万葉短歌-悠山人編

万葉短歌…万葉集全4516歌(長短)のうち、短歌をすべてJPG&TXTで紹介する。→日本初!

万葉短歌0334 忘れ草0290

2011年08月30日 | 万葉短歌

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万葉短歌0334 忘れ草0290

忘れ草 我が紐に付く 香久山の
古りにし里を 忘れむがため  大伴旅人

0290     万葉短歌0334 ShuB170 2011-0830-man0334

□わすれぐさ わがひもにつく かぐやまの
 ふりにしさとを わすれむがため
○大伴旅人(おほともの たびと)=第316歌参照。
【編者注】「帥大伴卿歌五首」の第四首。


万葉短歌0333 浅茅原0289

2011年08月29日 | 万葉短歌

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万葉短歌0333 浅茅原0289

浅茅原 つばらつばらに 物思へば
古りにし里し 思ほゆるかも  大伴旅人

0289     万葉短歌0333 ShuB170 2011-0829-man0333

□あさぢはら つばらつばらに ものもへば
 ふりにしさとし おもほゆるかも
○大伴旅人(おほともの たびと)=第316歌参照。
【編者注】「帥大伴卿歌五首」の第三首。


万葉短歌0332 我が命も0288

2011年08月28日 | 万葉短歌

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万葉短歌0332 我が命も0288

我が命も 常にあらぬか 昔見し
象の小川を 行きて見むため  大伴旅人

0288     万葉短歌0332 ShuB170 2011-0828-man0332

□わがいのちも つねにあらぬか むかしみし
 きさのをがはを ゆきてみむため
○大伴旅人(おほともの たびと)=第316歌参照。
【編者注】「帥大伴卿歌五首」の第二首。


万葉短歌0331 我が盛り0287

2011年08月27日 | 万葉短歌

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万葉短歌0331 我が盛り0287

我が盛り またをちめやも ほとほとに
奈良の都を 見ずかなりなむ  大伴旅人

0287     万葉短歌0331 ShuB170 2011-0827-man0331

□わがさかり またをちめやも ほとほとに
 ならのみやこを みずかなりなむ
○大伴旅人(おほともの たびと)=原文題詞は「帥大伴卿」(そち おほともの まへつきみ)。第316歌参照。
【編者注】「帥大伴卿歌五首」の第一首。


万葉短歌0330 藤波の0286

2011年08月26日 | 万葉短歌

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万葉短歌0330 藤波の0286

藤波の 花は盛りに なりにけり
奈良の都を 思ほすや君  大伴四綱

0286     万葉短歌0330 ShuB168 2011-0826-man0330

□ふぢなみの はなはさかりに なりにけり
 ならのみやこを おもほすやきみ
○大伴四綱(おほともの よつな)=第329歌参照。


万葉短歌0329 やすみしし0285

2011年08月25日 | 万葉短歌

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万葉短歌0329 やすみしし0285

やすみしし 我が大君の 敷きませる
国の中には 都し思ほゆ  大伴四綱

0285     万葉短歌0329 ShuB168 2011-0825-man0329

□やすみしし わがおほきみの しきませる
 くにのなかには みやこしおもほゆ
○大伴四綱(おほともの よつな)=原文題詞はその上に「防人司祐」(さきもりの つかさの すけ)が付く。「神亀末年防人司祐、天平十年(738)頃大和少掾[やまとの せうじょう]、十七年頃正六位上雅楽助(うたまひの すけ)。…宴の座持ちの名手であった。」 


万葉短歌0328 あをによし0284

2011年08月24日 | 万葉短歌

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万葉短歌0328 あをによし0284

あをによし 奈良の都は 咲く花の
にほふがごとく 今盛りなり  小野老

0284     万葉短歌0328 ShuB166 2011-0824-man0328

あをによし ならのみやこは さくはなの
  にほふがごとく いまさかりなり
小野老(をのの おゆ)=原文題詞は「大宰少弐小野老朝臣」(だざいのせうに をののおゆの あそみ)。<養老三年(719)従五位下。神亀末年の頃、大宰少弐。神亀六年(729)三月四日従五位上、天平九年(737)六月十一日、大宰大弐・従四位下で没。姓の「朝臣」を名の下に書くのは敬意を表してのもの。>
【編者注】第328歌原文。題詞「大宰少弐小野老朝臣歌一首」、詠歌「青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有」。328~351は筑紫歌。このころ大宰帥であった大伴旅人邸での、宴会での作とされる。


万葉短歌0327 海神の0283

2011年08月23日 | 万葉短歌

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万葉短歌0327 海神の0283

海神の 沖に持ち行きて 放つとも
うれむぞこれが よみがへりなむ  通観

0283     万葉短歌0327 ShuB164 2011-0823-man0327

□わたつみの おきにもちゆきて はなつとも
 うれむぞこれが よみがへりなむ
○通観(つうくゎん)=未詳。題詞に「通観僧」(つうくゎん ほふし)。同作者による二首のうち、第353歌では題詞原文に「釈通観」(しゃく つうくゎん)。


万葉短歌0326 見わたせば0282

2011年08月22日 | 万葉短歌

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万葉短歌0326 見わたせば0282

見わたせば 明石の浦に 灯す火の
穂にぞ出でぬる 妹に恋ふらく  門部王

0282     万葉短歌0326 ShuB162 2011-0822-man0326

□みわたせば あかしのうらに ともすひの
 ほにぞいでぬる いもにこふらく
○門部王(かどへの おほきみ)=第310歌参照。


万葉短歌0325 明日香川0281

2011年08月21日 | 万葉短歌

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万葉短歌0325 明日香川0281

明日香川 川淀さらず 立つ霧の
思ひ過ぐべき 恋にあらなくに  山部赤人

0281     万葉短歌0325 ShuB159 2011-0821-man0325

□あすかがは かはよどさらず たつきりの
 おもひすぐべき こひにあらなくに
○山部赤人(やまべの あかひと)=第317歌参照。


万葉短歌0323 ももしきの0280

2011年08月20日 | 万葉短歌

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万葉短歌0323 ももしきの0280

ももしきの 大宮人の 熟田津に
船乗りしけむ 年の知らなく  山部赤人

0280     万葉短歌0323 ShuB155 2011-0820-man0323

□ももしきの おひみやひとの にぎたつに
 ふなのりしけむ としのしらなく
○山部赤人(やまべの あかひと)=第317歌参照。
【編者注】第322歌題詞原文には、「山部宿祢赤人」。「熟田津」、依拠本は「ここはニギと訓むのが正しいらしい(…)」とする。第8歌では「にきたつ」。講談社版『万葉集事典』の地名でも「にきたつ」。


万葉短歌0321 富士の嶺を0279

2011年08月19日 | 万葉短歌

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万葉短歌0321 富士の嶺を0279

富士の嶺を 高み畏み 天雲も
い行きはばかり たなびくものを  高橋虫麻呂

0279     万葉短歌0321 ShuB150 2011-0819-man0321

□ふじのねを たかみかしこみ あまくもも
 いゆきはばかり たなびくものを
○高橋虫麻呂(たかはしの むしまろ)=原文に作者名なし。第320歌参照。
【編者注】原文左注に「右一首高橋連虫麻呂之歌中出」と、初めて高橋虫麻呂の名が載る。


万葉短歌0320 富士の嶺に0278

2011年08月18日 | 万葉短歌

2011-0818-man0320
万葉短歌0320 富士の嶺に0278

富士の嶺に 降り置く雪は 六月の
十五日に消ぬれば その夜降りけり  高橋虫麻呂

0278     万葉短歌0320 ShuB150 2011-0818-man0320

□ふじのねに ふりおくゆきは みなつきの
 もちにけぬれば そのよふりけり
○高橋虫麻呂(たかはしの むしまろ)=原文に作者名なし。「天平四年(732)、藤原宇合が西海道節度使になった時に歌を贈っており(6-971~2)、早くから宇合の庇護を受けていたことが察せられる。虫麻呂には東国の伝説に関する歌が多くあるが、常陸守宇合の随行時のものらしい。」「奈良朝の歌人。伝説歌で聞こえる。」
【編者注】第319歌(長歌)、第320歌~第321歌(反歌)に、作者名なしの題詞があるが、321の左注に「高橋連虫麻呂」(たかはしの むらじ むしまろ)の名が出る。「富士」の原文は、319、320が「不尽」、321が「布士」。
【編者注】万葉集第319歌(甲斐富士歌)全文(伊藤博訓)。
  なまよみの 甲斐の国  (なまよみの かひのくに)
  うち寄する 駿河の国と (うちよする するがのくにと)
  こちごちの 国のみ中ゆ (こちごちの くにのみなかゆ)
  出で立てる 富士の高嶺は(いでたてる ふじのたかねは)
  天雲も い行きはばかり (あまくもも いゆきはばかり)
  飛ぶ鳥も 飛びも上らず (とぶとりも とびものぼらず)
  燃ゆる火を 雪もち消ち (もゆるひを ゆきもちけち)
  降る雪を 火もち消ちつつ(ふるゆきを ひもちけちつつ)
  言ひも得ず 名付けも知らず(いひもえず なづけもしらず)
  くすしくも います神かも(くすしくも いますかみかも)
  せの海と 名付けてあるも(せのうみと なづけてあるも)
  その山の 堤める海ぞ  (そのやまの つつめるうみぞ)
  富士川と 人の渡るも  (ふじかはと ひとのわたるも)
  その山の 水のたぎちぞ (そのやまの みづのたぎちぞ)
  日の本の 大和の国の  (ひのもとの やまとのくにの)
  鎮めとも います神かも (しづめとも いますかみかも)
  宝とも なれる山かも  (たからとも なれるやまかも)
  駿河なる 富士の高嶺は (するがなる ふじのたかねは)
  見れど飽かぬかも    (みれどあかぬかも)


万葉短歌0318 田子の浦ゆ0277

2011年08月17日 | 万葉短歌

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万葉短歌0318 田子の浦ゆ0277

田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ
富士の高嶺に 雪は降りける  山部赤人

0277     万葉短歌0318 ShuB146 2011-0817-man0318

□たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ
 ふじのたかねに ゆきはふりける 
○山部赤人(やまべの あかひと)=原文は「山部宿祢赤人」(やまべの すくね あかひと)。「柿本人麻呂の伝統を承け継いだ神亀・天平の宮廷歌人。同時代の宮廷歌人車持千年(くるまもちの ちとせ)よりは先輩で、笠金村(かさの かなむら)よりは後輩であったと思われる。」
【編者注】「富士」の原文は、題詞で「不尽」、長歌(317)で「布士」「不尽」、反歌(短歌)で「不尽」。
【編者注】講談社版『万葉集事典』の人名解説に、「史書には登場せず、五位以下の下級官人として行幸に従駕したか。」
【編者注】万葉集第317歌(駿河富士歌)全文(伊藤博訓)。
  天地の 分れし時ゆ   (あめつちの わかれしときゆ)
  神さびて 高く貴き   (かむさびて たかくたふとき)
  駿河なる 富士の高嶺を (するがなる ふじのたかねを)
  天の原 振り放け見れば (あまのはら ふりさけみれば)
  渡る日の 影も隠らひ  (わたるひの かげもかくらひ)
  照る月の 光も見えず  (てつつきの ひかりもみえず)
  白雲も い行きはばかり (しらくもも いゆきはばかり)
  時じくぞ 雪は降りける (ときじくぞ ゆきはふりける)
  語り告げ 言ひ継ぎ行かむ(かたりつげ いひつぎゆかむ)
  富士の高嶺は      (ふじのたかねは)


万葉短歌0316 昔見し0276

2011年08月16日 | 万葉短歌

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万葉短歌0316 昔見し0276

昔見し 象の小川を 今見れば
いよよさやけく なりにけるかも  大伴旅人

0276     万葉短歌0316 ShuB141 2011-0816-man0316

□むかしみし きさのをがはを いまみれば
 いよよさやけく なりにけるかも 
○大伴旅人(おほともの たびと)=原文は「中納言大伴卿」(おほともの まへつきみ)。「安麻呂の長男。家持の父。和銅三年(710)左将軍。中務卿、中納言、征隼人持節大将軍を経て、神亀四年暮れの頃大宰帥(だざいのそち)となり、翌年筑紫で妻を失う。天平二年(730)大納言となり帰京(大宰帥は兼任のまま)。同三年七月、従二位で没。六十七歳。漢詩文に学んだ教養人で、山上憶良とともにいわゆる筑紫花壇を形成した。」
【編者注】この前の第315歌(長歌)の題詞脚注に、原文「未逕奏上歌」(いまだ奏上を経ぬ歌)とあることから、長短歌を「翁」祝言とする新説を、依拠本は紹介する。