郎(たかの・きちろう)運気10点。郎は郒で14画。
天格:高野で  21画。
人格:野吉で  17画。大吉に凶を含む。
地格:吉郎で  20画。大凶。病弱短命運。
外格:高郎で  24画。大吉に凶を含む。
総格:高野吉郎で41画。大吉に凶を含む。

成功運:天(一)―人(七)大凶。心身過労に陥り、不遇不平を生ずる。
基礎運:人(七)―地(十)大凶。苦しむべからずに苦しむ。急変没落の悲運あり。

三才の配置:天〔一〕―人〔七〕―地〔十〕大凶。準絶対的短命運。
ストレスを強く受けやすく、自律神経、胆嚢、肝臓、呼吸器、などを冒(おか)され、天寿をそこなうおそれあり。

高野公男〔10・11・4・7・〕運気5点。第二型の絶対的短命運。
天格:高野で21画
人格:野公で15画。大吉から凶へ変化す。
地格:公男で11画。大吉に凶を含む。
外格:高男で17画。大吉に凶を含む。
総格:高野公男で32画。大吉から凶へ変化す。

                       早すぎた死・へ続く





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好きな歌が無くなっていく

7月4日土曜日朝8時半、助手席に家内を乗せ、石巻から松島へ向ったが家を出て間もなくラジオのスイッチを入れる積りが、間違ってDISCボタンを押してしまった。都はるみの懐かしい歌声が流れて来た。ラジオを聴くのを諦め、そのまま車を走らせた。国道45号線を松島・仙台方面へ向ったのである。

東松島市の鳴瀬川の橋の手前でDISCを止め、何となく家内に言った
『船村徹のような、日本人の心に響くような作曲家が居なく成ると、いい歌がなくなって困るな・・・都はるみだと市川昭介か?市川さんも亡くなったからな。我々の好きな歌が無くなっていくなあ』

「そうですね」

ラジオをつけたら「今時の唄声」が流れていて、どうにも聴く気になれず、思わずスイッチを切ってしまった。

午後5時近くに石巻へ戻り、NHKのテレビをつけたら、BS2で今夜8時から『船村 徹・魂の歌60年』という番組の宣伝予告を流していた。
今朝船村さんと市川さんのことを話したばかりなのに、『なんという偶然だろうか!』と思った。これは何かの縁で『必ず観ろ』という『思し召し』なのだろうと午後8時から家内と番組を見た。

東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で知り合った作詞家・高野公男との男の友情を基本にした作曲活動の紹介で、星野哲郎との出会い、島倉千代子。初代コロムビア・ローズ。美空ひばり。青木光一。三橋美智哉。春日八郎。村田英雄。北島三郎。ちあき・なおみ。小林 旭。細川たかし。鳥羽一郎など懐かしい歌手の登場もあり、いやがうえにも時代の変化を感じさせられた。

『俺は茨城弁で作詞するから、お前は栃木弁で作曲しろ。・・・そうして俺達二人できっと大物になろうぜ』と高野公男に言われた言葉がヒントで『別れの一本杉(はじめは・泣けたっけ・という曲名につけようとした様だ)』が誕生、船村の作曲スタイルと作曲魂が決まったという事だった。

星野哲郎との出逢い後直ぐに、星野に向って『命がけで作詞してくれ』と聞く者の心を打つ歌詞作りを頼んだ船村の歌に対する真剣さと熱情に心打たれた。

人の心を震わせ、人を勇気付ける、心に響く歌というものは、やはり『魂が込められた、作詞と作曲』有っての事だと得心したのである。今時の歌が何度聴こうとしても全然覚えられず、心に全然残らないのは,この魂が欠けているからなのではないかと思う。

マイケルジャクソンが亡くなったといって、テレビ画面から色色と彼の歌う姿が放映されてもただ『騒々しい』という印象しか受けない。(7月4日夜10時45分・記)・・・こんな歌は売れない!へ続く




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ボロ自民丸沈没へ(その二)

国民はいち早く国策捜査であることを見抜き、海賊〔東京地検特捜部〕は自民丸に乗っている二階、森、古賀、尾身、与謝野など15名以上の金持ち悪党議員どもを『自民丸の麻生船長と漆原機関長の命令で』見逃した事を目の当たりにし、この事を脳裏に確りと焼き付けたのである。その上、

『自民丸は何と汚い卑怯な手を使う船であろう』との印象を強くしたのである。

事の真偽より以上に『自民丸の妨害』でこのまま船を停止させる訳に行かない民主丸は、船長を小沢一郎から鳩山由紀夫に代え、一等航海士に管直人、岡田克也を従え、再び自民丸の遥か前に立って、船足を速めたのである。

名古屋市長選で勝ち、さいたま市長選で勝ち、千葉市長、横須賀市長、静岡県知事、奈良市長、東京都議会議員選で勝ち、と連戦、連勝したのみならず、民主丸の獲得した票の数で自民丸を圧倒している。

ここに到ってあせりまくった自民丸の麻生太郎船長はイタリアサミットに心奪われてよそ見を続け、いつの間にか舵取りの目的を誤り、このボロ船自民丸は国民の信頼獲得という基本の航海技法を忘れ、政治不信という大きな暗礁に乗り上げ、船底に大穴が開いて見る間にドンドン浸水し始めた。

300名も乗っている自民丸は、大穴の部分からドンドン浸水している状況をほったらかして、無理やり麻生太郎船長を引き摺り下ろそうと中川秀直、武部 勤、加藤紘一、与謝野 馨、石破 茂等133名が署名して、麻生太郎船長をやめさせ、誰か他の人間を船長に選んで航海させないと大変な事に成ると騒いでいる。・・・・これを漫画という。

今ドンドン浸水して、間もなく自民丸が転覆沈没しようとしている時に、
誰を船長にするかで争っている場合ではないのである。この肝心なところを自覚しない、出来ない、自民丸の300名の乗組員(議員)の姿に岸壁から見ている国民は、完全に愛想を尽かしてしまったわけである。

沈没まで時間の問題といえる自民丸に好きで乗ろうとする者が少しは居ても、大方の国民は8月30日、こぞって『民主丸に国政を託すべく』、白羽の矢を立てるであろう。新しい政治、政権交代の実現である。

吉田 茂の手で建造した船、自民丸を、孫の麻生太郎の手で座礁沈没させるのも何かの因縁であり、『おごれる政党もまた久しからず』ということに成るのであろう。

麻生太郎・(総格34画)・の麻生千賀子夫人(故・鈴木善幸元総理の娘)もまた総格に34画を持っており、相性吉、性格一致の夫とはまさしく似たもの同士の縁となり、運気をたどっている。(完)7月17日午後二時記す。


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ボロ自民丸沈没へ

衆議院総選挙という岸壁で次の国政を託す船を、ボロ船の自民丸にするか新船の民主丸にするかをじっと待っている(建前)国民は、これまでの両船の動きを見て正直なところ、民主丸にしようと思いつつ(本音)、来る8月30日入港の日{投票日}を手ぐすね引いて待っている。

自民丸が建造されて54年の独占航海を続けているうちに、永年の風波にさらされ、船体も次第にくたびれていたのだが、世襲の小泉純一郎が船長になってから独裁的な舵取りが始まり、ろくな修理もせず、ボロ船態勢のまま国民に痛みを押し付けつつ無理に無理を重ねる航海を続けて来た。

途中、自分の方針に逆らうものを抵抗勢力と名指しして船から追放し、『俺の言うことを聞かなければこの船を沈めるぞ』と脅しをかけながら、郵政民営化、改革断行という歪んだ政治目標で航海をし続けた。

頃合いをみて後継の船長に世襲の安倍晋三を指名したが,気の弱い安倍船長は『ボロ船のボロの酷さに恐れをなし』、ノイローゼを起して勝手に舵取りを放り投げてしまった。

次いで船長を引き受けたこれまた世襲の福田康夫(総格34画)もまさかと思った二代続けての船長職の業務放棄、それではと過去に何度も船長をやらせろと騒ぐ世襲の麻生太郎(総格34画)という男を臨時の船長にした。

最寄の港まで短期航海させ(解散)、痛んだボロ自民丸の整備修理をして(総選挙)次の航海に備えようとしたのだが、何を勘違いしたのか、隣を並行して航行する自民丸より小ぶりの民主丸の小沢一郎船長に対抗して、最寄の港へ入る予定を勝手に変更し、民主丸との競争に目的を変えてしまった。

小泉船長の時には選挙で有権者をだまし、自民丸は民主丸に相当な差をつけたのである、が、いつの間にやら頭に乗って、有権者無視の傲慢な航海(政策)を続け、四年前の選挙で遥かに後方へ差をつけたはずの民主丸にアッという間に並ばれ、2009年3月には民主丸は自民丸を追い抜き、国民の待つ、岸壁に自民丸よりも早く到着しそうな感じになって来た。

焦った麻生太郎船長はかねてこうなる時に備えて待機させていた海賊どもに命じて民主丸を襲撃させ(東京地検による国策操作)、小沢一郎船長に不正ありと第一秘書を身柄拉致させるという、汚い手を打って民主丸の航行を妨害した。・・・その二へ続く。


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中川秀直(その四)

中川秀直の性格は『川秀・10~水性・陽』で小泉純一郎の性格『泉純・9~水性・陰』と理想的な性格一致と価値観の一致を見て二人はウマが合い、小泉によって自民党幹事長に引き立てられたが、中川は未だにその恩義を感じているのか、日本郵政の西川社長が辞めると明るみに出て困る事があると見え、厳然として郵政民営化の信奉者たる立場にある。

この二人は鳩山邦夫〔山邦・阝は邑で七画・4~火性・陽〕とは性格不一致、相性が凶でそりが合わない。郵政の西川社長をやめさせようとした総務相の鳩山邦夫に中川秀直と小泉純一郎は必死に抵抗し特に小泉は現職総理の麻生太郎に執拗に電話で圧力をかけ西川善文の首を守った。

麻生太郎も〔生太・9~水性・陰〕ということで小泉純一郎、中川秀直と同じ性格である。鳩山邦夫の性格は『火』であり、人間性、性格の強弱に於いて麻生太郎、小泉純一郎、中川秀直等の『水』には勝てないのである。鳩山の西川社長更迭の主張は退けられ結局は総務大臣を辞すことになったのである。

さて肝心の中川であるが、彼の自民党を割って出る度量も度胸も見識もない不甲斐なさには呆れるばかりだ。彼の女好きや裏社会との腐れ縁の問題などで、党内にさしたる人望もなく、次の選挙で落選すれば政界から永久に去る事に成るかも知れない。

それにしても今回の『麻生太郎引き摺り降し作戦のお粗末さ』には呆れるばかりで、

133名の署名提出~両院議員総会~総裁選前倒し~麻生太郎総裁退陣~自分が後釜に座る。

という構想で居たが、面白いことに、反小泉の加藤紘一が、親小泉の中川と一緒の行動を採ったのであるが、この二人は同床異夢で加藤は麻生太郎の退陣後は自分が後を狙っていたフシがある。なんともいただけないことを考える者達である。

今度の麻生降しの連判状に署名した議員達は、選挙地盤が薄く、したがって選挙にも弱い立場にある。恐らくこの中の90人近くは来たる8月30日にほぼ落選するであろうと思われている。

きっとそうなのだろうとは思うのだが、麻生を降ろそうとするリーダーが中川秀直では対極の麻生太郎とは『目くそと鼻くその関係』にしか映らない。つまりはどっちもどっちで『ダメな自民党のコップの嵐』の茶番劇でしかないことを国民は良く見抜いて知っている。

21日の自民党両院議員懇談会ではこの『麻生目くそと中川鼻くそ』がテレビカメラの前で握手をして見せたのには見ていたこちらがたとえ茶番と解っていても『そこまでやるか』とアキレテ絶句してしまった。

中川秀直は見るからにメタボリックな体躯でいかにも突然死を連想させるものがあり〔姓名画数ではそう成るようになっている〕今後は健康面の不安が常に付いて回るはずだ。人徳不遜、自滅型の人物である。

更に姓名の画数からはオツムが弱いのは勿論だが(麻生太郎は狂人)、循環器、呼吸器、血液循環障害、腎臓、泌尿器などを冒(おか)される要素を持つ病弱、短命型の運気なのである。・・・(完)



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中川秀直(その三)

即ち極端より極端に至る性格。一世の怪傑、偉人、変わり者、などはこの種の中に含む。が、それは千万人中一人か二人の例外であり,多くの者は沈湎的鬱屈性(ちんめん的うっくつせい)に属する。

こうして彼の姓名画数を分析し、人生前半と後半の運気をたどってみると、その通りの人生模様を展開しているではないか。

今回133名の自民党衆参議員の署名を集め、両院議員総会開催に持ち込んで、麻生太郎を自民党総裁の座から引き摺り降し、自分がその後釜に座る事を狙ったが、そうは問屋が卸さなかったようで、中川秀直の天下取りの野望はここに潰(つい)えてしまった感がある。

彼は元々佐藤秀直だったが広島の中川俊思代議士の娘に婿入りしその代議士の地盤と看板、カバンを全部引き継いで、2世として政界へ進出したものである。

1977年32歳で旧広島第二区から新自由クラブで初当選、二年後自民党へ鞍替え、途中落選もあったが、延べ九回の当選を果たしている。

佐藤秀直(7・21・7・8)運気10点。散財運。藤は籐で21画。

天格:佐藤:  28画
人格:藤秀:  28画。大凶
地格:秀直:  15画。主運の凶を受け、大吉に凶を含む。
外格:佐直:  15画。大吉
総格:佐藤秀直:43画。大凶。

◎ 28画の意味するもの:遭難運と称し、一種の豪傑的状態を有し、波乱変動多く,比難誹謗を免れず、時に厄難に遭遇し、障害を蒙(こうむ)るか或いは夫妻互いに相手と生死別し、中には幼にして親に別れ、長じて子を失う事あり。大体において禍乱多く、平和の望みなく、不和争論、逆難、刑罰の災い相次いで来たり、終生辛労多き険悪運なり。

◎ 43画の意味するもの:散財運なり。因循姑息、薄弱散漫の象あり。
雨中に花の趣き,才能智達なれども,意力確定ならず、諸事遂行するに難九、外見のみ幸福にして内実の困苦多く、表面事成るが如くにして裏面に破れを生ず。

この佐藤秀直のままではいずれ遭難と挫折の人生を辿(たど)ったのだと思うが、早い時期で中川家と縁を持ち、婿入りしたが。運気10点から運気10点への運気の弱い『同類の縁』であったと言える。・その四へ続く。


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