
実るほど頭を垂れる稲穂かな、と言いますが、たわわに実るほど手が届かなくなっていくのが、さしあたって我が家の木であるようで。
五月の連休明けのことですが、庭に植えてあったキンカンの木に、実が成っていましたので、採集してきました。木に実ったキンカンを直に採るのははじめてのことです。いつのまに、こんなに枝振りが大きくなったものか。キンカンといいますと、スーパーに砂糖漬けにしてあったものを食したことがあったぐらいなのですが、実のまま食べるキンカンは甘味が控えめで、酸味もきつくはないので、癖になりそうな味わいです。あまり食べ過ぎると、お腹によくないそうで。それにしても、キンカンは秋か冬の収穫物だと思いますのに、なぜ、こんな春先に実をつけたのやら…。そういう品種なのかな。かなり高い位置にあって、熊手を用いても届かないくらいです。
そのキンカンのお隣には、これまた枝を伸ばしに伸ばして、空が隠れてしまうぐらいの大きな夏みかんの木。ぽこぽこと大きな実がすでに地に落ちていまして、栄養分になっていました。
生活のまわりに翠があることは精神衛生上好ましいことですが、植物というのは、ほんとうにすさまじい生命力を発揮してくれるもので、管理に骨が折れます。
今年の春は通路をひろげようと思いまして、何本かの庭木を伐採しておきました。チェンソーなどではなくのこぎりでの作業でしたので、時間がかかりました。幹に穴を空けて、薬剤を注入すれば自然と枯れてしまうという手法もあるにはあるのですが、うちが取った手法はとにかく地道に、木の栄養路を立つこと。まず、枝をとっぱらい光合成ができないようにします。そして、根を張っている周囲の土や枯れ葉などを徹底的に除去しておきました。なぜ、こんなことをするかと言いましたら、実はその庭木は意図的に植えたものではなく、コンクリート部分の上に土が溜まり、どこかから芽が飛んできたのか、かってに生えていたものだったからです。コンクリートに根が密着しておりましたので、くさび(古い農具の刃)を打ち込み、根を地面から持ち上げて引き剥がすようにして、やっとこさ取り除いたという次第。
木はうかつに抜いたり、伐採したりしますと、さわりがあるとされています。迷信はあまり信じないたちなのですが、あとでお清めをしておきます。