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中村草田男
蝌蚪小さし浮かびて消ゆる水泡(みなわ)よりも
俳句を初めて蝌蚪は「カト」と読みオタマジャクシの事だと知った。その蝌蚪がぽっかりと水面に浮かびすぐに水中に没していった。そこらあたりに水泡がぷくりと浮かぶ。残像に残る蝌蚪はこのアブクより小さな存在である。私の育った東京都葛飾区の60年も前は田園地帯であった。近くに中川が流れその河畔が主な遊び場であった。蝌蚪はよき友よき遊び相手であった。蝌蚪小さし、我もまた。童話の世界に遊んでいた頃へ、もう帰れない。:「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日:角川書店)所載。
中村草田男
蝌蚪小さし浮かびて消ゆる水泡(みなわ)よりも
俳句を初めて蝌蚪は「カト」と読みオタマジャクシの事だと知った。その蝌蚪がぽっかりと水面に浮かびすぐに水中に没していった。そこらあたりに水泡がぷくりと浮かぶ。残像に残る蝌蚪はこのアブクより小さな存在である。私の育った東京都葛飾区の60年も前は田園地帯であった。近くに中川が流れその河畔が主な遊び場であった。蝌蚪はよき友よき遊び相手であった。蝌蚪小さし、我もまた。童話の世界に遊んでいた頃へ、もう帰れない。:「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日:角川書店)所載。