陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

世界に愛される日本のアニソン

2017-07-22 | テレビドラマ・アニメ
中世の冒険家マルコ・ポーロは、その著『東方見聞録』のなかで、我が国日本のことを「黄金の国ジパング」と尊称しています。聖徳太子の頃になってやっと大陸の大国・中国と肩を並べるくらいの政治ステムを整えはじめた日本から数えて数百年近くのあいまに、どこをどのように日本がそのように美化された経緯はわからないのですが。
英国のように島国でありながらも、異国の王朝に屈したことがなかった純潔性なのかもしれませんね。人類学者のジャレド・ダイアモンドが語るような文明を滅ぼす要因──銃・鉄・病原菌という三要素に日本が脅かされなかったわけではありませんが、日本という国を歴史上葬られた墓碑にしなかったのは、礼儀正しいけれど商人のように狷介で、血と家柄への盲目的な信仰が、王様をギロチンにかける革命や国家転覆を退けていたという日本人の特性にあるように思われるのです。

ヤマザキ・マリの漫画『テルマエ・ロマエ』の日本の銭湯文化に感銘を受ける古代ローマ人ではありませんが、ある種の白人は東洋人種を蛇蝎のごとく嫌ういっぽうで、また、その風俗にただならぬ興味を抱いていたのでしょう。かいつまんでいえば、フランケンシュタイン趣味のような、変態的なモノへの憧れとか、厳格なキリスト教に支配されない死の匂いだとか、成人しても中学生のようにしか見えない風貌に、操りやすい幼さや若さを見積もってしまったのか。とにかく、一部の異国の、たぶんちょっと意識高い系の人々に、日本は幸福に歪んだ眼鏡を通して愛されてしまったのかもしれません。半島の人はこれだからと呆れながら、韓流ドラマに入れ込んでしまう人が続出する現象と似ていますよね。

文化は、フィクションは、人類を争わせない。
アニメや漫画がクールジャパンと呼ばれて戦略的な経済の恩恵をもたらすものと捉えられているのがあたりまえになりましたが、受容するだけではあきたらずにいる、外国人もいるようです。

先日(2017年6月頃)NHKのEテレで紹介されていたのは、英国の若い女性が日本でアニソン歌手デビューすべく奮闘している姿でした。まだ訪日して一年経たないのに、日本語はそれなりに上手。オーディションに十数回チャレンジするが、見返りがない。驚くべきなのには、この彼女、本国の有名な大学卒業の理系の才媛で就職のオファーもあったのに、夢にかけて来日したということです。本音を言わせていただくと、日本のアニソン業界、とくに女子のそれは、声優業と兼ねていてアイドルと化しているので、青い目に白い肌の人形のような美貌だけど、アニメキャラのようないかがわしい愛くるしさを演出できないと難しいのかな、と思いました。日本はおもてなし文化で見知らぬ国に寛容なようでいて、しかし、自国の権威を脅かす異分子については排除したがる傾向があります。大相撲の横綱・白鵬関への謂れのないパッシングを見ていたら分かりますよね。

そのいっぽう、最近のニュースでは、日本人名を名乗る中国人らしき女性がアニソンデビュー。暁月凛という彼女、3000人超えのオーディションから選ばれた期待の新人。アニメ「金田一少年の事件簿R」のEDを担当したことで話題になったのですが、新曲リリースにあたって、影響を受けたアニソンとして、こんな回答を。


凛:アニメ「神無月の巫女」のオープニングテーマとしてKOTOKOさんが歌った『Re-sublimity』です。この歌には、普通のポップスにはない心の痛みや負の感情が美しく描写されています。
 ポップスって前向きで明るい歌が多いように、負の感情へはあまり触らないようにしているんですね。でも、私は「負の感情こそが、この世の真実」だと思ってて。負の感情から逃げるどころか、その感情へ直視していく術を持っているのがアニソンだし。何より、KOTOKOさんの歌った『Re-sublimity』こそ、まさに私が求めていた感情を具現化した歌でした。そこから余計に、「私にはアニソンしかない」と思うようになりました。
────「負の感情こそが、この世の真実」 暁月凛の最新シングル『マモリツナグ』の魅力【インタビュー】
 



「神無月の巫女」なんていうどマイナーで、知る人ぞ知る魁作を堂々と、恥ずかしげもなく語れる度胸がすばらしいです。相当ヤバい人ですね、彼女の将来がたいへん心配になりますが、きっと八百万の神のご加護があるでしょう(褒め言葉)。別のインタビューで「日本のアニソンはお経」と言い切って、子供肌着に友禅染を施すような、いささか強引な定義づけを語っているのですが、せめてそこは讃美歌と言ってほしい。ともあれ、この人はなかなか独特の美学をお持ちらしい。武道館とかドームに何千人も信徒を動員できちゃうあたりは、たしかに宗教に近い熱狂がありますよね。そうです、そうです、頽廃的な美なんです。社会からはじき出された疎外感が原動力なんです。よくわかってらっしゃる。でも、鬼束ちひろの未来にはならないでほしい。

聞くところによれば道徳の教科書に、日本の大御所アニソンシンガー水木一郎氏が紹介されているとか。数十年前は一段低い卑しい歌だとされてきたアニメソングの専門を極めることで、歌手として独自性を保ち、名を挙げたことが称えられています。

アニソンで日本に魅せられて、世界的にも文法の複雑な言語である日本語を敢えて学ぼうとし、来日する外国人も増えているらしい。都会では、人気作のコスプレができるカフェなどもあって、異国人に活況だとか。そのうち、コミケも異国情緒豊かになって、複数の言語が飛び交っていそうですよね。

愛は国籍を超える、萌えは言葉を変えても共通感情、可愛いは大正義。アニメと漫画と可愛いもので満たされた夢の国ジパングを目指してくる人々。ある作品の虜になると、その創作者の源泉に触れたくて、その異国の生まれのように願ったり、魂の故郷がそこじゃないかと幻覚をみたりするようになるのですが、たぶん、そこまで行くと危ないです。思想的にホームレスになるというか、ずっと常識からの迷い子でいたいというか。でも、大多数の壁を越えて、勇気ある一歩を踏み出す人は好ましいですね。ただ、日本は限界線を突破する人が壁を叩いたときは後ろ指さして批判する癖に、ベルリンの壁みたいに一挙に崩壊してなだれ込んだ時にはみんなではしゃぐ国民性だってことも知っておいてほしいのです。夢の国は、足を踏み入れないからこそ、夢のままでいられるんですよね。


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