陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

小説『京四郎と永遠の空─前奏曲─』

2012-10-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


最近知りましたが、「京四郎と永遠の空」を英語に訳すと Shattered Angels なんだそうです。 粉々になった天使たち? ばらばらになった天使たち? よく考えたら、「京四郎と永遠の空」というこのタイトル、「神無月の巫女」を「ソウマと輪廻の巫女」って言うようなものですよね(違)

という冗談はさておき。
京四郎と永遠の空、すでにアニメと漫画版のレヴューは終わりましたので、残すところは小説版とドラマCDですね。今回はノベライズについて。

小説『京四郎と永遠の空─前奏曲─』(富士見ファンタジア文庫・2007年2月刊行)は、アニメ本編よりもさかのぼる過去を描いた番外編。執筆はもちろんテレビアニメシリーズ構成の脚本家にして美文調の植竹須美男氏、挿絵は原作者の介錯先生のコンビ。「神無月の巫女」の関連作としては、公式に商業出版されたゆいいつの小説となります。読んだことはないのですが、この原作者さんの他の漫画で小説になっているものもあるようですね。この原作者さんの漫画は、じつは「京四郎」をふくめて十年連続アニメ化されていたという経歴があり、メディアミックスに強い作家さんだったようです。ただ漫画の方には、他メディアに謎を譲るために表現がややあいまいになっている部分もありますので、良し悪しあると言えますが。絵はかなり私好みです。ちなみにこの小説、嬉しいことに、巻頭にカラーピンナップ(コミックス版よりは健全な(爆))があります。

学園都市アカデミアで絶対天使をそれぞれ擁し、対立する綾小路の三きょうだい。彼らはなぜ戦いあわねばならないのか。また、なぜに、絶対天使たちは主君にしたがい、しかし、時にその命に叛いてしまわねばならないのか。そのようになった経緯が縷々切々と描かれているわけですね。三人の絶対天使の視点を基軸として、そこに契約者たちの動きを織り交ぜながら。

著者があとがきで述べられていますように、人と人ならざる者との愛情について、人ではないがゆえの痛みについて描こうとこころ砕いたもので、とくにそれが顕著に表れているのは、絶対天使のなかでもいちばん人間としての愛情にめざめてしまった、ムラクモのかおんの章ではないでしょうか。そして、それはまさに「神ならざる者」たるミカが、人まがいを人として育てようとしてしまった苦悩の物語でもあります。このかおんの章だけは、全編のなかでもとりわけ多くの頁が割かれてあり、当然ながら、ひみことの出逢いのシーンもあるわけで、神無月ファンならば、にやにやすることまちがいなしなサービスショットもあったりします。にしても、あのふたりはどんなに性格や置かれた状況が異なってもけっきょく愛し合ってしまい、つまるところそれが「運命」「宿命」という固い言葉で片づけられてしまうのでしょうか。現在進行中のウェブノベル「姫神の巫女」では、別の解答が用意されているような気がしないでもないのですが…(とりあえず定番の花嫁強奪イベントを期待しておこうか(笑))。

いちばんみごとだと思ったのは、たるろっての章。
植竹先生おなじみの耽美調がなりをひそめ、簡潔な文体でつづられていくのですが、知能や感受性というものが培われていない原始的な生命体としてのまなざしを追ったところが鋭くて、かえっておもしろいですね。『アルジャーノンに花束を』を思い出します。千歌音やかおんのような湿っぽい乙女の内情はいわずもがななのですが、くうや姫子みたいな、わりとひとを疑うことのない純粋な、甘ったるい感じの女の子(同性には嫌われやすいタイプ)を描くのがうまいですよね。絵による助けもあるかもしれませんが、キャラクターがそれぞれの性質に応じて、きちんと描き分けられているのはさすがだと思います。ただ、戦闘描写になると、やはりロボットに一家言ある柳沢監督によるアニメでの演出の方がわかりよいかもしれませんね。

この小説はアニメ本編放映中に発売されたもので、ドラマCDとおなじくアニメや漫画では語られなかった部分を補う役目があります。アニメってどうしても裏設定だのなんだのの欠けたピースのせいで、不安定さがあるんですよね。そういう不鮮明な部分を想像させるのも、鑑賞としての醍醐味かもしれませんが。たとえば、京四郎の極度なブラザーコンプレックスぶりについても、アニメでは多少触れられているものの、(狙ったようなお遊びのカットがない分)本著を読んだほうがより理解できますし、亡き兄の遺志をついでかたくなまでに使命を果たそうとする意地っ張りさについても、まま共感できないこともない。しかし、自分を救うために罪人になった実の兄の想いをふりきってまで好きな女の子の方に与し、かっこよく戦うあの大神ソウマ少年と比べますと、京四郎という人物はやっぱり各段見劣りがするんですよね。アニメ八話(自分をめぐって修羅場になった少女二名を放置して、いきなり兄のもとへ走る)を急展開にしたせいもありますが。せつなちゃんの尽くしっぷりが過剰であればあるだけに、真剣味が薄らいでしまったというべきか。

全体として、ここに描かれたことがアニメでもう少し触れられていれば、アニメの印象もまた違ったものになったのではないかと悔やまれます。京四郎はあくまで硬派な少年なんですけど、アニメの一話(おそらく神無月の巫女一話の千歌音ちゃんをオマージュしたと思われるあの脱ぎ…)にして株が下がりまくりですし。個人的には、京四郎がなぜ白鳥くうのような女の子に惹かれてしまったのか(恋に理由などつけられないと言えばそれまでにせよ)、ソウジロウが突発的に機動風紀総帥の職を投げうってしまったのか(原型の漫画『魔法少女猫たると』がそうだからという暗黙の了解に頼らずに)、についての説明があればいいと思われました。私としては、ソウジロウらしい傷ついた者への優しさと同時に、そもそも血を分けた妹と争いたくなかったので逃げたのではという説をとりたいのですが。京四郎については、分解される前の「もとの天使」を見たことがあるから、という憶測で足りるのでしょうかね。天使の契約者については、ミカと京四郎はともかく、ソウジロウ視点のお話がなかったのが残念。ソウジロウの愛情はしかし、一歩間違うと動物愛護団体のような方向に向かう可能性もありますよね。ミカがかおんに異常に固執する理由は、この小説で明かされたエピソードではいささかもの足りないものの、神無月の巫女もとより、後年の漫画『絶対少女聖域アムネシアン』でじゅうぶんに補完されることでしょう。ちょっと毛色の違うお話になっておりますが。

ちなみに、京四郎と出逢う直前の白鳥くうの語りが巻頭と末尾にあります。タイトルにもなっている少年少女なのに、過去においてもいっさいなんら、まったく重なりあうところがないんですよね。少女漫画の体裁をとりながら、乙女ちっくな夢やラブロマンスを打ち破ってしまった怪作といえますから、致し方ない。漫画の方だと、くうの夢にでてくる王子様と京四郎とのつながりがラストで明かされますので、納得できはするのですが(倫理的には、アニメ版ラストのあいまいな回答のほうが好ましいでしょうけどね)。少女漫画ムード調にしたために薄れてしまったのですが、小説を読みますと、この世界、わりと大崩壊後のシビアな絶望感が漂っていまして。京四郎のひとり勇者ごっこはその十年前の記憶に引きずられたままなんですよね。その意味では、幼いころの記憶のない白鳥くうとはお似合いのカップルと言えるのかもしれませんが。

熱い雪の七日間直前から、綾小路きょうだいの分裂、そして京四郎の旅立ちまでの時間の流れを、登場人物の視点をうまく入れかえながら組み込んでいまして読みやすく、構成としては申し分ない一作です。


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