もしもですよ、大切な友だちが先に進んじゃったらどうします?
先に、といってもいろいろありますよね。背が高くなったとか、自分にはない特技ができたとか、すばらしい夢を見つけて叶えてしまったとか。でも、女の子の学生時代の進んだ、遅れた、なんてたかが知れてます。ほんとうの差がつくのは、同じ制服を着なくなってからではないでしょうか。女子高生という称号で守られなくなったら、学校という囲いから抜けだしたら、もう乙女だの、女子だのと、のんきに言ってられないのです。世間では言っておりますけどね。
『マリア様がみてる─ステップ─』(今野緒雪著・集英社コバルト文庫・2010/12/28 刊行)は、お友だちに追い越し追いつかれてしまう女の子の微妙な感情の揺れを描いた一編です。この場合、超されてしまったというのは恋愛体験。といっても露骨に濃ゆい恋バナを書いたらコバルトのレーベル降りなければいけないだろうから(なのか?)、あくまで爽やかなラブストーリーです。といいますか、ラブストーリーまで辿り着いてないですよね。マリみてでラブストーリーというものもあまりないけれど。
以下、微妙にネタバレ気味+辛口批評なので要注意。
リリアン女学園高等部の二年生、佳月と律は「自分のことよりもお互いのことのほうがよくわかる」ぐらいの大親友。トレードマークはお揃いの三つ編み。
ところが、ある日、律から男性とお付き合いしていると告白されて、佳月は面食らってしまう。その後、律と親密に歩いている男性を目撃してショックを隠せません。なにせ、その男性は公園で酔っぱらいから救ってくれた”ケンさん”だったのですから──。
じつはこの話、買う前にネタバレを覗いてしまったので、このふたりの正体については知っておりました。といいますか、熱心なファンで鋭い方でしたら表紙の二人の横顔を見たら、なんとなーく想像できそうですよね。でも、この表紙と名前からうっかり取り違えてしまった方も多かったのでは? そこにからくりが。なおカラー表紙を外すとさらに驚きが。
律と佳月のあいだには微妙な空気が流れはじめるのですが、それは男ひとりを女ふたりが巡ってという三角関係とも違います。ぶっちゃけて言えば、間に挟まれているのは女の子。律とお相手との仲を応援する佳月でしたが、そのいっぽうで律は自分の本心に気づいてしまいます。どこかで見た関係ですよね。
しかしながら、このふたりの未来はマリみてシリーズを最初からお読みの方ならご存じですから、こじれていた糸もちゃんと結びなおされていくわけです。そうしないと ”あの” スール姉妹が生まれてきませんから。そうあの黄…。
シリーズとしては珍しくサブタイがなく(ネタバレ防止のためか?)、律と佳月の視点が交互に入れ替わる構成となっています。これはとくに珍しい手法ではなく終わったばかりのおなじエピソードをいっぺん巻き戻すことになるためにうんざりすることもある(この巻き戻しシステムを独立させたのが、まさに「お釈迦さまもみてる」シリーズなんだけど、正直、最近はもう買っていないんです。緒雪先生ごめんなさい)のですが、いっぽうで二人の考えの相違を対照的に強めていくという効果を発揮しています。
にしても、佳月とあの”ケンさん”との出逢いはなんとも仕掛けが利いていて、しかも互いに律さん思いなところがよろしくて応援したくなるカップルなんですけれど、対する律はなんだかね…。
友だちを出し抜くために男を利用して、急に心変わりして、その復縁も他人にお膳立てしてもらわないといけないあたり、なんだか子どもっぽいといいますか。もちろん、女子高生なんだから恋に恋するお年頃なんですけれど、妙に冷めてるところが鼻につくんですよね。「男の人のなかで一番じゃだめですか?」って蓮舫議員みたいな告白も、もう少しどうにか言い様があったような。しかもこの台詞にしたって佳月の受け売りなんだもの。
本命の相手がいるけどそれでもいいなら結婚してもいいよって、ふつう抜けぬけと言えるのでしょうか。そこが「あの人」の母上らしいのか。そういや「あの人」、すっかり肝の据わった友人に対して「先に行かないで」とか言ってましたよね。友人どころか、妹にも先越されていそうな気もするけれど(酷) でも、そんな「あの人」のそういうところも好き(by 志摩子)なんだな、実は。
百合的には成功してるのですが、視点を交互に描いておなじエピソードの繰り返しをするよりも、いっそ、律が将来の旦那様(名前を忘れてしまうぐらい、あまりにインパクトが薄い…)を見初めるやりとりをもっとふくらませて欲しかったかな、とも思ってみたり。マリみてには、山之辺先生と江利子みたいに応援できる異性カップルもいるのに。そこがすこし残念無念。
最終的にはこのヒロインふたり、家もご近所どうしで仲良くやっていくことになるわけですが、すこし斜に構えてみれば、母親たちの因縁が次の代にまで巡りめぐってきたといえるわけで。「あの姉」が「あの妹」から紆余曲折を経て独り立ちできた(といっても進路が違うだけですが)のと比べると、この母親たちはなんだか甘いという気がしないでもない。
女の子の友情関係ってそんなに持ち越せるものなのでしょうか。律は佳月との関係を恋愛へと発展させず、健全な友情へステップアウト(=据え置き)したと見る向きもあるでしょうけれど、律のあの相手に対する宣言を見るにそうとは思えないんですよね。甘い物も、愛情も、相手によって別腹なんでしょうかね。
そしてこの二人は、姉や妹はつくらなかったんでしょうかね。それとも、あの時代はスールはなかったんでしったっけ?
今回は短編から一冊ぶんのボリュームに膨らませた番外編なのですが、『マリア様がみてる─私の巣─』と違って、本編の主要人物はいっさい出てきません。なにせ、この時代には存在していないはずなので。あえて時代色を廃したらしいのですが、日常劇なので多少なりとも当時の習慣など織り交ぜたほうがおもしろいと思うんですけどね。むしろその時代の空気を肌にしみて知っていらっしゃるだろうから、それを知らない世代のために書いてもよかったのではないでしょうか。読者より長く多くのものを見てきて、それを書けるというのはひとつの財産だと思うのですが、中高生向けのラノベだと厳しいのかも。マリみての登場人物はいまどき絶滅した女子高生像であって、そこがまたよろしいのですが。
今回、いい役回りをしていたのはなんといっても綿子さん。
マリみて本編でいうならばさっぱりした性格ながら意外に面倒見のいいところが蔦子さんか乃梨子を髣髴とさせるお方なのですが、彼女を主人公にしたお話もぜひ今後読んでみたいですね。番外編で使い捨てにされていくには、かなり惜しいキャラです。
ところどころくすりと笑えたりじんわりと温かくなってしまう部分(クラスメイトの気持ちが変化していくあたり。かなりのご都合主義ではあるけれど)があって緒雪先生らしくうまいと思わせますが、シリーズ初期にみられたエスプリのようなものが薄らいでいるような。最近、初期作を読み直しているのですが、やっぱり、あの頃はおもしろかったんですよね。もっと、ずっと、おもしろい。読み直したあとにもういちど読みかえしたくなるぐらい、やはり、おもしろい。なぜなのでしょうか。
できれば、未来に向かった新しいエピソードが読みたいものですが。
ひっくり返した砂時計のなかから物語の粒を拾い集めていくばかりで、もう祐巳たちの時間は前に進まないのでしょうかね(嘆) そこが悲しいところ。イメージが固定されていないキャラのほうが自在に動かしやすいという思惑はわかりますけれど…。
【マリア様がみてるレヴュー記事一覧】
先に、といってもいろいろありますよね。背が高くなったとか、自分にはない特技ができたとか、すばらしい夢を見つけて叶えてしまったとか。でも、女の子の学生時代の進んだ、遅れた、なんてたかが知れてます。ほんとうの差がつくのは、同じ制服を着なくなってからではないでしょうか。女子高生という称号で守られなくなったら、学校という囲いから抜けだしたら、もう乙女だの、女子だのと、のんきに言ってられないのです。世間では言っておりますけどね。
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以下、微妙にネタバレ気味+辛口批評なので要注意。
リリアン女学園高等部の二年生、佳月と律は「自分のことよりもお互いのことのほうがよくわかる」ぐらいの大親友。トレードマークはお揃いの三つ編み。
ところが、ある日、律から男性とお付き合いしていると告白されて、佳月は面食らってしまう。その後、律と親密に歩いている男性を目撃してショックを隠せません。なにせ、その男性は公園で酔っぱらいから救ってくれた”ケンさん”だったのですから──。
じつはこの話、買う前にネタバレを覗いてしまったので、このふたりの正体については知っておりました。といいますか、熱心なファンで鋭い方でしたら表紙の二人の横顔を見たら、なんとなーく想像できそうですよね。でも、この表紙と名前からうっかり取り違えてしまった方も多かったのでは? そこにからくりが。なおカラー表紙を外すとさらに驚きが。
律と佳月のあいだには微妙な空気が流れはじめるのですが、それは男ひとりを女ふたりが巡ってという三角関係とも違います。ぶっちゃけて言えば、間に挟まれているのは女の子。律とお相手との仲を応援する佳月でしたが、そのいっぽうで律は自分の本心に気づいてしまいます。どこかで見た関係ですよね。
しかしながら、このふたりの未来はマリみてシリーズを最初からお読みの方ならご存じですから、こじれていた糸もちゃんと結びなおされていくわけです。そうしないと ”あの” スール姉妹が生まれてきませんから。そうあの黄…。
シリーズとしては珍しくサブタイがなく(ネタバレ防止のためか?)、律と佳月の視点が交互に入れ替わる構成となっています。これはとくに珍しい手法ではなく終わったばかりのおなじエピソードをいっぺん巻き戻すことになるためにうんざりすることもある(この巻き戻しシステムを独立させたのが、まさに「お釈迦さまもみてる」シリーズなんだけど、正直、最近はもう買っていないんです。緒雪先生ごめんなさい)のですが、いっぽうで二人の考えの相違を対照的に強めていくという効果を発揮しています。
にしても、佳月とあの”ケンさん”との出逢いはなんとも仕掛けが利いていて、しかも互いに律さん思いなところがよろしくて応援したくなるカップルなんですけれど、対する律はなんだかね…。
友だちを出し抜くために男を利用して、急に心変わりして、その復縁も他人にお膳立てしてもらわないといけないあたり、なんだか子どもっぽいといいますか。もちろん、女子高生なんだから恋に恋するお年頃なんですけれど、妙に冷めてるところが鼻につくんですよね。「男の人のなかで一番じゃだめですか?」って蓮舫議員みたいな告白も、もう少しどうにか言い様があったような。しかもこの台詞にしたって佳月の受け売りなんだもの。
本命の相手がいるけどそれでもいいなら結婚してもいいよって、ふつう抜けぬけと言えるのでしょうか。そこが「あの人」の母上らしいのか。そういや「あの人」、すっかり肝の据わった友人に対して「先に行かないで」とか言ってましたよね。友人どころか、妹にも先越されていそうな気もするけれど(酷) でも、そんな「あの人」のそういうところも好き(by 志摩子)なんだな、実は。
百合的には成功してるのですが、視点を交互に描いておなじエピソードの繰り返しをするよりも、いっそ、律が将来の旦那様(名前を忘れてしまうぐらい、あまりにインパクトが薄い…)を見初めるやりとりをもっとふくらませて欲しかったかな、とも思ってみたり。マリみてには、山之辺先生と江利子みたいに応援できる異性カップルもいるのに。そこがすこし残念無念。
最終的にはこのヒロインふたり、家もご近所どうしで仲良くやっていくことになるわけですが、すこし斜に構えてみれば、母親たちの因縁が次の代にまで巡りめぐってきたといえるわけで。「あの姉」が「あの妹」から紆余曲折を経て独り立ちできた(といっても進路が違うだけですが)のと比べると、この母親たちはなんだか甘いという気がしないでもない。
女の子の友情関係ってそんなに持ち越せるものなのでしょうか。律は佳月との関係を恋愛へと発展させず、健全な友情へステップアウト(=据え置き)したと見る向きもあるでしょうけれど、律のあの相手に対する宣言を見るにそうとは思えないんですよね。甘い物も、愛情も、相手によって別腹なんでしょうかね。
そしてこの二人は、姉や妹はつくらなかったんでしょうかね。それとも、あの時代はスールはなかったんでしったっけ?
今回は短編から一冊ぶんのボリュームに膨らませた番外編なのですが、『マリア様がみてる─私の巣─』と違って、本編の主要人物はいっさい出てきません。なにせ、この時代には存在していないはずなので。あえて時代色を廃したらしいのですが、日常劇なので多少なりとも当時の習慣など織り交ぜたほうがおもしろいと思うんですけどね。むしろその時代の空気を肌にしみて知っていらっしゃるだろうから、それを知らない世代のために書いてもよかったのではないでしょうか。読者より長く多くのものを見てきて、それを書けるというのはひとつの財産だと思うのですが、中高生向けのラノベだと厳しいのかも。マリみての登場人物はいまどき絶滅した女子高生像であって、そこがまたよろしいのですが。
今回、いい役回りをしていたのはなんといっても綿子さん。
マリみて本編でいうならばさっぱりした性格ながら意外に面倒見のいいところが蔦子さんか乃梨子を髣髴とさせるお方なのですが、彼女を主人公にしたお話もぜひ今後読んでみたいですね。番外編で使い捨てにされていくには、かなり惜しいキャラです。
ところどころくすりと笑えたりじんわりと温かくなってしまう部分(クラスメイトの気持ちが変化していくあたり。かなりのご都合主義ではあるけれど)があって緒雪先生らしくうまいと思わせますが、シリーズ初期にみられたエスプリのようなものが薄らいでいるような。最近、初期作を読み直しているのですが、やっぱり、あの頃はおもしろかったんですよね。もっと、ずっと、おもしろい。読み直したあとにもういちど読みかえしたくなるぐらい、やはり、おもしろい。なぜなのでしょうか。
できれば、未来に向かった新しいエピソードが読みたいものですが。
ひっくり返した砂時計のなかから物語の粒を拾い集めていくばかりで、もう祐巳たちの時間は前に進まないのでしょうかね(嘆) そこが悲しいところ。イメージが固定されていないキャラのほうが自在に動かしやすいという思惑はわかりますけれど…。
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