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時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

ブリガムに主はご自身を現わされることはなかった

2022-04-20 15:51:18 | 教会の歴史 

(2022-04-22)   この主イエスからの顕現を受けることについて、管長会はコメントしているようだにゃ。

 "もちろん,正しい人は皆,救い主の顔を見たいと願っていますが,それが死すべきこの世の生涯に実現しなければならないという提案は,敵のよく使う手口です。高揚を達成するといった価値ある目標を特定し、その目標の望ましさと人々の熱意を利用して、それを達成するために敵が提案する新たな手段を曖昧にすることです。" (ダリン・H・オークス長老、2015年6月アイダホ州 ボイシミー・ステーク集会)

“(使徒がイエスへの証人(イエスの御名に)であることの意味)は個人的な直接の顕現を受けたことを証しすることではありません。使徒がイエスの名を証するとは、贖罪や主イエス・キリストの権威や神権といった計画、業、使命を証することであり、鍵を持つ使徒はその責任を独自に負っているのです。" (ダリン・H・オークス長老、2105年6月17日、アイダホ州ボイシ)

ある一般会員が、主の顕現・訪れを受けたというのが真実だとして、その会員が様々なこと主張したりすると、教会内での神権の権威の秩序・統制(祭司制度)に反する・乱すとされたり敵とみなされたりということかぁぁ・・?!

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ブリガム・ヤング管長(1801-1877 1847管長に)は、大会説教で数回、まだ神にまみえていないと語っていた模様。
ジョセフと同時代の教会員にとって、予言者といえばジョセフ・スミスのみのことだった。

“わたしは,自分の神と兄弟たちに関してのすべての聖約において自分の知る限り忠実であり,自分の義務を忠実に果たしていくならば,主がご自身を現したモーセと同じ年まで生きて、もしかしたらモーセのように顔と顔を合わせて主と交わることができるかもしれないと自分に媚びを売ってきました(自身の機嫌をとる、おだて上げよいしょする)。20年前、10年前、5年前よりもはるかに多くのことを知ってはいても、今の私はまだモーセのようになってはいません。私は既に、自分の意志で、意のままに御父と御子と直接交わることができるような完全な状態に到達するまで生きて来たのでしょうか。いいえ、そうではありません。しかし、私は、御父が御自分の意のままに私に直接影響することができるように、自分自身を整えています。もし私が80歳まで忠実であれば,おそらく主は私に御自身を現わされ,教会と民の管理について御自ら私に指示されることでしょう。もう20年余りのうちで、私が忠実であれば、おそらくは私の御父と御子からその好意(神にまみえる)を得られるのでしょう。
講話ジャーナル、1859年9月1日

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“I have flattered myself, if I am as faithful as I know how to be to my God, and my brethren, and to all my covenants, and faithful in the discharge of my duty, when I have lived to be as old as was Moses when the Lord appeared to him, that perhaps I then may hold communion with the Lord, as did Moses. I am not now in that position, though I know much more than I did twenty, ten, or five years ago. But have I yet lived to the state of perfection that I can commune in person with the Father and the Son at my will and pleasure? No,-though I hold myself in readiness that he can wield me at his will and pleasure. If I am faithful until I am eighty years of age, perhaps the Lord will appear to me and personally dictate me in the management of his Church and people. A little over twenty years, and if I am faithful, perhaps I will obtain that favour with my Father and God.
Jounal of Discourses,  1 Sep 1859

https://journalofdiscourses.com/Brigham_Young

「5:8​ 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
」マタイ伝
「1:10​ 兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。
」第2ペテロ
御子の臨在を受けるような人は過ちに陥ることはないのでしょう。

ま、今日、御子の臨在を受けている教会指導者は・・・のでしょうね。間違いや誤りも・・・

第二の慰め主
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E ... 0%E3%82%81


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