威風堂々

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比較文化

2017年09月03日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


 最近、頑張る気持ちが萎えている。
それはそれで悪いような気はしていない。しかし、何かこう30代の頃に思い描いていた自分になれていない。非常に残念な自分がいる。

 40代は絶望に沈んでいたので、そこから復活できた事だけでも、私の人生にとっては凄く意味があるわけだがどうしてもそうは思われない。一体何故だろう?

 近況の変化は特段はない。母は介護度5になり特養に入所出来ている父は92歳だが、介護度2で何とか暮らしている。状況は何とかなってはいる。だが、私は結構30代の過去を消したいと思っている。その頃思い描いていた自分になれていないので、その頃を知る他人にあまり会いたくない。こういう心理は分かって貰えるだろうか。永続的に付き合っている関係性ならば別なのだが、一旦途切れていると会うのは恥ずかしくて嫌になるわけだ。

 ただ、地道に進むしか発展の道はない。それと、まぁ「いけしゃあしゃあ」と恥も恥とも思わず生き抜く事であろう。先の大戦でも、自分の作戦の無謀さを恥ずかしく感じ、敗戦の責任を自殺という方法で終わらせた人もいるが、何の恥とも思わない方法で戦後も生き抜いた人もいるのだ。神はどちらを正しいと見るのか。現時点での答えはない。都合良く私は解釈して頑張っていきたい。


 私は「いけしゃしゃあ」と生きねばならぬほどの大きな失敗をしているわけでもないからそんな事をしなくてもいいという家内の見解がある。もっともだ。

他人からどう思われているかを気にしないで生きて行くのが、僕に対する課題である。








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