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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「奇蹟の詩~サード・ミラクル~」

2016-04-20 | 映画──社会派・青春・恋愛
あなたは神を信じますか?
無宗教とはいえ、困ったときの神頼みとあるように、なんらか信仰の対象は持っているでしょう。しかし教団として組織化された宗教は、神への誓いを売り文句に聖職者に仕えることを強いる傲慢さがあります。
1999年のアメリカ映画「奇蹟の詩~サード・ミラクル~」は、教会の不毛を衝き、人間の愛をうったえた感動作です。

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1979年のシカゴ。
神父のフランク・ショアは、聖スタニスラフ教会から、雨の日に血の涙を流すという聖母マリア像の調査を依頼される。血の涙が起きるのは、救貧に尽くし死してなお、地元民から聖女と讃えられているヘレン・オーガンという女性の亡くなった月。ヘレンを列聖(徳行や殉教が評価された人物を聖人扱いすること)する調査委員だったフランクは、生前のヘレンを知る人びとを訪ねますが…。

フランクが調査に向かった地域は、ヘレンの奇蹟を信じる信徒は多いものの、街は荒れ果てホームレスがうろつき、ドラッグに嵌まる若者が横行していました。
そして、なによりフランクは神父でありながら、奇蹟を信じないという異端者。これまで幾度も、でっちあげられたミラクルを看破してきた彼には、こんな街に聖女が存在したのか半信半疑でした。
しかし、ヘレンがかつて皮膚結核を治したという不幸な少女マリアの証言を得て、また血の涙もほんものだったことから、確信を深めていきます。

いっぽうで、聖職者ではないヘレンを列聖させることを疑問視する声が、ローマカトリック教会の重鎮からあがります。

フランク自身も、ヘレンの実の娘ロクサーヌから、母親が十六歳の自分を捨てて、教会の奉仕にばかりかまけていた恨みつらみを聞かされる。ロクサーヌの孤独と美しさに、父親の死を巡って信仰心を失いながら性事なしに神父をしていたフランクが惹かれていきます。神を愛さない男、母を愛さない女のあいだに生まれるロマンスは、しかし結ばれることはないのですが。

ヘレンの奇蹟を信じるに至ったフランクと、平民夫人の列聖を食い止めたい教会との対立。聖人とみなれるには、生涯に三つの奇蹟を起こしたことが条件。奇蹟の二つ目を授けられたマリアの処遇をめぐって、動かしがたい復活が起きたにもかかわらず否定しようとするドイツ人司祭には、ある思惑がありました。

冒頭が1944年の東欧からはじまっているので、それが荒廃した70年代後半のアメリカとの接点が明らかにされないまま進行する。二つの時代がひとりの女性によって繋がり、しかもそれが人類皆兄弟という博愛主義を唱えるキリスト教の迫害を暴き立てるものであったというのが、なんとも小気味いい。
人間の生死を簡単に扱っていたり、安楽死を抵抗なく行っている部分がいささか気になりますが、希望の持てる終わり方です。

ロクサーヌの母への憎悪は、彼女自身が一児の母になったことで解消されます。
世間からは徳のある先生、ご立派な文学者、すばらしい芸術家などと褒めそやされても家庭人としては最悪、という例を身近にいくつも見聞きしている自分としては、彼女の気持ちよく理解できますね。

しょせん、神様なんて人間がこしらえたつごうのいい観念のかたまり。奇蹟はそれをおこなう人間の意思が強く働いてこそ生じるものだ、と私は考えています。

フランク役は「アポロ13」「ビューティフル・マインド」のエド・ハリス。ロクサーヌ役にアン・ヘッシュ。
監督はアニエスカ・ホランド。
「地獄の黙示録」「ゴッドファーザー」シリーズのフランシス・フォード・コッポラが製作総指揮をつとめています。

(2010年4月4日)

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