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時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

世界をあっと言わせる・世の人々を驚かす

2018-02-20 09:47:53 | 福音と教会

「グラント伝道部長は日本へ行く召しを受けたとき,楽観的に受け止め,また大いに意気込んでいた。グラント長老は次のように記している。『教会が設立されて以来最大の成功を収める伝道部の一つとなるという確かな信仰がわたしにはあります。最初はゆっくりと進むでしょうが,収穫は大きく,歳月とともに,世界をあっと言わせるようなものとなるでしょう。』

・・・1903年10月の総大会において,グラント長老は次のように報告した。

『日本ですばらしいことを成し遂げたと申し上げられないのは残念です。率直に申し上げると,わたしは伝道部長としてほとんど何も成し遂げることができませんでした。派遣されたわずかな数の長老たちと,同行した姉妹たちの働きによって得た改宗者は,ほんのわずかな数でしかありませんでした。しかし,かの地において今後大いなる大切な働きが行われるであろうという確信を得ました。日本にはすばらしい人々が住んでいるからです。』

・・・伝道部が再開されてから48年後の1996年5月18日にゴードン・B・ヒンクレー大管長が日本を訪れて,ファイヤサイドを開催した。会場は満席で,立ったまま聞く人が出るほどであった。このときまでに,日本には神殿が建てられ,25のステークと9つの伝道部に10万人を超える会員を擁する教会に発展していた。ヒンクレー大管長は日本で御業が始められた当時を思い起こして,次のように語った。『もしグラント大管長がこの場に居合わせたとしたら,感謝の涙を流したことでしょう。皆さんの顔を見ていると,わたしも感無量です。……この地には,わたしが夢にも見なかった力があふれています。』

」 (『歴代管長の教え ヒーバー・J・グラント』テキスト  2002)

https://www.lds.org/manual/teachings-heber-j-grant/chapter-9?lang=jpn

 

“「先程, 菊地長老はグラント大管長がその
一行と日本の地を訪れた時のことをお話に
なりました。グラント大管長はかつてこの
ように記しています。

『私には, この伝道部が教会の中で最も
成功した伝道部のひとつになるという揺る
ぎない確信がある。最初はゆっくりとした
歩みかもしれない。しかし刈り入れは偉大
なものとなり, やがてそれは世の人々を驚
かすものとなるであろう。神がそのみ手を
この国の上に注いでこられたからである。』

私は, グラント大管長がこの言葉を述べ
た時, 予言者として語られたことを信じて
います。今, この日本の地には約5万人の
末日聖徒がいます。・・・・

そこで今日ここに集っている皆さんにひ
とつのチャレンジを差し上げたいと思いま
す。私は5年前にこの地を訪れた時, 神殿
が建設されるまでに教会貝が5万人になる
よう努力して欲しいと申し上げました。し
かしほんのわずか及ばなかったようです。
現在, 教会員数は48,627名だと聞いていま
す。・・間・・ただ今菊地長老が, 今月その5
万人を達成したと教えて下さいました。(笑
い) スバラシイ! 兄弟姉妹の皆さん, 本当
に素晴らしいことです。

では, 今から5年後のことについて考え
てみましょう。その時, 日本の教会員は10
万人になるでしょう。そうするためには,
毎年1万人の教会員が増えればよいわけで
す。私は, 皆さんがそれ以上にできると思います・・・

」  ‘教会の出ずる国’ ゴードン・B・ヒンクレー長老

『聖徒の道』1981年1月号・東京・大阪地域大会特集号、p24~
(1980年10月、東京神殿の奉献後翌週くらいに二つの地域大会が開催された)

”  日本の教会員数  その7   2017-03-07

 

たまWEBが、興味を引くのは、ヒンクレー長老が80年のそのメッセージのため、見つけてきたと思われるグラント管長の日記引用ですよねぇぇ。

日記であるというのは、その機関紙『聖徒の道』同月号のローカル・ページに(p108)、“輝く未来へ向けて”と題した、日本・韓国地域代表役員 菊地良彦引退七十人のメッセージがあって、その引用が日記からと記されてます。

英語だと、「 “I have an abiding faith that this is to be one of the most successful missions ever established in the Church. It is going to be slow work at first but the harvest is to be something great and will astonish the world in years to come.”」となりますかぁ、

「神がそのみ手をこの国の上に注いでこられたからである」にあたる文は無し、つまりは、歴代管長シリーズでは、削られてるんですね。出典・ソースはといえば、機関紙『エンサイン』81年1月号のニュース記事で、80年10月後半、マニラ・香港・台北・東京・大阪での地域大会ツアー取材という内容でしたかぁぁ。何年何月等、日記情報は皆無だにゃ。

各管長の日記は教会書庫に保管されると、教会幹部の上のほうでないと見せてもらえない代物になってしまうようで・・・・ヒンクレー管長は読めたんでしょうねぇ・・・

もう、10年以上も前だろうか、一度、飛鳥昭雄氏の無料講演会が教会であって行ってみたんですよねぇ、どこだったかぁぁ、埼玉のどこか? で、一つだけ覚えてるのは、日本の神道の人たちがみんな教会員になる・なったらいい?!みたいなことを言ってたんでしたぁぁ。驚きでしたぁぁ・・・

まぁ、2002年?に、そのグラント管長のテキストが使われてて、2003年には、総大会でアイリング顧問から、日本の伝道について小話があったりで・・・・

アイリング 予言  https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%20%E4%BA%88%E8%A8%80

うぅぅんん、どうなのかぁぁ・・・・???

96年5月のは、行きましたよぉぉ、管長さんの話に聞きに、旧東京ベイNKホール(現在は更地って)、ディズニーランドの隣の・・・・教会では、大会中、駐車場に立ってもらいます、案内・見回り係に、とかって言われたんでしたかぁぁ、まぁ、もち、やらなかったですけど。

しかし、その時のヒンクレー管長のお話で、印象に残ったたったひとつのことしか覚えてないんですよねぇぇ。什分の一献金をおさめるようにというものでしたぁぁ。えぇぇっ、わざわざ米国からやって来て十分の一の話なのぉぉみたいな、そんな印象持ったんでした。‘感無量です’とかって、完全に記憶にないですかぁぁ。

まぁ、その後、郵政民営化を見越して?献金郵便振替になりましたかぁぁ・・・カンファレンス・センターや南隣にシティ・クリーク・ショッピング・モール(教会お抱え法律会社、ゴールドマンサックス支店などオフィス・ビル、高級アパートも含む)建設のプランが当時既にあったんでしょう。教会堂の管理・清掃人職の廃止等々、教会員に対し、お金に関して倹約、がめつい方針だったんでしょうかね・・・


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