より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

『教会歴史』(出版物)とは??

2011-12-06 19:37:39 | 教会の歴史 

その2  2011-12-10 11:48:52 

ネットで、この出版物について、説明したの(日本語)、みつからない感じかぁぁ・・・・

うぅぅぅんとねぇぇ、この『教会歴史』(出版物)というのはボリューム多すぎで、たまWEBには、泥沼の中で身動き取れなくなって、お手上げ状態に近くなりそうな感じ・・・・アメリカはユタ州にいた時、日常生活にかまけて、読みませんでしたん、紙上の活字見るのも苦手だしぃ、全7巻だったかぁ・・・今になって、つけが回って来た?、亀のようなノロノロとした進行で、これが、たまWEB、人生最後の挑戦・チャンス?とばかりに・・・・

えぇぇぇ、教会で、教会の歴史について教わる、或いは、使用される様々なテキストの、大方の出典・大元となる、書籍なんですよねぇぇ・・・・また、教義と聖約のほぼ各章のはしがきに、引用・参照先の出典として示されてますよねぇぇ、また、高価なる真珠のジョセフ・スミス--歴史が、『教会歴史』の第1巻、第1章の最初からのコピーであるわけですよねぇぇ。

まずはぁ~、教義と聖約からですかぁ~、「 見よ、あなたがたの間で記録を記さなければならない。」(21章、1830年4月6日、教会が組織された日)という啓示に基づいて、教会での記録(の重要性)が、始まるわけですよねぇ。教会歴史家としての、正式な、神権者の召しとしての最初のは、ジョン・ホイットマーが。(47章、31年3月)この時より前は、オリバー・カウドリが、ありとあらゆる記録類を手がけていたと。他には、「・・・わたしの教会について目にして知る、すべての重要な事柄の歴史を引き続き書いて作成することを・・・望んでいる。」(69章、31年11月)というのも。

小学生くらいの読み書き能力のジョセフ、相当がんばったんでしょう・・・・ジョセフ自身の手になる日記は、1832年11月から始まったようです。

     http://en.wikisource.org/wiki/Diary_of_Joseph_Smith,_Jr._(1832-1834)
    

次のような記録もあるんですよねぇぇ・・・・少なくとも、どのようにして出来上がったのかくらいは、なんとか訳さないとねえぇぇ・・・続きは次回以降・・・

”私は、改ざん(原文に、不正に語句を入れ替え、手を加えること)があったことを知っています。というのも、ノーブー町の教会歴史事務所で、リチャーズ医師により彼の補佐(教会歴史家補助)として雇われていましたので。1845年、その自伝を編纂していた時も雇われてました。ジョセフの死後、彼の自伝は、教会のリーダーたちの新しい方針に沿うよう、変更されたのを見て知っています。また、私はブリガム・ヤングが、リチャーズ医師に(改変を)直接指図し、リチャーズは、その指示通り、計画し、首尾一貫、遂行していったのを知っています。”

(チャールズ・ウェズリー・ウォンデルの日記)

この”自伝”というのは、「教会歴史」のことで、「ジョセフ・スミス--歴史」副題にもあるように、当時は、”予言者ジョセフ・スミスの歴史”と呼ばれてたと・・・・
このウォンデル氏、教会を去ってしまったようで、この日記の引用は、コミュニティ・オブ・クライスト教会の「教会歴史」に記されてるということだ・・・・改ざん・改変、どの程度のものだったのかぁぁ???

    http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22interpolations+because+having+been%22&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

Community of Christ(復元イエス・キリスト教会)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たまWEB)
2011-12-07 07:18:37
”小学生くらいの読み書き能力のジョセフ”というの、間違いました、訂正しないと。”小学校での教育しか受けてなかったジョセフ”に改めますです。

”少なくとも、どのようにして出来上がったのかくらいは、”は、「少なくとも、『教会歴史』が、どのようにして出来上がったのかくらいは、Wiki等にあるので、」に変更します。

あと、たまWEBの注目したのは、”コミュニティ・オブ・クライスト教会”のWikiにある、「カナダとイギリスでの伝道に成功し新規改宗者・移住者からの支持の厚かった十二使徒ブリガム・ヤングが支持者と共に西部へ移住」というの。

この英国コネクションというのが、どういったものなのか??

Unknown (ハル)
2011-12-07 19:41:14
「教会歴史」ですか・・。
読むの大変そうです。
私はインシュチュチュート(←あれ?表記あってます?)のテキスト・「時満ちる時代の教会歴史」(グリーンのテキスト)さえまだ読み終えておりません。(汗)
勉強熱心なたまWEB様をみならって、もっと聖典を学ぼうと思います。
Unknown (たまWEB)
2011-12-08 22:03:57
”勉強熱心”という言葉、残念ながら、あてはまらないような気が・・・・たまWEB、恥ずかしながら、そのグリーンの時満ちるのテキスト、2,3度、調べる時、ページめくった程度なんです。

正史というよりは、陰謀説に興味持つタイプですからぁ・・・・「歴史は勝者によって書かれる・作られる」とすれば、そして、あのトッド・ジャンパー氏が受けたという示現が、本当だとすれば・・・・

ウィラード・リチャーズ使徒が、弾丸の飛ぶ中、奇跡の無傷であったというのは、やはり、どうも、怪しいのでは??・・・・ジョセフはそのように予言したと書いてるけれど、後から付け加えたんでは??・・・・ジョン・テイラー管長自身の記録もあるので、そのへんも見てみないと・・・・

『教会歴史』については、ばっちり解説ありましたんね。テキスト『歴代管長の教え--ジョセフ・スミス』(2008)の”付録--本書で引用されている資料”、p560~に・・・・

    http://www.ldschurch.jp/index.php/gospellibrary/teachingmaterials


コメントを投稿