陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

神無月の巫女スタッフ対談について

2012-10-10 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女
神無月には知る人ぞ知る物語があります。
今年はなにについて語りましょうかね。

世間ではつぎつぎに発表される創作物の話題でもちきりですが、ま、管理人はいつまでも古いものしか温めなおさないので、マイペースに参りましょう。このブログでも全話レヴューをしたのに一年も経てば、すっかり忘れてしまうものもあったわけです。熱っぽくはなるが冷めるのも早い。なのに、ひとつの作品をすでに五年以上も好きでいられる(途中、いささか他に目移りしてしまったこともありますが(笑))という理由が、自分でもよくわかりませんね。

ブログ開設以来やりたかったことといいますのは、アニメ本編の全話レヴューなのです。しかし、これが難しい。なぜ難しいかと言いますと、放映直前のアニメと違って、すでに何年も経過している作品には、固定された価値がありまして、それを突き崩すような発言をするのが気後れしてしまうからです。それにすでにすぐれた考察サイト様もあるので、むざむざ自分がやらなくてもとも思いますし。でも、去年あたりから、自分はあとどれくらいの時間、好きなことについて語れるのか、と考えてみるとなんとなく恐ろしくなってしまうわけですね。DVDふくめた一式全部捨てようか、と思い悩んだ時期もありましたし。

とりとめもない前置きからはじまりましたが、本題に。
ある作品が面白いという場合、それは何を意味しているのでしょう。名作だと誉れ高い映画でも、創り手がわの高邁な主張があまりに難解すぎて受容できないこともあります。そのいっぽうで、観る側の目があまりに熟してしまったがために、飽きてしまうということもありますね。創り手のテーマを明確に打ち出しながらも、視聴者にある程度想像の余地が許される。探究心が刺激される。そんな作品こそが長きに渡ってこころを捉える、というべきなのかもしれません。創造者の表現欲求と、受容者の好奇心とが絶妙なバランスで交わったとき、過激な驚異が快感として抱きとめられたときにこそ、作品は永遠に愛されていく。

ですから、終了当時の熱狂というのは、あまりあてにならないものかもしれませんね。たとえば、いまではゴッホとならびオランダを代表する画家にして、世界で評価の高いフェルメールも、再評価されるまでは美術史に埋もれた、デルフトの風俗画家に過ぎませんでした。そもそも評価が高いから、それを好きになるのでしょうか。自分が愛してやまないという価値観をマジョリティに預けてしまったとき、いざ熱が冷めてみると、何も残らないことに気づいてしまいます。

さて、私はすでにその作品についての妄想の端々は別のかたちをとって逐一思うがまま表していますから、その創り手たちの声について、いますこし、振り返ってみたく。

ひさしぶりに神無月の巫女TNK公式サイトを覗いてみたんですが、ここ、キャストコメントやらスタッフ対談やらあるんですね。キャスト、とくに主役三人については、DVDのオーディオコメンタリのほうが抜群に笑わせることを語ってるんですが、スタッフ対談については、あらためて読むと、意外な驚きがあるんですね。そして、その作品をつくるにあたって奥多摩にロケハンを出したりとか、かなり力を入れてらっしゃったことがわかり、嬉しくなるわけです。私、このアニメのなにが好きかといいますと、まず、あの理想郷のようなのどかな山村が物語舞台であることなのですね。

私が意外だと思ったのは、本作は「女の子どうしの恋愛を真っ正面から扱った百合アニメの金字塔」という評価が定着してるわけですが、むしろアニメ制作スタッフの考えとしては、巨大な障壁や、旧来のしきたりや集団が生む圧力に囚われ、苦しみながらもそれを克服しようとし、他人を理解することのできる少年少女たちを描きたかった、というのが本意ではなかったか、ということなんですね。ティーンエイジの成長譚というのは、無論、アニメが果たすべきテーマの王道なのですが、しかし、その一方で、本作には「ちっちゃい子供が見て、魂を揺さ振られたら」と悠長には願えないほど、過剰な、あまりに過剰なシーンも存在するわけで。スタッフが期待したヒューマニズム貫く部分が、そのショッキングさゆえに、また、おちゃらけパートもあるがゆえに、かすんでしまうというリスクもあるわけですね。あえてB級映画なみのおもしろさを狙ったというか。

「皆がバカっぽいなぁとか笑って、セリフとか真似してツッこんでるうちに、何か最後には、はまって見てしまう、感動してしまうみたいな作りにしたかった」と柳沢監督が語られていますように、禁断の愛という重苦しいテーマをなるべくライトに表現したのが本作の醍醐味。百合を描きたかったというより、あっと言わせる作品をつくりたくて、百合を選んだ、みたいな。しかし、なかなか人を選ぶ作品になってしまいましたね。圧倒的な人気を誇るわけではないのですが、いまでも十月になると観たい、という嬉しい声をたくさん聞くことができます。

ところで、スタッフ対談のラストでほのめかされた、「コロナちゃんマジカルテ」とは、はたしてどんなものになったんでしょうね。神無月に関して続編を制作する意欲がみられた、放映直後と思しきインタビューですが、その想いは2007年放映の「京四郎と永遠の空」で結ばれることになります。「京四郎と永遠の空」のほうは、かなりスタッフさんのお遊び(シリアスパートでアフリカ仮面とか、ザ・献血ショーとか…)が過ぎたような気がしないでもないのですが。

アニメ「神無月の巫女」に関するスタッフさんの熱意のほどについて、より詳しくお読みになりたい方は、DVD附属の小冊子をおすすめします。他にも資料がありますが、それについてはまた次回に。


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