威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

カリタスカウンセリングの原理132

2024年06月23日 | 体験の解釈
絶望感
 時として人は、「絶望」に囚われる時があります。さて、絶望感を抱けるということは、設定した「望み」「希望」が存在していたということです。ね、そうですよね。何かこうなってほしいと思っていたのに実現しないことが判明したので絶望するわけです。喩えが不適切かも知れませんが、地震・火災といった災厄が私達を襲い、日常の生活が送れない、望んでいた夢が叶わないと感じたとき人々は大いなる絶望に囚われます。人生における絶望感は至るとこで襲いかかります。高校生の時大学受験に失敗したらどうでしょう。そう私は絶望したものです。自分の将来にね。
 60歳を過ぎて絶望感を感じたときはいい知れぬ不幸です。ここまで生きてきての「絶望」とは。しかし、ここは知恵を絞って幸せに生き延びなければなりません。そうでなければ、今までの人生がもったいない。60を越えて自殺する人もいらっしゃいます。物事は、そして人生の日々はすべて自分の体験の解釈次第です。思い出してください。私は1回だけのやり直しのきかない人生を送っています。他人のせい、不幸のせい、時代のせいにしたところで、「自分の一生」です。
 
 受け止めて、体験の解釈を明るく持つことで前へ進むことが絶対に幸福に繋がるのです。
「人生は夕方からが一番楽しい」そして、晩餐を迎えて、眠りにつくわけです。その眠りは希望の眠りです。

カリタスカウンセリングの原理131

2024年05月26日 | 第四章 愛とゆるし
自我統合性

 私も60歳となり、改めて自分の来し方を見つめる機会をもちました。カウンセリング理論の学びの師U先生に「真善美」に基づいたここ37年の仕事と共にあった人生を振り返る機会を与えていただきました。
 50頁にわたって論文を作成したのです。いろいろな気づきがありました。
 20代からの人生で60歳になって「自分が統合されている」という自覚が持てました。悲喜こもごもの人生ですが、無駄なこと、無意味なことは全くなかったと確認できました。「真善美」に照らしますと、醜いできごと、悪い事、正しくない行いなど「負」の要素を多く行ってきたのも事実です。しかし、それも私の生き様なわけです。ショックを受けたり、事業で成功したり、身内の不幸に見舞われたり、様々なことを統合していけるのが今のような気がします。それができるのは、死が近いからだと思っています。今更ジタバタできな
い。ならば、悪い事も醜いことも一切合切引き受けて死んでいこう、とも取れます。
 残り20年が面白い。そう思えるかどうか。人生を楽しむ智慧がためされていますね。

カリタスカウンセリングの原理 130

2024年04月20日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味
60歳を過ぎますと「死」が切実に迫ってくる感覚があります。しかし、若いときのような死への怖さは正直言って減っています。人間は過去を追体験できないので、一度きりのぶっつけ本番の人生を「死」に向かって突き進むしかないのですが、恐怖・不安・失望・妬み・侮蔑など負の感情に大きく囲まれ出しますと錯乱気味の老人期を過ごす羽目になってしまいます。さ、そうならないためにも「知恵」を絞りましょう。15年しか生きていないヒトと60年も生き抜いてきたヒトとでは、知恵の深みに違いが存在します。いくら科学技術が変化しても「ヒト」の生き抜いてきた年輪は実に意義深いものです。それぞれの人生ステージにおいて、それぞれの知恵を大いに発揮して後悔の残らない人生を歩んで参りましょう。


カリタスカウンセリングの原理 129

2024年04月07日 | 第五章 和解と平和
老害という言葉があります。会社経営者や国会議員など、いつまでも権力、人事権などを手放さず、経営に害を及ぼす場合に老害と言われます。人類は古来、長老を敬ってきました。長老は長生きをしただけあって、経験が豊富です。ヒトが生き抜く「知恵」は若いときには習得できないもののようです。老人になって初めて人生の陰と陽がわかります。何事も経験がものをいうのでしょう。勿論、日々の喜びや悲しみに感動できる心が必要です。しかし、若者の邪魔をするのもそういった経験に基づいた「知恵」でもあります。若者は知恵を無視して、我武者羅に前進することで、未来を開くこともあるのかも知れません。しばらく「知恵」について考察してみます。

カリタスカウンセリングの原理128

2024年03月20日 | 第七章 光と復活体
停滞感

 マイナスな感情ですが、停滞感を意識しますと何かが見えてきます。あの頃はもっといきいきしていたのになぁと。じゃあ、あの頃の元気を取り戻そうとなるわけですが、停滞感の渦の中に取り込まれてしまいますと困難です。一日5分でいいので自分だけのホッとする時間を作りましょう

 最近はいろいろな活動において活気がありません。趣味や仕事、地域活動など積極的になれません。50代も後半になると「子育て」が終わります。人間として、結婚して子どもができた場合、最も「世話」というライフステージの中心をなすのが子どもを育てることだと思います。私の場合は、2人いました。一姫二太郎。間は6年空いていました。そこでは男=父親と女=母親で、役割の質や負担に差ができていましたが、何とかやり終えたのが56歳ぐらいでしょうか。並行して「介護」もしています。
 親の介護も、漸く終了しました。2人とも天国へと旅立ったのです。さて、いよいよ夫婦二人の新世界が再スタート。ところが、結婚した時、子育てが終わり、介護が終わったら再び年を取った二人だけの生活が始まるということを、まったく想定していませんでした。
 ここに「熟年離婚」の原因があると気が付きました
 最も私が男なので女性の感覚はわかりませんが、この再びの結婚生活についての予測がなされていないと、男の側では戸惑うようです。このテーマはまたいつか別に書いてみますね。

 趣味や嗜好は変遷するものですが、ずっと変わらずに活動していることもあると思います。旅行やボランティアといったこと。書道や絵画、なにかこう細々と続いている好きなことを今後の20年続けていけると徐々に停滞した感情もいきいきとした動きへと変わる気がしますがいかがでしょうか。