ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

【Welcome to yoshy's Garage ♪】

【2020年秋 - Change from LimeGreen color to Orange color -】

2020-11-18 | Working in the garage

Web-yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

街路樹も色付きだし
秋の深まりを肌で感じると、
愛車Kawsaki/ZRX1100ーC2も
秋冬用の外装交換の時期とナル♬

全てをSNS等には投稿していないが、
ここ数週間に沢山遊んだ(走った)♬
ので外装交換のついでに、
エアーフィルターの清掃(洗浄&オイル塗布)、
※フィルターの清掃は事前に済ませてある。
キャブレターのセッティング変更、
OIL交換をすることに♬



外装交換の際に
いつも感じるのだが...。
鉄フレームにデッカイエンジンを
ゴロッと載せ、
ポコッとキャブを付けただけの
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2の姿は...
如何にもオートバイという
匂いがして好きだ♪
造形としてはZ系空冷エンジンの
秀逸さに軍配があがるのは否めないが、
ZRXシリーズに載せられている
GPZ系の水冷エンジンを
美しく魅せるためのカワサキの努力が
はっきりと感じられるこの車輌も
また良いではないかと私は思うノダ♬
...私は
GPZ系のGeneration(世代)なんでね(笑)
※感想には個人差があります。




動作チェックや洗浄&注油をしながら
Original Orange外装を取付け...
ラヂエターとオイルクーラーに
目張りを施し作業を終える♪
今回もある部品に不具合が見付かった、
気付かずに乗っていたら間違い無く
トラブルを誘発していたことだろう...。
日頃の整備・点検の重要性を
改めて感じさせられる出来事ダ。


もう少しすると
オートバイ乗りには厳しい季節がやってくる。
コロナ禍であっても、
美しい自然はそれ以前となんら変わらぬ姿で
そこにあるのだから、
感染予防を心掛ながら
人生という時間(とき)を精一杯楽しもうと思う♪
<高野山で見付けた秋>

では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪

【関連記事】
【特別な色♪】<2013年4月17日更新>
【 Autumn clothes 2014 ♪】<2014年10月6日更新>
【衣替え2015年夏♪】<2015年6月1日更新>
【衣替え2015年秋♪】<2015年10月2日更新>
【春...薫る♪】<2016年3月23日更新>
【衣替え-2016年秋-】<2016年10月27日更新>
【2017年春 - Change from Orange color to LimeGreen Color -】<2017年4月25日更新>
【Modify Record(4) - decide -】<2018年5月16日更新>
【2019年春 - Change from Orange color to LimeGreen color -】<2019年4月3日更新>
【2019年秋 - Change from LimeGreen color to Orange color -】<2019年12月15日更新>
【2020年初夏 - Change from Orange color to LimeGreen color -】<2020年6月5日更新>


ヨッシーは走ることで日本を応援しています。





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【TOURING ー Touring around the island ♪ 【後編】ー】

2020-11-11 | TOURING

Webーyoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

2020年秋ツーリング
"Touring around the island(島巡り)"
もラストステージに突入スル。
次に向かうは...
広島県尾道市と愛媛県今治市とを
結ぶ全長約60kmの道、
"しまなみ街道"を使い
瀬戸内海に浮かぶ島々を巡る♬

10月24日(土)am7:30ー
昨晩とは違う顔が見たくなり
再び今治城へ立寄る♬
【今治城】
関ヶ原の戦いでの戦功により
伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、
瀬戸内海に面した海岸に築いた
大規模な平城。
別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいう。
慶長7(1602)年に築城を始め、
建造物も含めて完成したのは
同13年頃と推測される。
海水が引かれた広大な堀や、
城内の港として国内最大級の
船入を備えた日本屈指の海城でした。
寛永12(1635)年より
松平(久松)氏の居城となった。
明治維新後に
建造物のほとんどが取り壊され、
内堀と主郭部の石垣を残すのみとなった。
昭和28(1953)年に県指定史跡となり、
昭和55(1980)年以降、
主郭部跡に天守をはじめとする櫓、
門などの再建が進み、
雄大な城郭の姿を見せている。
ー 今治市文化振興課HPより ー

今治北ICより
"しまなみ街道"に入り
瀬戸内の島々を巡る♬
【亀老山展望公園 】
標高307.8mの亀老山展望公園は、
大島の南端に位置し、
瀬戸内海国立公園に指定されている。
パノラマ展望台ブリッジからは、
世界初三連吊橋「来島海峡大橋」と
日本三大急潮のひとつ「来島海峡」の潮流、
晴れた日には四国山脈の中に連なる
西日本最高峰「石鎚山」を眺めることができる
しまなみ街道随一の展望スポットである。
ー 広島観光ナビより ー

頂上には建築家、
隈研吾氏設計の近未来的な展望台がある。
これは地形の中に埋没させることにより
周囲の景観にダメージを与えず、
展望台からは外側の景色を
見ることができるように作られている。
ここからは360度のパノラマが開け、
南には今治市街、
天気がよければ南東に石鎚連峰、
そして北西の方向に
来島海峡大橋を見ることができる。
季節や時間帯によって
様々な美しさを見せてくれる
来島海峡と来島海峡大橋。
特に夕方から日没までの
刻々と変化する美しさは
まさにマジックアワーといえる。
ー しまなみ街道今治探訪より ー



【亀老山の由来 】
今から約1300年ほどまえ、
光輝く黄金色の観音像を背負った大亀を、
旅の風来僧がとある大島の海岸の
洞窟でみつけたそうじゃ。
早速その観音像を持って、
とある山に七堂伽藍を建立して崇拝し、
それ以後この山は
亀老山と名付けられたそうじゃ。
ー 亀老山の由来看板より ー

【 村上海賊ミュージアム 】
瀬戸内を制した戦国最強の村上海賊。
その村上海賊の本拠地の一つであり、
小説「村上海賊の娘」の舞台となった能島城。
史実に基づいた数々の戦国ロマンを
体感できるのが村上海賊ミュージアム。
能島村上家伝来の貴重な品々の展示、
鎧や小袖の着付け体験などのできる
日本唯一の水軍博物館。
※着付け体験はコロナ禍で休止中。


【日本最大の海賊、村上氏】
村上海賊(村上水軍)は、
14世紀中頃から瀬戸内海で
活躍した一族である。
後世には三島村上氏などと呼ばれ、
能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなり、
連携と離反を繰り返しつつも、
互いに強い同族意識を持っていた。
彼らは、
海の難所である芸予諸島で育まれた
海上機動力を背景に、
戦国時代になると
瀬戸内海の広い海域を支配し、
国内の軍事・政治や
海運の動向をも左右した。

来島城を本拠とする来島村上氏は
伊予国守護の河野氏の重臣として活動し、
因島村上氏は周防国の大内氏に仕え、
のちに中国地方の覇権を握った毛利氏の
有力な海の勢力となった。
そして宮窪に本拠を構えた
能島村上氏が三家の中で
もっとも独立性が強いとされ、
特に村上武吉の時代には、
毛利氏・大友氏・三好氏・河野氏といった
周辺の戦国大名たちと、
時に友好関係、時に敵対・緊張関係と
なりながらも独自の姿勢を貫いた。
<村上武吉公像>

日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、
能島村上氏を"日本最大の海賊"と称した。
武吉および息子の元吉・景親の時代に
全盛を謳歌する能島村上氏は、
西は北部九州から
東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握した。
平時には瀬戸内海の
水先案内、海上警固、海上運輸など、
海の安全や交易・流通を担う重要な役割を果たした。
戦時には小早船を巧みに操り、
「ほうろく火矢」など火薬を用いた
戦闘を得意とした。
<村上景親公像>

また茶や香を嗜み、
連歌を詠む文化人でもあった。
ところで昨今では、
彼らを"村上水軍"ではなく、
"村上海賊"と呼ぶことが多い。
水軍は、
江戸時代以降に用いられた呼称であり、
明治から昭和初期には、
近代海軍の前身と評価する見方が強かったため、
このように呼ばれていた。
しかし水軍では
彼らの多様な活動を表現できないため、
最近では当時の古文書などに見える
"海賊"と言う呼称を用いることが
多くなってきている。

一般に"海賊"と聞けば、
理不尽に船を襲い金品を略奪する無法者、
いわゆる"パイレーツ"が
イメージされるかもしれない。
しかし、展示室をめぐるとき、
海賊と呼ばれた人々が、
必ずしもマイナスイメージで
語られなかった時代があったことに
気づくだろう。
ー 村上海賊ミュージアムHPより ー


海賊ミュージアムを後にし
向かったのは...
am11:30ー
大山祇(おおやまづみ)神社 着♬
この神社は、
テレビ東京の
「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」
という番組で紹介され、
是非訪れたいと思っていた場所ダ♬

【日本総鎮守 大山祇神社】
伊豫國一之宮 大山祇神社は、
瀬戸内海のなかでも特に景勝の地である
芸予海峡の中央に位置して、
大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、
日本最古の原始林社叢(しゃそう)の
楠群に覆われた境内に鎮座している。
※社叢(しゃそう)
神社において社殿や神社境内を
囲うように密生してる林のこと。

御祭神は大山積大神一座で
天照大神の兄神に当らせられる。
天孫瓊々杵尊御降臨の際、
大山積大神、
またの名を吾田国主事勝国勝長狭命
(大山積神の擬神体)は、
女木花開耶姫尊を瓊々杵尊の后妃とし、
国を奉られた
わが国建国の大神であらせれられるが、
同時に和多志大神と称せられ
地神・海神兼備の霊神であるので
日本民族の総氏神として
古来日本総鎮守と御社号を申し上げた。
ー 大山祇神社案内看板より ー
※天孫瓊々杵尊御降臨
(てんそんににぎのみことごこうりん)
日本神話で、
天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫
瓊々杵尊(ににぎのみこと)が、
天照大神の命を受けて
葦原の中つ国を治めるために
高天原(たかまがはら)から
日向(ひゅうが)国の高千穂峰に
天降(あまくだ)ったこと。

【乎千命御手植の楠 】
樹齢2600年ともいわれる
大山祇神社の御神木。
御神木を含む38本の楠が
"大山祇神社のクスノキ群"として
国の天然記念物に指定されている。
※乎千命(おちのみこと)
乎知命は大山祇神社の
祭神"大山積神"の子孫とされ、
神武東征(じんむとうせい)の先駆として
瀬戸内海の治安を司る際、
大三島に祖神を勧請したとされている。

"古事記や日本書記"に纏わる
難しい話しはアレとして...(笑)
幹周11.1m、根廻り20m、樹高約15.6mの
"乎千命御手植の楠"を
息をとめて3周すると願いが叶うというので
走ることにした♪
息が切れたがなんとか完走できたので、
願いごと叶うことを期待している♬



【生樹の御門 】
大山祇神社"奥の院(元神宮寺)"の
南方三十メートルにある
樹令三千年の老楠。
根廻り三十一メートルに及ぶ。
真中が自然の洞をなし、
奥の院参拝の通路となるもので
"生樹の門"と言われる。
ー 生樹の門案内看板より ー





生樹の御門を抜け
"奥の院"へと至ル。
こころ穏やかなる
時間(とき)を得ること叶う♬

島巡りの最後は...
"因島水軍城"に
足を向けることにシタ♬


【因島水軍城(城型資料館) 】
因島水軍城は、
因島村上氏が残した武具や遺品、
古文書など歴史資料を展示している資料館。
水軍のふるさと因島にふさわしいものをと
歴史家奈良本辰也氏監修により
昭和58(1983)年に建設された。
二の丸は展示室、
隅櫓は因島水軍まつりの写真を展示、
本丸は水軍資料館として公開されている。
水軍資料館には、
因島村上氏6代当主村上新蔵人吉充が
中国から持ち帰った釈迦の捏槃図や
小早川隆景より拝領された
甲冑など水軍ゆかりの品々が展示されてる。
ー 因島観光ナビ/因島水軍城より ー


資料館には、
因島水軍(因島村上氏)の
貴重な資料が展示されている♬



<太刀/銘備國前長船左近将監長光>

<因島水軍大将の兜>

<意匠性のたかい兜の数々>



因島・能島・来島に本拠地をおいた
村上海賊御三家...。
今回は二つの資料館を巡り、
その歴史を知ることがデキタ♬
因島水軍城に展示されていたパネルには
この様に書かれていた...。
この日本遺産には、
忍者「Ninja」や侍「SAMURAI」が
世界でも通じるように、
多様な顔をもつ日本独自の
海の民として「KAIZOKU」という言葉を
世界に発信していたきたという願いが
こめられている。

"しまなみ街道"を抜け、
散策と昼食をとるために
尾道に立寄ル♬
pm1:45ー千光寺公園に到着♪
【尾道観光における駐車場情報 】
尾道でオートバイを駐車しようとした場合、
本通り商店街にある
"ゆとり広場(バイク駐輪場)"に駐車するのが
お約束だろうと思う...。
されど高価な部品を付けたオートバイを
人通りが多く管理人も居ない場所に
長時間駐車しておくには
少々不安を感じる方も多いのではなかろうか。
その様な方には
"千光寺公園駐車場(山頂駐車場)"を
お薦めスル♬
この駐車場には、
駐車料金を徴収される方達の事務所前に
数台だがオートバイをとめる事ができるノダ。
特にオートバイ専任の
管理人さんが居るわけではないが、
駐車料金を徴収される方達が
常に居られる(常駐されている)ので、
盗難や悪戯にあう確率も
かなり低いのではないかと思われる。
尾道へ行きたいが車輌が心配という方は
ご一考されるのも良いと思う。
※車輌の防犯はどこまでいっても
自己責任であることはご理解下さい。

尾道散策の定番は...
千光寺公園山頂展望台から
美しい尾道の景観を楽しんだのち、
坂道を下りながら
"文学のこみち"を抜け
千光寺、安寧寺三重塔、
ねこの細道等々を散策しながら
尾道の商店街へと向かい、
帰路は千光寺山ロープウェイで
山頂まで戻る(登る)ルートが楽で良いダロウ♬
<千光寺山頂の"永遠の愛(ネコのオブジェ)">

...と紹介しておきながら、
昼食の時間が押したため
敢えて帰路は坂道を登ることにして、
千光寺ロープウェイで町(商店街)まで下る...。

尾道といえば...。
"尾道ラーメンでしょ!"
ということで、
常に尾道ラーメン人気ランキングの
上位をキープし続けている
"尾道ラーメン 壱番館"さんへと
向かうことにシタ♬

最近では
味のインパクトの強い
ラーメンも増えたので、
背脂が浮く尾道ラーメンも普通に思えるが
尾道ラーメンの人気に火が付いた
90年代にはかなりの
インパクトがあったことだろう。
尾道ラーメン...満足であった♬
【尾道ラーメン】
尾道から福山までの
広島県東部に広がるラーメンスタイル。
鶏ガラで取った
澄んだ醤油スープがベースだが、
表面に浮く液状の脂と、
背脂をミンチにした塊のせいで
こってり感も結構強い。
麺は中細ストレートで少加水。
さらりとしてるが
濃厚なスープを絡めすぎないが、
一体感は充分。
一般的な「尾道ラーメン」は
瀬戸内の小魚のダシを加える為に
独特の風味があるが、
尾道最ラーメンの礎となった朱華園(閉店)は、
鶏ガラにごくわずかの
豚骨をブレンドしたスープであった。
もともと「尾道ラーメン」というブランド名は、
福山市のおみやげラーメンメーカーが
おみやげラーメンにつけたものである。
ー 横浜ラーメン博物館HP/尾道ラーメンより ー

尾道ラーメンを満喫した後は、
腹ごなしを兼ねて"坂道を登ル"
少々後悔...スルも、
尾道の坂道は見どころ満載で
辛い思いをして登っても楽しいノダ♬
平山郁夫画伯のスケッチポイントで
同じ構図で写真を撮影してみる♬
ー 平山郁夫 ー
昭和5(1930)年6月15日、
広島県瀬戸田町(現・尾道市)生まれ
東京美術学校日本画科卒業。
昭和27(1952)年美術学校卒業と同時に
東京芸術大学に奉職、
平成7(1995)年に学長で退官。
平成13(2001)年から17(2005)年まで、
再度東京芸術大学長をつとめる。
昭和28(1953)年「家路」で院展初入選。
昭和39(1964)年日本美術院同人に。
現在日本美術院理事長
平成10年(1998)年に文化勲章を受章。
ほかに、
ユネスコ親善大使・世界遺産担当特別顧問、
東京国立博物館特任館長、
文化財赤十字活動を提唱する文化財保護
芸術研究助成財団の理事長などをつとめた。
平成21年12月2日永眠(満79歳)
ー 平山郁夫美術館HPより ー
<しまなみ街道五十三次スケッチポイント >




【尾道大宝山 千光寺】
開基は平安時代の始め大同元(806)年で、
後に源氏の名将 多田満仲の中興と伝えている。
本堂は貞享三(1686)年の建立で、
この地方には珍しい舞台造り、
堂内に置かれた須弥壇は
応永から永享(1394~1440)年頃の作で、
和様に唐様を加味した形式で、
ここに安置された本尊は
秘仏の千手観世音菩薩。
ー 千光寺HPより ー

この寺からの尾道の眺望は
我が国随一といわれる。
<本堂右方よりしまなみ街道(尾道大橋)を望む>

<本堂左方より尾道水道を望む>

三十三観音堂に近づくと、
参拝の際に木製の数珠を回す
"カチカチ"という音が聞えてくる...。
【三十三観音堂】
千光寺名物の一つ、
"カチカチ数珠"があるお堂。
関西一円の西国観音霊場の各札所の御本尊、
観世音菩薩33体が祀られ、
ここにお参りすると
西国観音霊場を巡拝したのと同じ
功徳があると伝えられています。
天井には勇壮な龍の絵が描かれている。

【鐘楼(しょうろう)】
この鐘は"時の鐘"として名高く、
元禄初年より時刻を近郷近海に報じ
近年はテレビ、ラジオを通じて
「除夜の鐘」としてひろく人々に親しまれ、
尾道の名物の一つにもなっている。
この鐘の特徴として
鐘の上部に百八個のイボ(乳)がなく、
梵字百字の真言と五智如来の種子が
浮彫りになっており、
この地方では珍しい曼荼羅の鐘である。
千光寺鐘楼「驚音楼の鐘」は
平成八年七月一日、
環境庁の選定した「日本の音風景百選」の
一つに選ばれました。
特にこの附近の情景は
文豪志賀直哉氏の小説『暗夜行路』にも
描写されています。


鐘楼から山頂へは
文学のこみちが続く♬
文学のこみちに刻まれているもので
私の好きなものを数点ご紹介スル。
【文学のこみち】
気候温暖で風光明媚な尾道は、
古来より天然の港として発達し、
その風向・文化を求め
多くの文人墨客が訪れ滞在した。
尾道ゆかりの25名の作家・詩人の
詩歌・小説の断片等を
千光寺山山頂から中腹にかけて
点在する自然石に刻み、
その静かな散歩道を
「文学のこみち」と名づけた。
彼らが愛した尾道の風景、
そこに住む人々の心が、
碑に刻まれた詩歌の中から
聞こえてきそうです。
ー 尾道市HPより ー
【十返舎一九】
日のかげは青海原を照らしつゝ
光る孔雀の尾の道の沖
※十返舎一九
(じっぺんしゃいっく)
弥次さん・喜多さんで有名な
東海道中膝栗毛の作者。

【志賀直哉】
六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。
ごーんとなると直ぐゴーンと反響が
一つ、又一つ、又一つ、
それが遠くから帰ってくる。
其頃から昼間は向島の山と山との間に
一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。
それがピカリと光って又消える。
造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。
(暗夜行路より)
※志賀直哉
(しがなおや)
明治から昭和にかけて活躍した
日本の小説家。
白樺派を代表する小説家のひとり。
小説の神様と称せられ
多くの日本人作家に影響を与えた。
代表作に暗夜行路、和解、
小僧の神様などがある。

【正岡子規】
のどかさや
小山つづきに塔二つ
※正岡子規
(まさおかしき)
日本の近代文学に多大な影響を及ぼした
明治を代表する文学者の一人。
俳句、短歌、小説、随筆など
多方面にわたり創作活動を行った。

少々登り坂は辛いが、
ゆっくりと探訪しながら
山頂まで散策するのも良いだろう♬

この夜は、
尾道周辺でお宿を取ろうか...
と考えていたのだが、
オートバイを止めておく場所等々の
施設環境が合わず、
岡山まで移動しお宿を取ることにした。
宿泊したHOTELの1Fには、
岡山を中心に
50店舗以上の実店舗を展開する、
"岡山木村屋(キムラヤ)"さんが入る♬

キムラヤさんといえば
ロールパンだろう♬
と陳列棚を見ていると...
"ん!?"

"漬物3兄弟そろいぶみ!"
の中にどこかで見たことのある
パンがあるではないか!!
これと同様のパンを滋賀県で...(汗)
どちらの商品が
元祖だとか本家だとかと言う様な
下世話な話しは扨置(さてお)き、
岡山県でも滋賀県と同じ様な
食文化が育っているということを
知ることができたことが面白い♪
この"知る"ということもまた
旅(ツーリング)の醍醐味なのダ♬

10月25日(日)am9:30ー出発♪
駐車場に止めてある
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2に
荷物を積み込み、
部屋に戻り出立準備を整え
この旅最後のグルメを
"因島のはっさくゼリー"で締める♪
大きな"はっさくの実"がゴロリ...
口当たりも良く
フルーティーで美味い♬
...お土産でもっと買っておけばよかった
と少々後悔ス。


山陽自動車道==新名神高速道路と繋ぎ
宝塚北SA・土山SAで小休止を入れ...
pm2:40ー
"yoshy's garage"に無事帰還♬
<新名神高速宝塚北SAにて>

今回の旅(ツーリング)も、
これまでのものと変わらず
人との出逢いあり。
文化的・歴史的な学びあり。
目的とした
"Touring around the island(島巡り)"
...堪能♬
経済活動の活性化を目的とした
GoToトラベル活発なれど
未だコロナ禍であることは否めず、
様々な場面で
"制約や制限"を感じること多々あり。
不自由な中の
"自由"を勝ち得るための
感染リスクを減らした
旅の計画を練ることもまた、
この時勢を象徴する
"旅の姿(スタイル)"であると感じた。

"変えてはならぬもの、
変えねばならぬもの..."

"諸刃の剣を
如何に巧みに振るうか..."

これからも
自問自答を繰り返しながら
...我走る。

では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪

【関連資料】
【今治城】ー今治市文化振興課HPー
【ひろしま観光ナビ】ー公式HPー
【しまなみ街道今治探訪】ー公式HPー
【村上海賊ミュージアム】ー今治市文化振興課HPー
【大山祇神社】ー愛媛県神社庁HPー
【因島軍城水】ー因島観光ナビー
【横浜ラーメン博物館】ー公式HPー
【平山郁夫美術館】ー公式HPー
【尾道大宝山 千光寺】ー公式HPー
【キムラヤのパン】ー公式HPー


ヨッシーは走ることで日本を応援しています。





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【TOURING ー Touring around the island ♪ 【中編】ー】

2020-11-04 | TOURING

Webーyoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

2020年秋ツーリングは
"Touring around the island(島巡り)"
と決め小豆島へと向かう...。
晴天の小豆島を満喫♬するも、
翌日からは一転
"雨天"の予報とナル。
...これも旅(ツーリング)なのだと
気持ちを切替え、
次なる島
"四国"を目指すのであった。

ー Touring around the island ♪【中編】 ー

10月22日(木)土庄港am8:45ー着。
雨支度を整え港に着くと...
金色に光り輝くオリーブの王冠が
お出迎え♬
チェ・ジョンファ(崔正化)氏の
この作品のネーミングは
【太陽の贈り物】というらしい(笑)


am9:25分発
小豆島フェリー(Olive LINE)
土庄港(小豆島)⇒高松港(四国)ゆき
"しょうどしま丸"は、
定刻通り土庄港より離岸ス♬

フェリーの中で見付けた
小豆島観光キャンペーンポスター♪
ー 私が小豆島を旅する理由。
"思い立ったが【乗船吉日】" ー
この島を巡りながら、
私が長年オートバイで
旅をつづけている理由(わけ)が
改めてわかった様な気がした...。
思い立ったが
【旅(ツーリング)吉日】♬


航行距離22Km
所要時間60分の船旅を終え
高松港へ無事着岸♬

高松(香川県)といえば
"讃岐うどん"ダロ♪
...ということで、
讃岐うどんをいただくことに♬

向かったお店は、
手打十段"うどんバカ一代"さん♪
平日の午前11時前であってもほぼ満員。
流石は人気店だけあります。
昼食時や土日祝の混み具合を想像すると
...怖くなります(汗)

注文は"肉ぶっかけ中盛り"
シコップリッなのに
モチモチとした食感のうどんは、
これまで食べた讃岐うどん店とは
少々毛色が違うのですが、
美味いこと♬美味いこと♬
癖になりそうです(笑)


讃岐うどんを堪能した後は、
松山自動車道に乗り
愛媛県新居浜市へと向かう途中の
豊浜SAで"おいりソフトクリーム"♬
【おいり】
おいりとは、
香川県の特に西讃地方から
愛媛県の西条市以東で生産される
あられの一種。
主に結婚式の引き出物として用いられるほか、
土産菓子としても販売されている。
直径 1cm ほどの玉状で、
色は桃色、緑、白、空色、紫、オレンジ
など様々である。
外は薄い殻のような食感で、
中は空洞で口に入れるとすぐに溶ける。
一般的なひなあられの風味に似ており、
甘さは控えめである。
ー ウィキペディア(Wikipedia)より ー

松山自動車道は新居浜ICでおり、
県道47号で
別子銅山跡"東平(とうなる)"を
目指す...。
県道47号を左折すると
東平までの道は険しい...。
HPでも
"車同士のすれ違いができない箇所も
数多くあります。
ご自分の車で行かれる場合は、
十分気をつけてお越し下さい"
との注意勧告がされるほどだ。
...生憎の天候で路面はウエット。
そしてこの時期特有の
落葉が行手を阻む(汗)
スリップダウンせぬ様に
細心の注意を払いながら深い山坂道を
5.5Kmほど進むとそこには...。

【別子銅山/東平】
ー 東洋のマチュピチュ ー
新居浜の深い山中に現存する
別子銅山の産業遺産群。
標高750mの山中にある東平は、
大正5年から昭和5年までの間、
別子鉱山の採鉱本部が置かれ、
最盛期には多くの人々が暮らし
大変賑わった町であったが、
昭和43年別子銅山の閉山に伴い、
その跡だけが残されることとなった。
近年では、
石垣やレンガで造られた建物のイメージと、
高所にあることからその姿が
『東洋のマチュピチュ』と呼ばれ、
多くの観光客を集めている。
また標高750m前後のこの場所からは、
天気の良い日には
新居浜市街と遠く瀬戸内海を見渡せる
絶景地でもある。
エリア内には、
往時の町並みや学校の様子を
リアルに再現したジオラマが展示されている
東平歴史資料館のほか、
銅製品を展示した銅のテーマ館や
映像で学べる東平学習館、
自然展示室などがある。


【東平貯鉱庫跡】
東平地域を代表する産業遺産のひとつに、
重厚な花崗岩造りの貯鉱庫があります。
関連施設である東平選鉱場や
東平と黒石を結ぶ東黒索道が、
明治38(1905年)に完成していることから、
この貯鉱庫は、
これらとほぼ同時期に建設されたと思われます。
この貯鉱庫は、
第三通洞経由で運ばれてきた鉱石と、
新太平坑(しんたいへいこう)と東平を結ぶ
太東索道から運ばれてきた鉱石を、
一時的に貯蔵するものでした。
ー 世界遺産の里/マイントピア別子HPより ー




【東平索道停車場跡】
東平索道停車場は、
鉱山施設が集中していた
東平集落の下部にあり、
東平と端出場(黒石)を結ぶ主要輸送機関でした。
鉱石運搬はもちろん、
日用生活品や郵便物、
新聞もこの索道で輸送されていました。
鉱石は、
隣接する貯鉱庫から搬器に移され、
端出場へと運ばれていました。
現在、赤レンガ造りの
東平索道停車場の遺構があります。
ー 世界遺産の里/マイントピア別子HPより ー


【インクライン】
端出場(はでば)から索道で
東平へと運ばれてきた物資は、
インクライン(傾斜面を走る軌道)を通じて
荷揚げされていました。
現在、
インクラインはマイントピア別子
東平ゾーンの園内遊歩道の一部、
220段の長大階段に生まれ代わっています。
ー 世界遺産の里/マイントピア別子HPより ー

【小マンプ】
東平の電車乗り場から
第三通洞へ向けて2つのトンネルがあります。
東平集落にある短いトンネルを
小マンプと呼んでいました。
マンプとは坑道を意味する
"間符"から転じたものとされています。
現在、小マンプの中は、
東平にゆかりのある
鉱山運搬機器展示場となっています。
ー 世界遺産の里/マイントピア別子HPより ー





【東平歴史資料館】
鉱山の町として賑わった
東平の往時の生活文化や
銅及び別子銅山等の歴史的資料が
展示されている。
これだけの歴史的な資料を
無料開放されているのが嬉しい♬


ー 東平を模型で紹介 ー

【社宅(模型)】
東平の住宅は、
そのほとんどが社宅でした。
この模型は明治30年末頃に建築した
呉木の社宅で第三通洞が開通した後の
東平地区では最も古いもののひとつです。
冬の雪に備え屋根はトタンでした。
鍵も掛けず、無料の共同浴場もあり、
これが社宅を家庭的な雰囲気にしていました。
山中だっただけに火事には
細心の注意を払い生活していました。
ー 資料館案内看板より ー

【娯楽場】
5月の山神祭の3日間、
東平は祭り一色に包まれました。
その主な舞台が、
明治45年に建築された娯楽場でした。
ここでの上方歌舞伎は圧巻で、
役者達は山かごに乗って東平に来ました。
回り舞台があり枡(ます)席や花道もる
本格的なものでした。
戦後は、
映画の上映や楽団による演奏会
ダンスの練習、集会などに使われました。
入口の橋や桜は今も、
往時を偲ばせています。
ー 資料館案内看板より ー

【銅滴】
銅精錬所で鋳造作業をする祭に、
溶かした銅が
注ぎ口から同じ場所に滴り、
やがて円錐(えんすい)状に
積もり固まることがある。
この銅滴は、
これにヒントを得て溶鉱炉で
精錬した粗銅を使って
鑑賞用としてつくられたものである。
ー 資料館案内看板より ー

【銅製品の数々】
銅は優れた性質を持ち、
いろいろな加工方法をとれるため、
身の回りの製品から
工業製品まで幅広く活用されています。
その分野は工業だけでなく、
医療・船舶・建築業など様々なものに
利用されています。


別子銅山のある愛媛県新居浜市は、
歌手/水樹奈々さんの故郷である。
テレビアニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』の
オープニングテーマに起用された、
2014年10月15日に発売
30枚目のシングル『禁断のレジスタンス』の
PVはここ東平で撮影された♬
※水樹奈々さんは愛媛県観光大使も務める。



水樹奈々/禁断のレジスタンスMUSIC CLIP(Full Ver.)

狭い悪路(濡れ落葉の中)を走破し
辿り着いた東平の歴史遺構は、
"東洋のマチュピチュ"と呼ぶに
相応しい美しい姿であった。
そして...
駐車場の紅葉樹の色付きが
ここまでの
緊張を和らげてくれた♬

無事にお宿に辿り着き、
珈琲と銘菓"六時屋タルト"を食べ、
明日の行程を考えているうちに
眠りに落ちた...。


10月23日(金)am6:00ー起床。
外は雨...。
お宿の窓から外へ目をやると
歩道を歩く人々は皆傘をさしている。
スマホに手をやり
天気予報を確認すると、
午前10時頃には弱雨となり、
その後は急激に天候は回復するとアル。
この日にクレジットしていた予定は、
"晴れでなければならぬ場所"
チェックアウトギリギリの時間まで
お宿で過すことにし、
...天候回復に
賭けてみることにした♬
旅ツーリングは時に
"目的に拘る"
ことが必要な時もあるものダ。
am10:30ー
予報通りにどす黒い雨雲は流れ去り、
時折薄明かりも射してきたので
走りだすことにした♪
新居浜より国道11号で西条までゆき
国道194号へと分岐、
国道沿いにある
"もうじき高知"の看板を撮影♬

"寒風山トンネル"を抜けると
目的の場所へと続く道が現れる♬

見上げれば青空も覘き
気分上々ダ♬

クネクネとした山坂道を駆け上がると
"寒風山登山口(PA)"へと辿り着く。
少しペースを上げると...
雨雲に追いついてしまうので、
物見櫓で時を過ごす。
...微妙なペース配分が必要。
次のトイレまで23.8Km...
ここが時間(とき)を調整するには
最適な場所ダ。




pm12時14分30秒...雨雲動く♬
(時間は写真の撮影情報より)
"町道瓶ケ森線"通称UFOライン
アタック開始♪


秋の深まりが感じ取れる
林道を5.3Kmほど進むと...

瓶ケ森林道第一隧道に差し掛かる...
昨日の別子銅山は
東平へと続く道よろしく、
UFOラインも落葉が凄い。
ウエット路面に積もる落葉という
路面コンディションは
...一寸の油断も許されヌ。

路面を睨み付け
ラインをトレースすることに
集中...集中...また集中♬


pm13時05分02秒...
この林道最高の見どころ
"UFOライン東黒森登山口"に到着スルモ
青空はなし...。


山の尾根を越えてくる
雲の動きに自然の力強さを感じながら、
カメラを構え
青空の出現を信じ待つこと小一時間...。

突然...
辺りの空気感変わり
尾根を越える雲切れ青空広がる♬


その際の雲の動きを
動画で撮影しましたのでどうぞ♬

瓶ヶ森林道(UFOライン)

この日この場所に訪れ、
青空の出現を信じられず
諦め立ち去った人達数知れず...。
名前は忘れたが...
ある自然を撮るプロカメラマンが
この様なことを言っていたことを思い出シタ。
最後はねらった(依頼された)
被写体(構図)の訪れを
待ち続ける根気が全てなのだ...と。
青空を待った甲斐あり!
大自然満喫の
"瓶ケ森林道(UFOライン)"であった♬

【POEMU SWEETS PARK】
お土産に
瀬戸内銘菓"母恵夢(ポエム)"を買うために
本社工場(POEME SWEETS PARK)に立寄る♬


出来たての母恵夢を食べながら、
水道から
オレンジジュースを出して飲む♬
こんな夢の様な蛇口欲しいナ...
愛媛最高(笑)



夕食は
中華料理"白楽天(今治本店)"さんで
今治名物をいただくことに♬



【焼豚玉子飯】
焼豚玉子飯は
今治を代表するご当地グルメとして
全国に知られるようになりました。
元々は、
今治の老舗中華料理店(現在は廃業)で
従業員が食べていたまかない飯だったと
伝えられています。
ご飯に焼豚を載せ、甘辛いタレをかけ、
半熟目玉焼きを載せた
いたってシンプルな丼飯です。
素早くできてボリュームがあり、
しかもおいしい!
そのまかない飯だった
焼豚玉子飯をさらに進化させ
メニューとして最初に登場させたのが
白楽天の先代店主だったのです。
老舗中華料理店の料理人だった先代が独立し、
白楽天を開業すると同時に
メニューとして出すようになったのです。
お店は高校の近くにあり、
瞬く間に育ち盛りの生徒達の人気になり、
広まっていきました。
その後も多くの人たちに長きに亘り
愛され続けています。
ー 白楽天HPより ー


今治のご当地B級グルメ...
"焼豚玉子飯"を食す♪
目玉焼きの下には
たっぷりと焼豚が敷き詰められていた♬


【焼豚玉子飯の食べ方】
一つの半熟目玉焼きを崩し、
焼豚と飯とに絡めながら
一心不乱に食べる...(笑)
残りの半分も同じ様に食し
"ごちそうさま♪"


【白楽天の料理】
名物の焼豚玉子飯が
クローズアップされがちだが、
その他のメニューも
驚くほどに美味かった♪
今更ながら中華料理で
驚くことは少ないのだが、
白楽天さんのものはひと味もふた味も
違うものであった♬


白楽天さんで
お腹を満たし過ぎたので、
お宿に戻る前に
今治城まで散歩すると
夜空に美しい月が浮かんでタ♬

22日(木)・23日(金)と雨模様であったが、
少しも色褪せぬ旅をすること叶う♬
雨を避けることも時に大切であるが、
状況を巧みに読み、
与えられた状況を味方に付けることもまた
旅(ツーリング)なのではないかと私は思う...。

次は
"瀬戸内の島々"へ上陸ス。

Touring around the island ♪
後編へとつづく

では
Thanks for coming!
Webーyoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪

【関連資料】
【ART SETOUCHI】ー 公式HP ー
【小豆島フェリー】ー 公式HP ー
【手打十段うどんバカ一代】ー 公式HP ー
【マイントピア別子】ー 公式HP ー
【瀬戸内銘菓 母恵夢】ー 公式HP ー
【中華料理 白楽天】ー 公式HP ー


ヨッシーは走ることで日本を応援しています






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