やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【中学歴史教科書8社を比べる】275 ⒇ 明治維新のころ:幕末・明治期の欧米人<実物コピー1/2> 

2017年08月19日 | 中学歴史教科書8社を比べる(h28-令和2年度使用)

⒇ 明治維新のころ:幕末・明治期の欧米人 -1-  

 

● 縄文時代から、大陸の文化を吸収しつつ続いてきた「日本文明」が、「ヨーロッパ(西欧)文明」に出会ったのが中世の終わりごろ。その後の江戸時代およそ250年間は、オランダ(と清国)だけを通じての交流。

 そして、その「欧・米の科学技術文化」を急速に取り入れ始めて、"日本文明の歴史的大変化”をおこしたのが幕末・明治期・・・そのすべてを「書籍・文書類」と「お雇い外国人など」を通じて学んだ。

 だから、私は、《日本(人)はその外国人に”恩義”がある》と思うが…

 

● 幕末・明治期の日本人はどんな人たちでどんな暮らしをしていたのか

 その姿を”外から来た第3者”として、大きな興味・関心をもって観察したのも欧米人。

 当時の日本人は自分たちとその暮らしは”普通”だと思っているので、「事件」は記録したが、自分たちとその暮らしについて、”他者への伝達を目的として観察し記録する”ことはまずなかっただろう。

 だから、《外国人による、日本(人)の観察記録》 というのは、現代日本人にとってもとても貴重な資料だと思うが…

 

■実物コピー 1/2

【育鵬社】


 

 



 

※「野蛮」とか「遅れている」などと本国へ書き送った例は(まだ?)知らない。(あると思うが…)

 ただし、イザベラ女史の旅行記には、「困ったこと」として、

・「宿が開放的すぎる」=室内なのに簡単に見られてしまう、・「日本の馬は荒くて、しつけができていない」=ときどき馬の背から振り落とされてしまう、・「いなかの宿では就寝時に”蚤(のみ)や虱(しらみ)”にたかられる」=血を吸われてかゆくてたまらない、

なども正直に書かれている。本国での報告・出版用の記事であって、日本人に遠慮する必要などないのだから。

 全体を通して読めば、《当時の日本人の良さ・善さ》 がたくさん書いてある「国際的旅行記」。

 

 当時の外国人が描いた日本のすがたを知ると、ほとんどの場合、御先祖様たちを誇らしく、またなぜか懐かしく思う。

 

~つづく~

<全リンク⇒ <⒇ 明治維新のころ:幕末・明治期の欧米人 275276(この項:完)

《著者:松永正紀  ・教育評論家/h22年度 唐津地区(唐津市+玄海町)小中学校校長会長》