あの事故からすでに何年と経ったろうか。
現場はすっかり更地にされているはずだった。当時の面影は残していないかもしれない。あの日、あまりに幼すぎて、自分だけが暗く狭い場所に閉じ込められて、ぼんやりとしか見えなかった凄惨な事件の痕跡は。トーマ・アヴェニールがあの歴史の一端を冷静に振り返ってみるには、数年の年月を要したのだ。それは海のたえず前進してくる波を巨大な魔物の舌のように怯えていた子供が、ゆくゆく長じてはその深さ、透明感、きらめきに馴染んでいくようなものだった。
スティードが映写したままになっていた画面は、映画館のスクリーンのように大きく引き延ばされていた。
巨大になった淡いスゥちゃんのかしこまった笑顔が、宙に浮かんでトーマを見つめている。ゆらゆらとホログラムのように、その映像がゆったりと揺らぐ。そのスゥちゃんの唇が開いて、なにごとかを告げそうだった。旅に出てからもの寂しいとき、いくどもトーマは彼女の静止した笑顔を呼び出したことか。
──トーマ、覚えておいて。
迷ったときはただまっすぐな道をひたすら歩きつづければいいんだ。
歩きつづけることが、自分を守って、自分を教えてくれることがある──
スゥちゃんは、あの日、そう言って自分を送り出してくれたのだ。
なのに。俺ときたら、なんて不甲斐ない。
ものごとははじめたばかりなのに、すっかり興奮が冷め切ってしまうことがある。
旅は準備をしているときがいちばん楽しいのだ。憧れにあこがれつづけて勇んで足を伸ばした名所が、そこたしの見慣れた街並と変わらずにいてがっかりさせられることがある。旅はおなじ場所に長く留まってはならない。旅という異空間であり非日常の時間が、次第しだいに日常に食いつくされてしまうのだ。そもそもものごころついた一時期、トーマは放浪の身であった。ゆえに、いまさら旅の緊迫感など求めてもしかたがないのだ。
半年間と決めてあったはずなのに。
すでにもう四箇月をよその鉱山遺跡の見学や、地域の資料館での調査に費やしてしまった。
旅費が足りなくなって、発掘のバイトを手伝ったりもしていた。いくら他の地層の似た遺跡を巡り歩いても、資料にあたっても、不幸なる故郷ヴァイゼンには行き着くことはできなかった。外側から情報を固めてから、現地を訪ねて真実を探ってみるつもりだった。トーマにはある仮説があった。それを認めたら、はたして自分は救われるだろうか。胸に巣食う度し難い悪しき感情から抜けだすことはできるだろうか。現場に現れた二つのひと影はまったく無関係だった、と悩まされずにすむだろうか。しかし、あの村人たちは報われない。それを認めたくないが故に、もっと情報を集めてみたかったのに。
だが、もうそんな時間の余裕はないかもしれない。
ならばいっそ、ヴァイゼンに行くふんぎりをつけるためにも、あの想い出の場所を訪れることにしよう。トーマはそう決めたのだった。
「旅を終わりにするきっかけの、きっかけか。俺はそうやって、まっすぐ行ける場所にいくつも気持ちの関所をつくっちゃうんだな。先を急ぐふりをしながら、辿り着いちゃいけないとも思ってる。ほんとうのゴールに到達するのが恐いんだ。何も知らないで、あっさりたどりついた幸せのゴールに、さ」
「トーマは逃げてるんじゃないよ。進んでるんだよ。きっと、前に向かって」
トーマが落とした肩に、ぽん、と置かれた手は、励ましの声の主とは異なっていた。
正確にいえば、アイシスが横から操ったリリィの手が置かれていたのだ。このふたりは自分にとって、どういう存在なのだろう。リリィは万事、自分を主張することのないタイプだが、側にいると優しさにくるまれていくような安心感がある。アイシスは少々口うるさくてかなわないが、女の子にしては頼りがいがある。
いつのまにか彼女のペースにあわせて、トーマは道路に座り込んでいたことに気がついた。
スゥちゃんのふやけて肥大化した輪郭と、アイシスがそれとなく重なっている。
認めたくはないが、やはり、どこか似ているかもしれない。いや、スゥちゃんというよりも、やや大ざっぱで荒っぽいところが誰かに…。そんなトーマの予感は、確信に変わろうとしていた。楽観的すぎるともいえる、のんきな同行者の物言いによって、
「寄り道、遠回り。大いにけっこーじゃないの。地図のいらない旅ってあたし大好き。何を期待すればいいのか、まったく分からない旅は気楽でいいのよん」