⒇ 明治維新のころ:幕末・明治期の欧米人 -1-
● 縄文時代から、大陸の文化を吸収しつつ続いてきた「日本文明」が、「ヨーロッパ(西欧)文明」に出会ったのが中世の終わりごろ。その後の江戸時代およそ250年間は、オランダ(と清国)だけを通じての交流。
そして、その「欧・米の科学技術文化」を急速に取り入れ始めて、"日本文明の歴史的大変化”をおこしたのが幕末・明治期・・・そのすべてを「書籍・文書類」と「お雇い外国人など」を通じて学んだ。
だから、私は、《日本(人)はその外国人に”恩義”がある》と思うが…
● 幕末・明治期の日本人はどんな人たちでどんな暮らしをしていたのか?
その姿を”外から来た第3者”として、大きな興味・関心をもって観察したのも欧米人。
当時の日本人は自分たちとその暮らしは”普通”だと思っているので、「事件」は記録したが、自分たちとその暮らしについて、”他者への伝達を目的として観察し記録する”ことはまずなかっただろう。
だから、《外国人による、日本(人)の観察記録》 というのは、現代日本人にとってもとても貴重な資料だと思うが…
■実物コピー 1/2
【育鵬社】
※「野蛮」とか「遅れている」などと本国へ書き送った例は(まだ?)知らない。(あると思うが…)
ただし、イザベラ女史の旅行記には、「困ったこと」として、
・「宿が開放的すぎる」=室内なのに簡単に見られてしまう、・「日本の馬は荒くて、しつけができていない」=ときどき馬の背から振り落とされてしまう、・「いなかの宿では就寝時に”蚤(のみ)や虱(しらみ)”にたかられる」=血を吸われてかゆくてたまらない、
なども正直に書かれている。本国での報告・出版用の記事であって、日本人に遠慮する必要などないのだから。
全体を通して読めば、《当時の日本人の良さ・善さ》 がたくさん書いてある「国際的旅行記」。
当時の外国人が描いた日本のすがたを知ると、ほとんどの場合、御先祖様たちを誇らしく、またなぜか懐かしく思う。
~つづく~
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《著者:松永正紀 ・教育評論家/h22年度 唐津地区(唐津市+玄海町)小中学校校長会長》