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メルキゼデク神権の回復は未だに・・ (たまWEB)

2023-03-31 16:40:17 | 福音と教会

(2023-04-03)    コメント来ましたぁ・・
「Unknown (とっきー) 2023-04-01 12:44:54
今教会で使われている大神権は、全ての権能のうちの一部限定的なもの、という事なのでしょうか?」

たまWEB、今一、はっきりとはわかってないですぅぅ・・

“また、彼(ブリガム・ヤング)は会話の中で、誰がメルケゼデク神権を持っているのかと尋ねたり、発言したりしました。もし教会の中にそれを持つ者がいたとしても、彼はそれを知らなかった。その神権の全きを得るということは,王であると同時に祭司でなければなりません。言うなれば、ある人が神権の一部を持つということは、イングランドの知事や裁判官が国王から権力を得て事業を行うことに引き比べられ、その人はイングランドの王ではないわけです。人は王権を得る前に王と祭司に油を注がれることがあります。(ウィルフォード・ウッドラフ、日記、1843年8月6日)”
deepl ++

英文
”He [Brigham Young] also remarked in Conversation or inquired who had the Melchezedek priesthood. That if any in the Church had it he did not know it. For any person to have the fulness of that priesthood must be a king & a Priest. A person may have a portion of that Priesthood the same as Governors or Judges of England have power from the King to transact business but yet he is not the king of England. A person may be anointed king & priest before they receive their kingdom &c.” (Wilford Woodruff, Journal, 6 August 1843)”

これは、やはりメルキゼデク神権の全部を受けている人は誰もいないというのが彼の理解だったのでしょう。

彼はまた、生涯、数度の総大会説教で(求めてはいるが)未だ主の御顔を拝していないと語ったというこっちゃな。生涯、拝することはなかったんでしょうね。

「19 また、この大神権は福音をつかさどり、王国の奥義の鍵、すなわち神の知識の鍵を持つ。
20 それゆえ、この神権の儀式によって神性の力が現れる。
21 また、神権の儀式と権能がなくては、肉体を持つ人間に神性の力は現れない。
22 これがなくては、だれも神、すなわち父の御顔を見て、なお生きていることはできないからである。
」 84(1832)
「18 大神権すなわちメルキゼデク神権の力と権能とは、教会のすべての霊的な祝福の鍵を持つことである。
19 すなわち、天の王国の奥義を受ける特権を持ち、天が彼らに開かれ、長子の教会の総集いと親しく交わり、また父なる神と新しい聖約の仲保者イエスの親しい交わりと臨在とを享受することである。
」 107(1835)

現管長ネルソン氏も、イスラエルの意味に関し、
「ヘブライ語の二人の学者の助けを受けて,わたしはイスラエルという言葉のヘブライ語の意味が「神に勝利を得させよ」であると知りました。したがって,イスラエルという名前はまさしく,人生の中で進んで神に勝利を得ていただこうとする人を指すのです。この概念に魂を揺さぶられました! ・・ 2020年10月総大会 
」 
「ネルソン管長 イスラエル 神に勝利を」の検索結果 - Yahoo!検索

イエスと同時代人の言説であるところの(アレクサンドリアのフィロン)、“神と顔を合わせてまみえる”という原義を採ってないところからも、顕現・臨在は受けられずということで大神権の全きは未だ受けていないと類推されます・・
イスラエルの原義は、神と顔を合わせてまみえること?! - より一層の知識と光を求めて・・・・ (goo.ne.jp) (2023-01-15) 

一方、米教会員で第2の慰め主として主イエスの訪れを受けたと主張する教会員は(男女とも)何人かはいるようですがな・・

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メルキゼデク神権を受けることの真意は、
「それは、神の御子の位に従うものであり、その位は人によらず、人の意志によらずに与えられたもので、父も母もなく、日の初めも年の終わりもない。それは神から来たものであった。
」 JST創世記14
神から直接按手されて召されることらしい(天使も含む)・・

さてはて、
「9 それゆえ、わたしの民が戒めに背いたので、わたしが必要としているのは、わたしの長老たちがしばしの間シオンの贖いを待つことである。
10 それは、彼ら自身が備えられるためであり、またわたしの民がもっと十分に教えを受け、経験を得、彼らの義務とわたしがその手に求めることに関してもっと十分に知るためである。
11 わたしの長老たちが高い所から力を授けられるまで、これは成し遂げられない。
」 105
(1834年6月22日、ミズーリ州フィッシング川において、預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示(『教会歴史』第2巻、108~111ページ)。ミズーリの聖徒たちに対する集団暴行が増し、幾つかの郡からの組織集団が教会の人々を滅ぼす意図のあることを宣言していた。預言者は、衣類と生活物資を運んで来た「シオンの陣営」として知られる一隊を率いてカートランドからやって来ていた。この隊がフィッシング川で野営していたときに、預言者はこの啓示を受けた。)

この11節が、その後成し遂げられなかったという真相だにゃ・・・

メルキゼデク神権が与えられたのはその3年前1831年モーリー農場で・・
「"末日聖徒" モーリー農場」の検索結果 - Yahoo!検索

「28 それは、いと高き者が来て、失われたもの、すなわちいと高き者が取り去ったもの、すなわち完全な神権を再びあなたがたに回復できる場所が地上にないからである。
」 124 (1841年1月19日、イリノイ州ノーブーにおいて、預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示(『教会歴史』第4巻、274~286ページ)。役人による迫害と不法な行為が増してきたため、聖徒たちはミズーリ州を立ち去らざるを得なかった。1838年10月27日付けで、ミズーリ州知事リルバーン・W・ボッグズによって発布された撲滅令は、彼らに選択の余地をまったく与えなかった(『教会歴史』第3巻、175ページ)。この啓示が与えられた1841年には、かつてイリノイ州コマースという村があった場所に、聖徒たちによってノーブー市が築かれ、ここに教会の本部が設けられていた。)

この1841年の時点でも、主はメルキゼデク神権を取り去ったことを確認している・・
そしてこの大神権がもう一度回復されたことはなかった・・ 1834年以後に与えられたのは祝福師の権能・・
かくして実質のところ、今日まで、末日教会で行われてるのは、仮免授与のようなもの・・ 


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1 コメント

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Unknown (とっきー)
2023-04-01 12:44:54
今教会で使われている大神権は、全ての権能のうちの一部限定的なもの、という事なのでしょうか?

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