蒸気鉄道日記

5インチゲージ・ライブスチーム活動の日々を書き連ねます。

改札のお話(4)

2011年02月27日 | Weblog
 今回は実際の業務事情について思い出すままにお話しさせていただきましょう。
 まず、朝は勤務開始時間の30~15分くらい前に出勤して出勤簿に押印し、制服に着替えて待機します。所定時間の2分前くらいに出場して交代します。「早目出場」が原則で、30秒でも遅れると「きちんとしろ」と叱られました。
 勤務時間は午前8時~9時、午後5時半~6時半の「通対(つうたい)」という短時間勤務、午前9時~午後5時35分の日勤とがありました。このへんの出勤時間は駅によってまちまちで、わたしのいた駅でもよく変動しました。また、春・夏・冬休みや年末・年始などの多客時は一日3人とか5人といった多人数の出勤がありました。とくに、わたしのいた駅では近所に大手の予備校や神社などがありましたので乗降客数の変動が大きく、たとえば年末・年始の終夜運転時などは管理局からの応援も含めて10人以上の要員で対応しておりました。

 日勤の拘束時間は7時間50分ですが(昼休み45分を除く)、その間ずっとラッチに立っているわけではなく、30分ずつまたは1時間ずつなど交代しながら、また、多客時間には開けるラッチを増やして総出で改札するなど、乗降客の変動に対応しながらの勤務でした。
 立っていない時間は休憩ではなく「手待ち」といって、何かあったときにはすぐに出られるようにすることになっていました。もちろん何もなければ事実上の休憩です。これらは「作業ダイヤ」というダイヤグラムに基づいて行なわれました。作業ダイヤは基本のものがありましたが、上記のように乗降客に変動があるので、繁忙期には駅の労使で協議して決めていたようです。これも駅によって大きく違い、たとえば「助勤(じょきん)」という、他駅へのお手伝いの際などはずいぶん余裕の多いダイヤになっていました。代表的なのは神宮、後楽園といった野球場の近くの駅に助勤に行った際の作業ダイヤでした。人員は最大多客時に対応させていますので波動が激しく、暇な時間は2時間くらい手待ちになりますが、「引き上げ」のときは目の回るような忙しさです。とにかく何万という観客の波が去るまでは作業を止められませんから、「早く終わってくれ」と悲鳴を上げたくなるようなときもありました。

 しかし、いくら素早く改札を通しても、乗るべき電車が来なければどうしようもありません。電車は頻繁にやって来ますが、それでもホーム上が満杯になって危険な状態になってしまいます。そういうときは「改札止め」という業務連絡があり、入口のラッチを閉じてしまいます。そして電車が何本か行ったあと、再び改札を始めるのですが、その間にも乗客は改札口に黒山になっているのであとが大変でした。

 お話は変わりますが、一度わたしのいた駅で退職者の補充がつかなかったことがあり、学生臨雇が文字通り臨時に本職の仕業(24時間勤務)に就いたことがありました。ちょうど長い春休み期間中だったので、わたしを含む3人で交代しながらこなしました。その感想は「厳しい」の一言でした。とにかく24時間というものがこんなに長いものとは思わなかった、というほどです。まだ日勤時間帯はよいのですが、夜の10時、11時となると盛り場でない駅は暇そのもので、ただぽつねんとラッチにいる状態となります。わたしの駅では改札は4人が24時間勤務していたのですが、早寝と遅寝とで2人ずつ組になっていました。ということは2人だけになる時間が当然あるわけで、その間、東西二つの改札口にず~っと座っていなければなりません。夜明けごろなどは思わずウトウトしてしまいます。それでふと気がつくとラッチに乗り越し原券と運賃が置いてあったこともありました(もう時効ですよね)。
 改札のほかにも出札やホームの勤務者も一緒に泊まっていますから、勤務を通じて自然に仲間意識が芽生え、本職員や臨雇などの区別無く明け番になると朝から飲みに行ったり(よくしたもので、近所にそういう店があるのです)、そこまでいかなくとも喫茶店で長時間話し込んだり映画を見に行ったり、と学業だけでは得られない社会勉強をしたものです。

 blogram投票ボタン ←いささか脱線気味になってしまいました。次回はその他の思い出等についてお話しします。。
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